101 魔法が届かぬ男
「ドルミーレ、大変だ!!!」
不意に襲われた精神的な衝撃に私が言葉を失っていると、広間の扉を勢いよく押し開いて、妖精のレイが飛び込んできた。
その顔は蒼白で、切迫した事態が起きたことを窺わせる。
それが、私が今感じた衝撃と関係あるだろうことは、聞くまでもなく明らかだった。
「人間が……人間が侵入してきた! この城に向かってる!」
そんな馬鹿なと、そう口にする余裕すらも失った。
私がこの領域を作り出すために使った魔法は、渾身の力を用いたものだ。
世界を塗り替えるほどのものなのだから生半可なものではないのは当然で、それを打ち破る力など、いかなる神秘をもってしてもあり得ない。
再びジャバウォックが現れでもしない限り、強引な侵入などできるわけがない。
しかし侵入者の事実を聞けば、先程私を襲った衝撃が何なのか、その答えは明白だった。
あれは
空間を非物理的に隔てていた私の魔法が、何者かの手によって排除された。
あれは、それを感じさせる衝撃だったということだ。
「た、大変! どうしよう!」
「落ち着くんだ。まずは事実確認を……」
レイの言葉を受け、ホーリーとイヴニングは慌てふためいた。
彼女たちのその様子を見れば、二人が何か手を引いている、という線はなさそうだ。
そもそもこれに関しては、彼女たちがどうこうできるようなものではないけれど。
「何か物凄い力を持った人間が、軍勢を率いているよ。あれは何だか、まずいよ」
急いで広間から飛び出して、外を窺いに行ったホーリーとイヴニング。
彼女たちと入れ違うように近づいてきたレイは、上擦った声でそう言った。
確かに、何か大きな力が近付いてきているのを感じる。
いかなる神秘にも当て嵌まらなず、そのいずれをも上回るであろう、何か圧倒的な力が。
そんな力を持つ人間なんて存在するはずない。けれど私は、この力にとても覚えがある気がした。
「僕も力になるよ。何をすればいい?」
「必要ないわ。他人の力なんていらない。これくらい、私一人でどうにでもなるわ」
何がそんなにやる気を駆り立てているのかわからないけれど、レイはとても前のめりだった。
しかしそれが何かの役に立つようには思えなかったし、そもそも私はレイを信頼などしていない。
私は拒絶の意を示して、椅子にしっかりと座り直した。
「確かに、人間の軍勢が入ってきてしまっているよ。ここまで一直線だ!」
「物凄い数だよ! さっき私たちが来た時に控えていた人たちよりも、もっとずっと増えてる。まるで、戦争でもしようとしているような……」
外を見てきた二人は、真っ青な顔で帰ってきた。
私も魔法を使って城の周囲の様子を窺ってみたけれど、確かに物凄い数の人間が、真っ直ぐこちらに向かっているのがわかった。
今までここに襲ってきたのは、飽くまで討伐用に用意した小編成といった感じだったけれど。
今ここに攻めてきているのは、まるで国の戦力の大半を費やしたような大軍勢だった。
「どれだけ大勢で押し掛けてこようと、あんな連中、この城には踏み入れさせないわ」
身を寄せてくるホーリーとイヴニング。そして静かに落ち込んで脇に避けたレイ。
心配そうにする彼女たちの視線を受けながら、私は玉座に座したまま、城の外に遠隔で魔法を起こした。
この美しい花畑を踏み荒らす穢らわしい人間どもに、制裁を浴びせるために。
「────そんな、馬鹿なっ……!」
しかし私が放った魔法は、その全てが掻き消えてしまった。
大勢の人間たちをまとめて屠るに足りた魔法が、外部からの力によって打ち砕かれたのがわかった。
わざわざ視認するまでもない。魔法を行使した私には、それが明確に感じられた。
これは、領域の境を突破された時と、とてもよく似た感覚だ。
「そんなこと、あり得ない。あり得るはずが……」
世界の力と直結した私の魔法。それを凌駕する力など有り得ない。
それも、大勢をまとめて殲滅するために行使した大規模な魔法をいとも簡単に打ち消せるものなど、存在するはずがない。
それでも事実、私の魔法はあっさりと打ち破られてしまった。
ジャバウォックという例外を除き、初めての出来事に動揺が隠せなかった。
何かの間違いだと、そう思うことしかできなくて。私は、次こそはと再び魔法を行使した。
しかし第二撃もやはり、発動したにも関わらずあっという間に掻き消されてしまった。
「一体、これはどういうこと……!?」
二度目、いや三度目ともなれば受け入れざるを得ない。
私の魔法を凌駕する、あるいは打ち破るだけの力を持った何かが存在している。
私は戸惑いと動揺を隠せず、しかし努めて冷静に、この城へと進行してくる謎の力の気配を探った。
「まさか、そんな……」
私の魔法を物ともせず進行してくる力。
それは私の力にとても似ている。というよりは、私の力の一部と言っても過言ではない、そんな力だった。
それは確かに一度私の手によって振るわれたもので、私が扱う力の延長上にあるもの。
それを扱えるものが、私の他にいる。
いるはずのない存在。しかし、その力と一緒に感じる人物の存在を思えば、否定はできなかった。
「────そう、そうなの。そうなのね……」
この瞬間まで認識できなかったのは、いやしなかったのは、私が未だ現実から目を背けようとしていたからか。
でももう、その事実を受け入れるしかなさそうで。それでもやはり、否定したい気持ちがあって。
私は自分の魔法で明らかとなった事実から目を逸らすように、手で顔を覆って俯いた。
私を心配する声が次々に飛んでくるけれど、どれも耳に入らない。
今自分が気づいてしまったこと、迫りくる現実の苦しさに、あらゆることがどうでもよくなってしまって。
私はただ、力なく項垂れていることしかできなかった。
それでも迫りくる軍勢。私は一応魔法を行使し続けて、その進行を押さえようとしたけれど。
その悉くを打ち破られて、とうとう城への到達を許してしまった。
城にも一応結界を張っているのだけれど、それも簡単に破られて。
城内に軍勢が侵入してきたことで、その怒号のような雄叫びがここまで響き渡った来た。
「こ、ここまで来た……! まずいよドルミーレ、逃げないと!」
「ここまで踏み込まれたということは、何かカラクリがあるはずだ! 留まっているのはよくない。ドルミーレ!」
迫りくる雄叫びに震え上がって、ホーリーとイヴニングが引きつった声を上げた。
私は俯いたまま適当に頷いて、しかし何だか逃げたりする気にはなれず、一応程度の気の抜けたやる気で、城内のいたるところへ遠隔の魔法を起こし、人間たちに放ち続けた。
城内に入ってからは複数に分かれたようで、いくつかの魔法はしっかりと人間を暴殺した。
しかし一つだけ、この玉座へと真っ直ぐ向かう一塊りだけが、私の魔法を打ち消して進んでくる。
そこに、
私を引きずってでも連れ出そうとする、ホーリーとイヴニング。脇でオロオロとしているレイ。
確かにここまで、この場までの進行を許してしまっては、私は無粋な侵入者との対面を迫られる。
私の魔法による牽制を全て乗り越えた相手は、あまりにも脅威で、身の安全を考えれば逃げるのが一番。
だけれど私は、もうそんな気力も起きなかった。
胸が苦しくて、どうしようもなく悲しくて、立ち上がる力すら湧かなかった。
迫りくるその人の顔を見たくないのに、でも目を背ける勇気もなくて。
今の私にはもう、やって来る非情な現実に、ただ晒されることしかできなかった。
魔法を放ち続けるのは、もう惰性の悪足掻き。
それでも狭い城内だからか、迫りくる一団も徐々にその数を減らしていって。
もうすぐそこまでやってきた時には、ヒトの数は一つしか感じられなかった。
「ドルミーレ────!!!」
そして、一人の男が玉座の間の入り口に立った。
その足音に、望んでいないのに顔が勝手に上がってしまって。
目にしたのはやはり、私が事前に感じ取っていた人物と相違なかった。
間違いだと、勘違いだと思いたかったけれど。
でも現れたのは、私がよく知る人。私をよく知る人。愛し愛されていた人。
「ファウスト…………」
煌びやかな
そして、いかなる時も優しく温かい、その輝かしい相貌。
見間違えるはずがない。それは、私が最も愛した男だった。
ファウストが、私の前に再び現れた。
純白に染まった剣を、その手に携えて。
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