92 決裂

「はは、ははは……は、はは────あははははははははは!!!!!」


 笑いが止まらなかった。おかしくてたまらなかった。

 恥も外聞も捨てて、大声を上げて笑わずにはいられなかった。

 だって、あまりにも馬鹿らしくてたまらなかったから……。


 これが結果。これが現実。これこそが真実。

 なんてくだらない。


「そう、そうなの……そうなのね! 結局私は、誰にも受け入れてなんて貰えないんだわ!」

「ド、ドルミーレ────」


 腹の底から込み上げる笑いを惜しむことなく晒す私に、目の前のファウストが困惑の表情を浮かべた。

 拾い上げた『真理のつるぎ』を握り、その頬に涙を伝わせながら。

 先ほど抱いたであろう決意はそこにはなく、ただ私の変わりように戸惑っている。


「別に褒めて欲しかったわけじゃない。称えて欲しかったわけでも、尊敬されたかったわけでも、感謝されたかったわけではないの! ただ私は、自分が大切だと思ったものを守りたかっただけのなのに! それなのにあなたたちは、私を化け物だと、魔女だと罵るっていうのね!!!」


 もう何もかもがどうでもよくなってしまった。

 私が何をしようとも、私という存在は他人に受け入れられるものではない。

 他者とあまりにも隔絶しきっている私は、交わることを許されないんだ。


 万が一その真似事ができたとしても、それは紛い物でしかない。

 ちょっとしたことで簡単に崩れ去る、脆く儚い夢幻ゆめまぼろし

 私の抱いていた感情は、空虚な幻想だったということだ。


「ふざけるのも大概にしなさいよ! 私はただ、この国を、この世界を守っただけだっていうのに!!!」


 頭がまともに働かず、壊れた心が感情のままに体を動かしている。

 私は言葉のまま、勢いのままに魔力を膨れ上がらせて、そのまま周囲に向けて無作為に、純粋な力を振りまいた。

 それは強烈な衝撃とエネルギーになって辺りを駆け抜け、城や周りの門壁を砕き、地面を穿ち抉った。

 私が喚き叫ぶ度、私から吹き荒れる魔力が周囲を蹂躙し、その勢いは門外の街中にまで広がっているようだった。

 でもそんなこと、私には全くどうでもいい。


「ドルミーレ、落ち着いて! 違うよ、違うから! 私たちは今だって────」


 脇でホーリーが慌てて叫んでいる。

 その言葉は耳に届いてくるけれど、その気持ちは今の私には全く響かなかった。

 泣きそうな顔で、私を懸命に見つめる瞳も、今はどうしても濁って見える。


「ダメだドルミーレ! 今ここで暴れたら、君は本当に人間の敵になってしまう! そんなの、私たちは嫌だ!」


 イヴもまた、らしくなく声を張り上げていた。でもそんなこと、だからどうしたとしか思えない。

 昔からずっと、私は人間たちにとって敵だったのだから。今更どう思われようと、そんなことどうでも良い。


「私たちがいるから! ドルミーレ、私たちがいる! 私たちは、いつだってあなたの友達だよ!」

「確かに君の力強さに驚いて、戸惑った。でも私たちがそれで君を嫌いになんてなるわけがない! 私たちの気持ちは、今だって変わっていないんだ!」


 私が振りまく力で周囲が弾ける中、ホーリーとイヴは懸命に叫んでいた。でも────


「くだらない!!!」


 そう、くだらない。何もかもくだらない。


「友情も愛情も絆も繋がりも、何もかも馬鹿らしい! 絶対だと信じていた。永遠だと信じていた。信じていたのに!!! そんなものは存在しなかった、嘘だった、まやかしだった……! 結局みんな、私を化け物だと恐れるんじゃない! 私は、ただ愛する人たちと穏やかに過ごしたかっただけなのに!!!」


 私を見るみんなの、あの目が忘れられない。

 信じられないものを見るような、この世の終わりを見るような、そんな恐れ慄いた顔。

 それはとてもヒトに向けるものではなく、それこそジャバウォックのような、どうしようもない怪物を見る時の目だった。


 それが、そこら辺の知らないヒトからのものならば、まだ耐えられた。

 でも、私が最も信頼し、もっとも大切に思う人たちすらも、そんなふうに私を見た。


「こんな思いをするくらいなら、助けなければよかった! 守らなければよかった! こんな国……こんな世界……滅んでしまえばよかったのよ────!!!」


 張り裂けた心はそれでも感情を渦巻かせて、どんどんと深みに沈み込んでいく。

 それに同調するように、限界を知らない魔力が次々と込み上げて来て、私の叫びと共に周囲を蝕んだ。


 そんな中でも、ファウストは私の正面に立ち続けていた。

 荒れ狂う私に、王をはじめとした周囲の人々は逃げ惑っているのに。

 ファウストと、そしてその隣にいるホーリーとイヴだけは、私から離れずに食らいついている。


 しかしファウストは、歯を食いしばったまま何も口にしはしない。

 輝かしい相貌は影もなく、苦渋に満ちた表情で、ただ静かに涙を流している。

 純白に染まった己の剣を握って、私に揺れる瞳を向けて。


 ホーリーとイヴのように、私を止めようとするわけでもなく。

 しかし決して引こうとはせず、震えながらも真っ直ぐにたたずむ。


 三人とも、こんな私の目の前にいては、いつこの魔力の被害を受けるかわからない。

 寧ろ一番近くにいる彼らは、真っ先にこの無差別な破壊を受けてもおかしくないかった。

 それなのに何故、ここまで食らいついていることができるのかと、そんなことを頭の片隅で思った時。

 ファウストが『真理のつるぎ』を両手でしっかりと握りしめて、ゆっくりと口を開いた。


「ドルミーレ。私は、あなたを愛していた。いや、愛している。心から、誰よりも。そう、信じていたんだ」


 恐ろしいだろうに、怖くてたまらないだろうに。

 それでもファウストの言葉は真っ直ぐで、迷うことなく私へと向けれれていた。

 それは、いつも彼がくれる、嘘偽りのない心地いい言葉と同じだ。


「けれど今、私は貴女がわからない……わかっていたつもりになっていた自分が愚かだと思うくらいに、貴女がわからない。貴女は私の理解をあまりにも超えていて、このまま愛し続けて良いのか、そもそも愛して良いのか、それすらもわからないんだ……」


 結局それが、人間ではない私と人間である彼の、決して超えられない壁だということ。

 神秘を持つ者の中でも特に逸脱した私が、神秘を持たない人間とわかり合うなんてことは、はじめから無理だった。

 私には、誰かと絆を結ぶなんてことはできなかったということだ。

 私がいくら愛しても、破綻は目に見えていた。


「だから、ドルミーレ。私に今できる決断は、この国を守ることだ。でも、あなたを手にはかけたくない。そんなことはできないし、したくない。だからお願いだ────この国から、出て行ってくれ……!」

「────────!!!」


 震える手で剣を構え、こぼれる涙を拭うことなく、ファウストは霞んだ声で叫んだ。

 それは明確な拒絶。決定的な、離別を表す姿勢だった。

 私はとうとうハッキリと、彼から拒まれてしまったのだ。


 私が心から愛し、全てを捧げても良いと思った人から。

 この世界の全てよりも私が優先した人から。私は。


 あぁ……。


「何もかも、消えて無くなってしまえば良いのよ!!!!!」


 真っ白になった頭で、爆発した感情のままに叫ぶ。

 怒りと悲しみと憎しみでわけがわからなくなり、ただそれによって増大した力だけが膨れ上がる。

 持てる力を全て叩きつけて、この世界を全て壊してしまえば、どんなに気持ちがいいだろう。

 もうそんなことしか考えられなかった。


 そう。そうしてしまえばいい。すべてなくなってしまえば、もう何も苦しまずに済む。

 こんなくだらない世界、全て壊してしまえばいいじゃないか。

 そう、思った。


「ダメだよドルミーレ! あなたは、そんなことをするヒトじゃないんだから!」

「自分を見失っちゃダメだ! ドルミーレがいいヒトだってことは、私たちがよくわかってる!」


 そう思ったけれど。その瞬間、めげずに叫び続ける二人の姿が目に映った。

 それすらも、今はどうでもよく思えているはずなのに。でも、その姿が私の心に僅かな引っ掛かりを与えた。

 彼女たちだって、私に対して恐れ慄いて、今までの友情を嘘だったと証明したのに。

 だというのに、彼女たちが消えてしまうのは何だか嫌だと、そんなふうに思う自分がいた。


「……………………」


 彼女たちは壊せない。彼女たちが住む場所は壊せない。

 そんな気持ちが、何故だか私を思い止まらせた。

 だからといって、今更今までのように彼女たちを信じられる余裕は、まるでないというのに。


 それでも何故だか、力は萎んでいった。

 吹き荒れていた魔力は鳴りを潜め、城や街の破壊が収まる。

 辺りは一気に静まり返って、真っ赤な顔で泣きはらす二人と、そして決然とした表情のファウストの、その涙が流れる音だけが聞こえた。


 私の心を埋め尽くす、洪水のような悲しみは全く引かない。

 絶望を突きつけられた悲しみは、憎しみに似た黒さを産んで、そしてそれは怒りのように燃え上がる。

 それでも何だか、今はそれを叩きつける気がなくなってしまった。


 言葉を交わすことも、感情を向けることも、そして敵意を向けることも。

 もうその何もかもがどうでもよく思えてしまった。


「さようなら」


 だから私は、その場を去ることにした。

 ただ一言、別れの言葉だけを告げて。


 それは、幸福だと勘違いしていたこれまでへの、決別の言葉。


 それだけ言い放ち、私は空間転移で王都から離脱した。

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