91 恐怖を抱く瞳たち

「ファウスト……?」


 辺りは完全に静まり返っていて、向けられる全ての視線が遠巻きだ。

 私を捉えている瞳には、全て驚愕と畏怖が込められている。

 そしてそれは、私の最愛の人たちもまた例外ではなかった。


 今まで見たことのない、蒼白な顔をして私を見詰めるファウスト。

 いつもの愛情に満ちた瞳はそこになく、常に絶やされることのない優しい笑みもまたない。

 その目はまるで、ジャバウォックのような化け物に直面した時のような、絶望的なものだった。


 その変貌ぶりに、私は戸惑いを隠せなかった。

 そんな風に私を見る意味がわからない。

 ファウストが私に笑ってくれない意味がわからない。

 私が訝しげに名を呼ぶと、ファウストは口をパクパクさせた。


「────貴女は、本当にドルミーレなのか……?」


 何度か空振りした唇がようやく紡いだのは、そんな言葉だった。

 恐れに満ちたその問いかけは、現実を直視することを避けているかのように、とても朧げだ。


「何を言っているの? 私は私よ? あなたのドルミーレよ」

「ッ………………」


 私の回答は、彼の表情を更に強張らせただけだった。

 ファウストは信じられないものを見るような目で私を見続け、決していつもように笑ってはくれない。


「ド、ドルミーレ……」


 どうして、何が彼をそうさせるのか。

 疑問に頭を埋め尽くされている中、酷くか細い声が私を呼んだ。

 私がそちらに目を向けると、ファウストの隣に控えていたホーリーとイヴの姿を捉えた。


「ドルミーレで、いいんだよね……? 私たちの、友達の……」

「あなたまでどうしたのよ、ホーリー。今更何を……」


 ファウストと同じようによくわからない問いかけをしてくるホーリーに、私は思わず顔をしかめた。

 彼女また、普段の朗らかさなど影もなくなっていて、酷くおどおどとしている。


「ごめんドルミーレ。でも、さ。今の君は、とてもじゃないけど、今までの君と同じとは思えなくて……」

「え…………?」


 ホーリーの腕を強く握りながら、イヴがつっかえながらそう言った。

 常に冷静で飄々としている彼女も、やはりその表情には恐怖の色を浮かべている。

 そんな彼女が懸命に述べた言葉で、私はようやく自らの現状に気付いた。


 私は今、世界から引き出した絶大な力を、全く押さえることなく晒している。

 それに、外部武装として制限しているとはいえ、今の私には真理の力が漲っている。

 それを全身から全力で放出している私は、あまりにも威圧的な存在なのだろう。


 ヒトの枠を逸脱しかけているといっても、きっと過言ではない。

 一個人のヒトが扱える神秘の力の域を大幅に超え、真理という真相をまとっている私は、周りから見たら次元の違う存在に思えるだろう。

 例えるならば、神やそれに類するもののような、隔絶したものに感じる恐ろしさのようなものを、抱いていてもおかしくはない。


「ご、ごめんなさい……」


 私は慌てて、吹き荒れていた力を引っ込めた。

 私自身が抱く力自体はもちろん無くならないけれど、暴力的な威圧はなくせるだろう。


「ほらファウスト、私よ。あなたがよく知る、私よ」


 これでもう大丈夫。そう思って私は笑いかけた。

 しかし、向けられる表情は全く変わらなかった。


「ば、化け物…………!」


 言葉を失っているファウストの代わりにそう声をあげたのは、彼の後方でしばらく唖然としていた王だった。

 彼を取り巻く城の人間と共に、今にも泣き崩れそうな顔で、精一杯の虚勢を張って叫んでいる。


「災いを運ぶ魔女……やはりお前は、化け物だな……! 怪物を屠る怪物。お前がこの国を、この世界を破壊するのか……!」

「何をめちゃくちゃなことを……!」


 ひっくり返った声で、しかし懸命に威厳を保とうとしながら、とんでもないことを宣う王。

 流石にそれは論理が破綻していて、私も反論の気持ちを押さえられなかった。


 この国、ひいてはこの世界を破壊しようとしていたのは、紛れもなくジャバウォックだ。

 それはこの場にいた誰しもがわかる、明確な事実だったはずだ。

 それなのに、それを打ち倒した私が、どうしてそんなそしりを受けなければならないのだろう。


「────ねぇ、ファウスト。何とか言って頂戴。あなたならわかるでしょう? 私は、あの魔物からこの国を守るために戦ったのだって」

「……あ、ああ」


 王の叫びを皮切りに、周りの人間もまたわらわらと非難の声を上げる。

 堪らずファウストに助けを求めると、彼は未だ引きつった顔をしながら、とても弱々しく頷いた。


「ドル、ミーレ……貴女は確かに、ヒトの敵ではない……」

「ええ、そうよ。私は、あなたの────」

「わかっている、わかっているんだ……わかっているはずなのに……すまない。私は今、貴女が怖ろしい」

「…………!?」


 信じられない言葉に、私は愕然としてしまった。

 ファウストが、私の最愛の人が、永遠の愛を誓った人が、私を怖ろしいと言った。

 私が何よりも大切にし、混沌の魔物の脅威から守った人が、私を────。


「私は、貴女を理解しているつもりだった。魔法という神秘を持つ、特別な女性。人間ではないがヒトではあり、心を交わすことのできる、対等な存在だと、そう思っていた」

「何も間違ってなんかいないわ。私はあなたがよく知る私。それ以上でもそれ以外でも、何でも……」

「いや……いや、私は貴女のことがわからなくなってしまった────何もわかっていなかったんだ。ドルミーレ…………貴女は一体、何なんだ」

「ッ────────」


 心臓が止まった。止まったような気がした。

 身体中の熱が消失し、全身が氷のように冷たくなる。

 そこから溢れ出た冷た過ぎる汗だけが、今私の存在を証明している。


 なんで、どうして、何故そんなことを言うの?

 私はずっと、はじめから私でしかなくて、何も変わっていないのに。

 私が何から生まれた存在でも、どんな力を持っていたとしても、ファウストを愛する一人の女であることには変わりないのに。

 それを彼もわかってくれて、そして愛してくれていると思っていたのに。


 なのにどうして、化け物を見るような目で私を見るの……?


「いや……やめて、ファウスト……私は……」


 絶望が私の全てを満たし、心が冷たくなっていく。

 ジャバウォックを目にした時の嫌悪感なんて馬鹿らしく思えるくらいに、今この瞬間こそが最低最悪の気分だった。

 こんなの受け入れられない。信じられない。


 けれどどんなに拒んでも、ファウストは私を不安げな目で見る。

 その視線から逃れたくて、私は縋るように友人たちの方に顔を向けた。

 彼女たちは、いついかなる時だって私の味方だから────。


「ド、ドルミーレ……私たちはちゃんと……」

「だ、大丈夫だ、ドルミーレ……」


 私を心配そうに見詰めるホーリーとイヴ。

 しかしそこには拭いきれない戸惑い、いや恐怖があって。

 いつもなら透かさず庇ってくれるというのに、そう突き動かす覇気が彼女たちからは見受けられなかった。


「ホーリー、イヴ……あなたたちまで、私を……」

「ち、違うよドルミーレ! 私はちゃんと、あなたの味方だから……!」

「そうだ。私は君のことを決して疑ったりなんてしてない!」


 重なって降ってきた絶望に、私は足が砕けそうだった。

 常に心の支えだった友人たちの、その蒼白な顔が私を見ている。

 それがどうしようもなく、堪らなく辛くて。頭が真っ白になって、心が真っ暗になっていく。

 だから、二人がどんなに心からの言葉を叫んでくれても、耳がきちんと拾ってくれなかった。


「私は、何もしてない……私はただ、大切な人たちを守りたかっただけ……あの化け物から、救いたかっただけなのに…………」


 私はただ、自分の持てる力の全てを使って、必死に戦っただけ。

 そうしなければ世界は混沌に飲み込まれ、全てが台無しになって崩壊してしまうところだった。

 だから私は、それを阻止するために戦ったんだ。

 なのに、だというのに、どうして私は、その大切な人たちに恐れられているんだろう。


 身体に力が入らず、手にしていた剣を取り落とした。

 真理を内包した純白の剣は、とても軽い音を立てて地面に転がった。


「化け物を捕えろ……いや、殺せ! とてもヒトとは思えぬ力を持った、正真正銘の化け物だ。あの怪物と渡り合い、そして屠った。果てには空まで割り、この国は荒らされた! 誰かその化け物を殺すのだ……!」


 王が喚いている。私の力を恐れ、危惧している。

 世界を破壊する化け物を打ち倒した、その私はもっと怖ろしい化け物だと。

 そう断定して、悪として断罪せよと叫んでいる。

 周りの人間も、その言葉に何の疑問も持たず、非難の声は決して止まない。


 そう。はじめから私はそうだった。

 初めて人前に出た時から、私は怖ろしい力を持つ災いとして扱われてきた。

 どんな人のために頑張っても、守っても、助けても。人の身に余る、大き過ぎる力を持つ私は、畏怖の対象にしかならない。

 神秘からかけ離れた人間からしてみれば、特に。


 それでもそんな中で、私をちゃんと見てくれる人たちに出会えたと思った。

 でも今や、愛する人すらも私に恐れ慄いている。


「ファウスト! お前が招いたのだ、お前が責任とれ! お前が、その女を殺すのだ……!」


 誰もが私を恐れて動かない中、王が叫んだ。

 それを受けたファウストは目を見開き、震える瞳で私を見た。

 それは、愛ゆえの躊躇いか。それとも、単純なる恐怖か。

 いずれにしてもファウストは、一言も私の弁明を口にはしてくれなかった。


 何が間違っていたんだろう。何が足りなかったんだろう。

 私たちの愛は、揺るがぬ絶対のものだと思っていた。

 どんな困難の前でも、決して潰えることはないと。


 私が未だ、「愛している」と言えなかったからかもしれない。

 その一言がなかったから、私は彼の最後の信頼を得られなかったのかもしれない。

 こんなに愛しているのに、それを口にする勇気を持たなかったから、私は────。


「殺せ! その魔女を、この国と世界の敵を、殺せぇー!」


 王が絶叫する。しかし誰も動かない。動けない。

 そんな中ファウストは、震えながら小さな一歩を踏み出した。


「………………」


 そして、私が取り落とした『真理のつるぎ』に覚束ない様子で手を伸ばす。

 その手元には、ポツリポツリと滴が落ちいていて。

 それは彼の、苦渋の決断に他ならないと────。


 その瞬間、私の中で、何かが壊れた。

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