84 際限のない混沌

 この世が闇に沈み込んでしまう、そんな錯覚を覚える光景だった。

 安堵は束の間、事態は何一つとして解決していなかったのだと、私はその瞬間に理解した。

 恐らく、ただ目の前の魔物の退けただけでは、何の意味もないのだと。


 再び広間内で響き渡る悲鳴。

 私はすぐさま、入ってきた魔物の全てを魔法で外に吹き飛ばし、広間内に結界を張った。

 それで魔物たちの侵入を押さえることはできたけれど、それでも結界に張り付くようにして、魔物は未だ侵攻を試みている。


「ファウスト、あなたはここにいて。あれは私が引き付けるから」

「……! 何を言っているんだドルミーレ! 貴女だって危険だ!」


 再度の襲来に広間内が混乱している中、私の言葉にファウストは目を見開いた。

 決してそんなことはさせないと、私の手を強く握る。


「私なら大丈夫。それに、あの魔物の狙いは私だろうから。私と一緒にいると、あなたが危険なのよ」

「しかし、だからといって危険の中に飛び込ませるなんて私には────」

「このままではこの国の中枢が崩壊してしまう。それは、あなたも困るでしょう? 私、自分とあなただけならまだしも、ここの人たち全員を完璧に守り切る自信はないわ」


 私のその言葉に、ファウストは流石に口籠った。

 正直、あの魔物たちに負ける気はさらさらしないのだけれど、でももしものことがあるかもしれない。

 ここの人間たちが死のうが生きようが私には関係ないけれど、ファウストを思えばそうも言っていられない。

 だからこそ強気に言ってみると、ファウストは渋々と頷いた。


「……わかった。力のない自分が憎らしくて仕方ないけれど、今は貴女の言うことを聞こう」

「ありがとう。私がここから出ていけば、この広間に張った結界だけで問題なく安全だと思うわ。くれぐれも、出ないように」


 苦い顔をするファウストに、私はそっと笑みを浮かべてから手を放した。

 あのおぞましい存在を自ら誘き寄せるなんて、想像しただけで身の毛がよだつけれど。

 でもファウストが私の身を案じてくれる、その事実だけで勇気が出た。


「愛しているよ、ドルミーレ。貴女の無事を祈っている……!」


 私が扉から飛び出す時、背中に彼の声が飛んできた。

 同時に私を糾弾する色々な声も聞こえてきたけれど、そんなものは気にならない。

 今は彼が守りたいものを守るため、この現状を打破するの先決だから。


 廊下に出てみると、城の外が騒がしくなっているのがわかった。

 もしかしたら、いやもしかしなくても、城の外にも魔物が発生しているのかもしれない。

 城内の衛兵は外に出払っているのか、戦力にならないであろう使用人たちだけが慌てふためいて駆け回っている。


 誰も私に見向きしない中廊下を掛けると、廊下の窓から外が黒ずむのが見えた。

 それが先程と同様に、魔物が雪崩れ込もうとしているものだとわかった私は、同じように結界を張りながら外を目指した。

 城内への侵入を許してしまったら、結局同じことになってしまうからだ。


「ドルミーレ!!!」


 城の至る所に結界を伸ばしながら、玄関広間までやってきた時のこと。

 脇の方の廊下から、ホーリーとイヴが飛び出してきて、血相を変えて私の名を叫んだ。

 二人とも特に怪我をしている様子はなく、恐らく外の様子を察して駆けつけてきたのだろう。


「私は大丈夫。あなたたちは城内にいて……!」


 二人が無事なことにホッとしつつ、しかしのんびりと安堵を分かち合っている暇はない。

 だから私は一方的にそう告げて、二人の返答を待たずに駆け足そのままで建物から飛び出した。


 私が外に出た瞬間、魔物たちがまるで津波のように大挙を成してのしかかってきた。

 それを魔法で吹き飛ばし、結界を拡大しながら敷地内を駆け抜ける。


 城と門の間では衛兵たちが魔物と格闘していて、しかしそれはあまりにも多勢に無勢だった。

 通路や庭を埋め尽くす魔物たちは、最早景色の一部と言っていいほどに大量で、城内を警備する兵たちではとても太刀打ちできるとは思えない。

 それを助けてやるつもりはなかったのだけれど、多くの魔物は私に気付くと、一目散にこちらに向かってきた。


「────これは……!」


 数多の魔物を寄せつけ、それを退治しながら突き進み、私は一気に城門から外へと抜け出した。

 そこで目にしたものは、まるで闇の世界とでもいうような黒々とした光景だった。

 城から見渡せる王都の街、その至る所に魔物が跋扈し、人々に襲いかかり目につくものを破壊している。

 これは、以前ホーリーたちの街で見た光景と同じ、いやそれ以上の惨劇だった。


 飛び交う悲鳴と破壊音。土煙と血の匂いが一帯を満たす。

 地獄絵図といってしまえば簡単だけれど、崩壊と死が簡単に巻き起こるこの惨状は、私でも痛ましく思えてしまった。

 他人なんてどうでもいいけれど、これはあまりにも悲惨すぎる。

 悪という概念が無差別に無制限に全てを喰らい、破滅へといざなっているのだから。

 流石にこれは、見ていて気持ちの良いものではない。


「穢らわしい……! 彼の国で、こんな好き勝手を……!」


 気を抜けば吐き気を催すほど、醜悪でおぞましい光景。

 私はそれに嫌悪と怒りを抱きながら、周囲に散らばる石やレンガ片を矢に変えて、目に付く全ての魔物を穿った。

 それで魔物は呻きながら霞となって消えていったけれど、しかし次から次へと、どこかともなく湧いて出てくる。

 以前とは違い、キリがないように見えた。


 けれどそうはいっても、このままでは王都が壊滅してしまうだろう。

 この城の周辺だけでも魔物がうようよしているのだから、王都全体に出現していると考えても間違いではないはず。

 下手したら、もっと広域で現れている可能性だってある。

 ファウストを守ることができたとしても、この街や国が滅んでしまえば、彼はきっと悲しんでしまう。

 それだけは、絶対に避けなければいけない。


 どうにかしてこの魔物たちを全て始末しなくてはと、私がそう思った時だった。

 一際おぞましく、気持ちの悪い気配が背後から、城の方から感じられた。

 何事かと振り返ってみると、周囲で蠢いていた魔物たちが濃いもやとなって浮かび上がり、城の上部に集っていくのが見えた。

 それは王都の全土から、果てはその外からもやってきているようで、黒い濁流のような、可視化した瘴気のようなものが空を暗く覆って城に集っていく。


 そしてその黒いもやは、城の一番高い塔に絡むように固まっていた。

 まるで実体があるかのように奇妙な動きで蠢き、城の上部を覆う。

 それが大きくなればなるほど、濃くなればなるほど、醜い気配が色濃くなっていくのがわかった。


 周囲に魔物の姿はなくなった。

 しかし更に集った黒々としたもやが、そのおぞましさを全て受け持っていて、状況は何も変わっていないように思える。

 魔物ですらその全容が理解できていないというのに、わけがわからない状況が続き、私はただその様子を眺めることしかできなかった。


 そして、もやが何か明確な形を現し始めた。

 見たこともない、私が知るものには何一つ当て嵌まらない、奇妙な姿だ。

 しかしそれが、この世の何よりも気持ちの悪いものだということは、一目でわかってしまう。


『────────────!!!!!』


 全ての魔物が集ったものは、何かよくわからない形を成して、奇妙な叫び声を上げた。

 城の最上部に巨大な体でしがみつきながら。そしてその奇妙な頭部の、吐き気を催すような瞳で私を見下ろしながら。


 これが何かはわからない。

 でも、限りなく混沌とした存在だということだけは、本能が理解した。

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