83 魔物再び

 途端に広間の中で悲鳴が上がった。

 しかしそれによって、この暗闇に覆われた中でも、多くの人たちがまだこの場にいることが確認できた。


 身の毛もよだつような、気味の悪い雰囲気に飲まれそうになりながら、私はすぐさま立ち上がり、魔法を使って周りの気配を探った。

 黒い霧が充満したような室内の中に、先ほどと変わらない数の人の存在を感じられる。

 しかし同時に、明らかに人のものではない気配が夥しい数存在することもわかってしまった。


 これは魔物の気配。凡そ生き物とは言えないような、奇妙で気色悪い、あの化け物たちだ。

 それが、この空間を埋め尽くしている黒いもやに紛れて、大量に発生しているようだった。


「ファウスト────!」


 それを確認して、私はまず先に目の前にいるであろうファウストへと手を伸ばした。

 視覚では捉えられないけれど、魔法による探知ではそこにまだ存在を感じられたから。

 私が伸ばした手は正確に彼の腕を掴み、その存在と感触に思わずホッとする。


「ドルミーレ!? 貴女は無事なのか!? これは一体……!」

「あなたこそ無事でよかった。私から離れないで」


 私の腕を伝って自らに私を手繰り寄せたファウストは、張り詰めた声で私をしっかりと抱き寄せた。

 私はそれに身を任せつつも、しかしこの状況に対応できるのは自分だけだと、気を抜かずに周囲に意識を向けた。


 そして、数秒も経たないうちに黒いもやは少しだけ薄くなり、昼間の外光が窓を通って広間に戻ってきた。

 視界が回復したことへの安堵の声が上がったけれど、しかし目の前が視認できるようになったということは、そこにあるものが見えるようになったということで。


 未だもやが渦巻きながらも、薄暗く視界が回復した広間の中には、室内を埋めつくさんばかりの大量の魔物がいた。

 この場に集う人々よりも多く、その数を数えるのが馬鹿馬鹿しくなるほどに沢山。

 それをこの場にいる全員が目にし、広場にはこの世の終わりのような悲鳴が充満した。


「────────────」


 黒に霞む視界の中、魔物たちは奇声のような雄叫びを上げた。

 亡霊の怨嗟のような、呪いを呼ぶ悪しき歌のような。

 聞くだけで心が引き裂かれそうになる、そんな絶望的な叫びだった。


 脇に控えていた王族たちは途端に後退り、衛兵たちは引き腰になりながらも前に出る。

 人間たちは魔物とある程度戦い慣れてきたはずだけれど、こんな城の只中に現れたことなど未だかつてないのだろう。

 あれらに対する戦力が十分だとは、とても思えない。

 鎧を着込み剣を構えた兵士たちが、凡そ二十人ほどでは、勝利どころか王族を守れるかどうかも疑わしい。


「……仕方ないわね」


 穏便に、ただの大人しい女として振る舞い、それだけで終わらせたかったけれど。

 しかしこの場に魔物が現れ、そしてこの国の中枢を食らいつくさんとしているのならば、そうも言っていられない。


「ごめんなさいファウスト。最良の結果は諦めなければならないと思うわ」


 一方的に謝り、私はファウストの腕からするりと抜け出した。

 彼がそれに何かを答える前に、私はその手を強く握って言葉を制す。

 そしてすぐに周囲を見回し、この場にいる全ての魔物の姿を捉えた。


「消えなさい、目障りよ」


 魔法を行使する。

 広間の床に敷き詰められている大理石、その形状を変化させ、鋭い棘を形成した。

 人間と魔物を正確に区別し、今にも襲い掛からんと牙を剥く、魔物の足元にだけそれらを展開した。

 その全ては一瞬で同時に起こり、白い石の棘はこの場にいる全ての魔物の胴体を的確に貫いた。


 闇を光が浄化するように、黒々しく醜い体を白い棘が鋭く引き裂いた。

 魔物は再びこの世のものとは思えない声で絶叫し、そしてあっさりと霞となってその実体を消し去った。

 それと同時に黒いもやも晴れ、室内はゆっくりと通常の様子を取り戻していく。

 合わせて床の大理石を元の形状に戻せば、まるで何もなかったかのようだった。


「今のは、一体何事だ…………」


 張り詰めた静寂の中、玉座で引きつった表情を浮かべていた王が、震えた声で呟いた。

 その顔には絶望に似た恐怖の色が張り付いていて、視点の定まらない目をキョロキョロと彷徨わせている。

 しかし、そんな王の疑問に答えられるものは誰一人いなく、静寂は継続した。


 程なくして、ゆっくりと全員の視点が私へと集中する。

 状況が掴めていなくとも、今の迎撃を私が行ったことは誰しもが理解できたのだろう。

 そしてポツリポツリと、人々は恐怖を込めた囁きを始めた。


「ありがとう、貴女のお陰で何とかなった!」


 そんな雰囲気を払拭しようとしてか、ファウストが声を上げた。

 努めて高らかに上げた声は、静まり返った広間によく響く。


「見たところ誰も怪我はなさそうだ。貴女がいなければ、私たちは今頃皆殺しにあっていたかもしれない」


 私を引き寄せ、丁寧にお辞儀をするファウスト。

 王子による感謝の意は少なからず周囲の意識を飲んだのか、僅かに雰囲気から訝しむ気配が薄れた。

 しかしそれでも、不可思議な現象を起こした私に対する視線は、未だ刺々しさを孕んでいる。


「ファウスト、これは一体どういうことだ。説明しろ」

「はい、父上。今現れた魔物と、この者は無関係でございます。そうでなければ、こうして私たちを守ってはくれなかったでしょう」


 混乱しきった王は、何とか玉座で姿勢を正して、慌ただしく声を上げた。

 そんな彼に、ファウストは膝をつき直し決然として答える。


「彼女の名はドルミーレ。魔法という大いなる神秘を扱い、我らを助けてくれたのです」

「ド、ドルミーレだと……! それは、あの恐ろしい魔女のことか……!」


 場がどっと騒めき、そこには悲鳴を入り混じっていた。

 先ほど魔物が出現した時と同じように人々はどよめき、場が更に張り詰める。


「その女が、例の魔女だというのか……ファウストお前は、この城に魔女を招き入れたのか……!」

「違うのです父上。それは全て誤解なのです! 彼女は決して────」


 声を裏返らせ、取り乱して喚き立てる王。

 それにファウストが慌てて異を唱えた、その時。


 謁見の間の全ての窓が轟音と共に破られ、そこから濁流のように黒い何かが雪崩れ込んできた。

 それは、黒いもやを伴った、魔物の群れだった。

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