67 ファウスト

 あまりにも自分のペースを貫くものだから、どうも飲まれてしまう。

 私に敵意を向けず、訝しむこともなく、奇異の眼差しを向けることもなく、ただ愛想良く微笑む青年。

 そんなことをするのはホーリーとイヴくらいのものだから、私は戸惑わずにはいられなかった。


 しかし、よく考えてみればそんなことはおかしい。

 私と対面し、そして名前を聞いた上でのリアクションとしては、あまりにも不自然すぎる。

 そう思い至った私はすぐに視線を戻し、淡白に口を開いた。


「一体どういうつもり? 私の名を聞いてそんな感想を口にするなんて、とてもこの国の人間とは思えないわ」

「私は率直な気持ちを述べたまでですが……どういう意味かお尋ねしても?」


 言葉に感情を込めず、無機質に返しても青年は笑みを絶やさない。

 まるで楽しく会話が進んでいるかのように、朗らかに首を傾げた。

 凛々しく引き締まりながらも、余裕と柔らかさを持ったその反応に、私は若干の苛立ちを覚えた。


 それにどういう意味かって、そんなことは人間の方が心得ていることのはずだ。

 しかし彼の問いに、含むところは一切感じられない。

 嫌味ではなく純粋な疑問というところが、逆に気に入らない。


「私の名はドルミーレ。あなたたちが魔女と呼んで恐れる女よ。魔物を従え国に災いをもたらすと、そう言い振りまいてね」


 だから私は吐き捨てるように回答を述べた。

 そんなことを私の口から言わせるなと、そういう意味を込めて。

 どんなに鈍くてもそれで察するだろうと思ったけれど、青年はこれといったリアクションはとらなかった。


「あぁ、そういうことですか。はい、それは存じております」


 かと思えば、そう頷きながらニッコリと笑いかけてくる青年。

 私は表情にこそ出さなかったけれど、内心驚きを隠せなかった。

 この男は、私が魔女だと承知した上で平然としているのだから。


「あなた……何を言っているの? 人間はみんな、私のことを酷く恐れているというのに。あなたは、私を疎ましく思わないの?」

「ええ。私には、貴女は美しい女性としか。それとも貴女は、私に恐れ慄いて欲しいのですか?」

「そういう、わけでは……」


 落ち着いた声色で丁寧に紡がれる言葉に、何だか調子が狂う。

 殆どの人間には敵意しか向けられたことはないし、そうでもなくともやはり遠巻きにされてきた。

 それにそれ以外でも、私はこの力や存在の在り方から、良くも悪くもいつも特別扱いを受けていた。


 しかしこの青年は、その一切を取り払って私を見ている。

 私をただの、どこにでもいる一人の女のように扱ってくる。

 それは私にとって初めての経験で、どう反応したものか全く答えが見当たらなかった。


「けれど、私は人間に恨まれている。厄災を運ぶと忌み嫌われている。そんな私を前にして、どうしてあなたは平然としていられるの?」

「確かに、あなたに対するそういった話は私も聞き及んでいます。しかし、私は自らの目で見たものを信じる。あなたは、噂に聞くような邪悪な存在では決してない」


 そう微笑むその顔は、鮮やかなブランドヘアも相まってキラキラと輝いていた。

 清純で清涼な顔つきは、そこに嘘や悪意の類のものを一切感じさせない。

 新緑のように清らかに澄んだ瞳が、彼の清廉さを物語っているようだった。


 初対面で、しかも私にとっては人間なんて信用ならない。

 だというのに、青年の言葉を疑う気持ちは微塵も生まれなかった。


「そうやって他人ひとの言葉を並べて私を脅かすなんて、貴女は意地悪な人だ」


 そう言ってカラカラと笑うものだから、調子が狂うなんてものじゃない。

 その無垢な笑みと偽りのない言葉をひたすらに向けられると、毒気を抜かれそうになる。


「しかし正直に申し上げると、私はその、噂の魔女を目指してやってきたのですよ」


 私がどうしたものかと困っていると、青年は笑みを落ち着けてそう言った。

 柔らかな面相はそのまま、しかし瞳に凛々しさを込めて、やや固めな声を出す。


「国内に現れるようになった魔物の元凶たる、魔女ドルミーレの討伐。それが私に課せられた命でした」

「…………!」


 軽やかに紡がれた言葉に、私は息を飲んで身構えた。

 しかしそう口にした当の本人は、凛々しさを保ったまま口元を緩めた。


「そう警戒なさらないでください。先程申し上げましたでしょう。私は自らの目で貴女を見、そして邪悪なる物ではないと判断した。危害を加えるつもりなど、毛頭ありませんよ」

「どういうこと? 私を殺しにきたのでしょう?」

「私が命じられたのは魔女の討伐。しかし実際この森にいたのは、貴女という素敵な女性だった。目的の敵はいないのですから、めいそのものが意味をなさない」


 何のことはないと、そういうように青年は朗らかに微笑んだ。

 そこには先程までの固さはなく、ただの好意的な色しか感じられない。


 つまりこの青年は、私がドルミーレだとわかりつつも、噂に聞く魔女だとは思えないから討伐しないと、そう言いたいの?

 私がみんなになんて思われていようと、自分が私から悪しきものを感じないから、それは取るに足らない噂に過ぎなかったのだと、そう思ったと?

 軽やかに言ってのけているけれど、それは相当な自信と判断力だ。


「……あなたは、本当にそれでいいの? 人間が噂する魔女というのは私で間違いないわ。その内容が事実かどうかは別として、それらの噂が私を指しているのは間違いないのよ」

「ええ。貴女の様子を見れば、きっとそうなのでしょう。しかし噂の中身の真偽に関しては、私は偽りとしか思えないのです。貴女のような人が、人々を貶める存在だとは到底思えない」


 私に真っ直ぐな視線を向け、青年は迷いなくそう答えた。

 誰の言葉に流されることもなく、先入観に惑わされることもなく、彼は自らの目と感覚を信じている。

 そして私を、無害なただの女だと信じて疑わない。


 人間なんて、ヒトなんて信用ならない。

 みんな自己中心的で、浅ましく愚かで、関わり合いになるだけ面倒だ。

 けれど、こうして私の目の前に現れたこの青年は、どうも悪い印象を覚えない。

 そのマイペースな様子や余裕に満ちた雰囲気に調子を崩されて、それが少し気に食わない気はするけれど。


 でも、こうして対面していることに抵抗を感じはしなかった。


「麗しいひと、ドルミーレ。どうか私と、ひと時の語らいを許しては頂けないでしょうか。私に、貴女という人を教えて頂きたいのです」


 敵意を向けないどころか、害意を持たないどころか、そんなことを言ってくる青年。

 無害そうな優しい笑みで、涼やかに爽やかに、悪意のかけらもなく純粋に。


 だからなのだろう。きっと、その清らかさに当てられたのだろう。

 少しくらいならいいだろう、そう思ってしまった。


「────なら、名を。私にだけ名乗らせるつもり?」

「これは失礼」


 私が気の迷いを口にすると、青年は嬉しそうに顔を綻ばせ、それからゆっくりと丁寧にお辞儀をした。


「私の名はファウスト。どうか気軽に呼び捨ててください」

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