61 魔物
それを表す言葉を、私は知らなかった。
そもそもそれが何であるかということも、私はさっぱりわからなかった。
黒い
いや、獣のようであるかも定かではない。見ようによってはヒトのようでもある。
そんな黒い何かが、町の中に大量に存在していた。
まるで野生動物が人里を襲っているように、複数のそれらが町中を跋扈し、暴れ回っている。
建物を壊し、木をなぎ倒し、そして家畜に飛びかかり、そして人に襲いかかっている。
町人たちは成す
「これは、一体何事なんだ……!」
まず声を上げたのはイヴだった。
受け入れ難い現実に呆然と足を止めながら。私の手を強く握りながら。
絞り出すように声をこぼして、驚愕を露わにする。
「何なんだ、あれ。動物……じゃない。どうして町が襲われて……」
「み、みんなを……助けなきゃ……このままじゃ、みんな……!」
顔を真っ青にしながら、ホーリーは震えた声を上げる。
しかし私の手を握る彼女は、半ば縋り付くように体を預けて来ていて、その震えはとても動き出せるものではなかった。
けれど、何もできないことを責められる状況ではない。
あの正体不明の黒い何かは、そこら辺の動物とは訳が違うように感じられたから。
獰猛な肉食獣の方がまだ優しく感じられる、悪辣とした敵意と
あれらがただそこにあるだけで、とても苦痛を伴う感覚に苛まれる。普通のヒトが、勇気を持って立ち向かえるものではない。
「あれは、もしかして」
あんなものは見たことがない。世界中を巡り、いろんな知識を身につけたけれど、知らない。
そんな形容し難い異形の存在の実在なんて、私は知らなかった。
けれど何故だか、私はあれらを見て、一つの単語を思い浮かべた。
「────魔物」
ハッと、息を飲む音が聞こえた。
無意識にこぼした言葉に気づきた時、また、ホーリーとイヴが引きつった顔で私を見ていることに気がついた。
尋ねるような、縋るような視線。けれど私はそれに答えることはできない。
首を横に振ると、イヴがゆっくりと口を開いた。
「そんなもの、空想の存在だと思っていた。けど、本当かどうかは別にしても、あれはそう呼び表してもおかしくないものだ……」
「お話に出てくる怪物ってこと……? そんなのが、私たちの町を襲ってるの!? ねぇどうしよう……!」
努めて冷静になろうとしているイヴと、パニックになりかけているホーリー。
あの黒い何かが魔物かどうか、今はそんなこと問題ではない。
肝心なのは、あれにこの町と人々が蹂躙されているという現状だ。
正直、存在そのものが
こうして見ているだけで、感じ取れる距離にいるだけで、何かよくないものが体の内側に流れ込んでくるようだ。
あれは関わり合いになってはいけないもので、対峙するなど以ての外だと、私の本能が告げている。
でも、なのに。私の心は、あれを何とかしなければならないと思った。
この力を持つものとして、あの魔物を何とかしないといけないと。
そんな、責任感のような感覚もまた、本能的に心が感じた。
けれど、私にとってはこの町がどうなろうと関係ない。
この町に暮らす人々のことなんてもっと関係ない。
私のことを悪魔と蔑んだ人たちが、魔物に襲われるなんて滑稽だとすら思える。
ただ、ここはホーリーとイヴの町だ。彼女たちの家族や、知人がいる場所。
つまりこの町に何かあれば、二人は酷く傷ついて、苦しむことになってしまう。
それは、私にとって何よりも耐え難いことだ。
「私が、なんとかする」
だから、私は二人の手を解いて前に出た。
この町のことも、そこに暮らす人間のこともどうでも良いけれど。
でも二人が悲しむことだけは避けなければいけないから。
「待つんだドルミーレ! あんなわけのわからないもの、危険すぎる!」
「そうだよ! ドルミーレに何かあったら……」
「大丈夫」
慌てて私を引き止めようと、手を伸ばしくくる二人。
私はそれを身をよじってかわして、二人に振り返った。
「確かにあれはよくわからないけれど、私にはこの魔法があるから。世界を変えるほどの力だもの。町を救うくらい造作もないわ」
不安そうな顔をする二人に、私は冷静な言葉を投げかけた。
魔法を戦闘や、それに類する行為に使用したことはないけれど。
でもあれらを打ち負かすのに足りない力だとは、到底思えないから。
「安心して、ホーリー、イヴ。あなたたちの大切なものは、私が守るから」
私は自分が持つこの大いなる力を、大切な友人のために使いたい。
世界の
そう思っているから、ここであの得体の知れない魔物に挑むことにも躊躇いは覚えなかった。
二人とも、不安の色は消えない。けれどそれでも、信じてくれる瞳が弱々しく私に向けられて。
私はそんな二人に、もう一度大丈夫と頷いて、暴れ回る魔物の群れに向かって駆け出した。
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