62 蹂躙
黒い何か────魔物は、容赦なく町の人たちを蹂躙している。
人々は必死に逃げ惑いながら、しかし俊敏かつ獰猛なそれらに及ばず、囚われ嬲られている者も多い。
魔物の目的は捕食か、あるいは惨殺そのものか。
その辺りは定かではないけれど、人に飛びかかった魔物たちは、その黒い
平和だった面影などどこにもなく、町は血と悲鳴に塗れた地獄と化している。
町外れに誰もいなかったのは、みんな必死に逃げていたからなんだろう。
ここに来るまでに死体やその痕跡が無かったのが幸いだけれど、しかしこの人間たちには逃げることしかできないと、そういうことの現れだ。
魔物がどういうものなのかはわからないけれど、少なくとも人間が持つ攻撃手段では歯が立たないのだろう。
町の北側へと皆一斉に逃げていく人間たちと、それに群をなして追いすがる黒い魔物。
南側からやって来た私たちは魔物の背をとっている形で、数えるのもバカバカしくなる大量のそれらに、向こう側の人間たちの様子はやや窺いにくい。
しかしこのまま魔物の進行を許しては、この町の人々を守ることは難しい。
だから私は、魔法で瞬時に空間を超え、魔物の群れと逃げ惑う人間の群衆の間に割って入った。
「っ………………」
私が現れたことで、魔物たちはその動きを静止させた。
そして皆一様に私を睨み、その悪辣な敵意を一身に向けてくる。
魔物たちと正面から対峙することで、その
黒い
ヒトのような体格をしつつ、獣のように四足で立つ。黒い
ただ醜悪な気配だけを撒き散らし、悪辣な殺意と敵意を剥き出しにして、頭部と思われる場所から獰猛な瞳を輝かせている。
これは生物なのか。それすらもわからない。でもヒトをはじめとする、様々な要素を所々に感じさせる。
ヒト型、人間のような形だけではなく、それ以外の種族のような形や、色々な生き物の形。
それらを一緒くたに混ぜ合わせたような、そんな混沌とした異形の存在だ。
それが正しいかは置いておくとして。
やはりこれは、魔物と呼ぶのが適切なように思えた。
「なんだ、お前は……!」
私の存在に気付いて、人間の誰かが声をあげた。
彼らに背を向け魔物たちに対峙している私は、あまりにも滑稽に見えるのだろう。
「危ない、君も逃げなさい! ソイツらに殺されるぞ……!」
「待って! あの真っ黒姿って、昔どこかで────」
危機的状況の中で、無謀にも魔物の前に躍り出た私を気遣う声が飛ぶ。
しかしそれとほぼ時を同じくして、過去の痛みを抉るような言葉もまた飛んできた。
私はこの七年間で身体的に成長しているけれど、出立ちは昔から大きく変わっていない。
背を向けたままでも、かつての惨劇をよくお覚えているヒトならば、かつての私を連想してもおかしくはない。
「お前、まさか……昔町を焼いたあの悪魔か! この町に災いをもたらした、あの……!」
「間違いない! 黒尽くめの怪しい少女! こんな時に、一体に何をしに来たんだ……!」
疑問は瞬く間に確信に変わり、人々は逃げるのを忘れて声を荒げた。
魔物たちが動きを止めているのを良いことに、恐怖を私への怒りに変えて、一方的な非難を挙げる。
でも、これは想定内のことだ。かつて私を否定し侮蔑した人たちが、私を見てかつての悪魔を思い起こさないわけがないのだから。
私は魔物に向かい合いながら溜息をついた。
想定していたこととはいえ、気持ちが重くなることは避けられない。
けれど今はそんなことよりも、この町をこれ以上の惨劇から守ることが優先だ。
だってここは、ホーリーとイヴの町だから。
「私がこれをなんとかする。あなたたちは逃げなさい」
感情に蓋をして、背を向けたまま声をかける。
今は自分自身の気持ちよりも、やるべきことに意識を向ける必要があったから。
そんな私の言葉に、人々が戸惑いの声を上げるのが聞こえた。
「何を言ってるんだ! さてはお前、俺たちを追っ払って町を奪うつもりか!」
「馬鹿なことを言っていないで、死にたくないのなら早く逃げなさい。あの魔物たちに殺されたいというのなら、私は止めはしなけれど」
「…………!」
思わずこぼれた私の冷え切った言葉に、人間たちは大きく息を飲んだ。
背を向けているから様子は窺えないけれど、私という悪魔のような存在と、明確な脅威である魔物を天秤にかけているのだろう。
今自分たちが最も避けなければならないのは、一体どちらなのかと。
その迷いはあまり長くはなく、私の登場で足を止めていた人間たちは、また声を上げて逃走を再開した。
不安や疑問を含みながらも、今はこの場を生き延びることに専念して、目の前の脅威から距離を取る。
しかし私に納得していない人も多いのか、逃げつつも私を監視して、距離をとっているだけの人も少なくはなかった。
そんな風に人間たちが大きな動きを見せても、魔物たちは特にそれを追う素振りを見せなかった。
むしろもう私にしか興味がないというように、その邪悪な視線を私に集中させている。
魔物はまるで地面から湧き出ているかのように、どこからともなくその数を増やし、闇の壁のように視界を黒に埋め尽くしていく。
猛獣の巣に飛び込んでしまったかのように、向けられる殺意が私の全身を突き刺す。
それは明確な敵意で、あらゆる邪悪な感情の混沌だった。
生物が抱けれるであろう、全ての悪辣な感情を混ぜ込んで煮詰めたような、そんな醜悪さ。
まるで、私という存在が憎まれているような。この世に存在していることを恨まれているような。
普通であれば、対面するだけで心が折れてしまいそうだけれど。
でも生憎、私はそういう感情を向けられるとこに慣れているから。
奇異の眼差しで、遠巻きにされることは初めてではないから。
嫌ではあるけれど、膝を折るほどでない。
「あなたたちが何なのかはわからないけれど……目障りよ。消えて頂戴」
魔物たちから向けられるものと同様に、いやそれ以上に、私もあれらに強い嫌悪感を覚える。
存在してほしくない、目の前にいて欲しくない、この町を荒らされたくない。
その気持ちを、私に対して害意しか抱いていいない存在に、堪える必要なんてないだろう。
だから私は、躊躇うことなく魔法を行使した。
魔物が何であるかわからない以上、彼らを滅ぼすのに何が有効かはわからないけれど。
それでも実態がある、形のある存在だというのなら、圧倒的な力でねじ伏せれば問題はないはず。
私が戦闘態勢に入ったことを感じ取ったのか、魔物たちもまた身構え、そして一斉に飛びかかって来た。
黒い
けれどそんな攻撃は、私には何の脅威にも感じられなかった。むしろ魔物の存在感の方が、害を感じて避けたいものだ。
飛びかかってくる魔物たち。しかしそれらの牙や爪が私に到達する前に、いやそもそも近づく前に、既に勝負は決していた。
私が行使した魔法により、燦々と降り注ぐ暖かな太陽の日差しが収束し、天空から瞬時に降り注いだからだ。
世界とその自然に恵みをもたらす日の光を、大量にかき集めて束ね、強烈で鮮烈な輝く熱とする。
雪よりも白い閃光が刹那に煌き、灼熱の光線と共に視界を埋め尽くした。
それと同時に熱い突風が吹き荒れたけれど、それはおまけみたいなもので。
視界が晴れた時には、太陽の力を凝縮した光線は、目の前に広がっていた全ての魔物たちを焼き払っていた。
魔物たちの跡形はなく、残骸すらも焼き尽くしたのか、あれらの痕跡は全く残っていない。
私が灼熱の光を振り下ろしたことすらも、まるで一瞬の夢だったかのよう。
しかし、魔物の大群を一斉に掃討するために降り注いだ光は、町の中心にそびえる巨木にもその熱を及ぼしていて。
町を見渡していた巨木の殆どが焼失し、切り株ほどしか残っていない様が、今までの現実をありありと物語っていた。
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