42 人間とは

 どうして私が、ドルミーレという名を素直に受け入れられたのか。

 何の疑いもなく、当たり前のように自らのものとして認識できたのか。

 それは、この名前こそが私の存在を表していたから。


 生まれいずる前より、私という存在が定まっていた時から付けられていた名前。

 だから私は、自らが人間ではないと悟り、自身に疑問を持ったあの時、与えられた本来の名前に気付いたんだ。


「私がその『眠り』だというのなら────」


 少しずつ言葉の意味を理解しながら、私はおずおずと尋ねた。


「つまり私は、ヒトではないということ? 世界の意志によって生み出された概念のようなもので、それがただヒトの形をしているだけの、ヒトではないものなの?」

「いいや、お前はヒトだ。自らの心を持ち、意志を持つ一人のヒトで間違いない。世界はお前をヒトとして生み出した」


 静かに首を横に振る竜王に、私は思わず安堵の息を吐いてしまった。

 それは半ば無意識で、自分でもどうして安心したのかはわからなかった。

 ただ、自分が人間ではなく、また他の何物でもなく、そしてあらゆる前例に倣わない存在であるという事実は、ヒトですらないのではという不安に繋がっていた。

 そこに不安を覚えた理由は……わからない。


「ならつまり、世界が他の六の種族に神秘と役割を与えたように、私にその『眠り』という役割を与え、ヒトとして生み出したと」

「そうだ。より強い意志と役割、そして神秘故にお前はそれに特化した存在になった。しかしお前の位置づけは、基本的に我らヒトと変わりはない」


 世界を整え支える神秘を持つ、他の種族たち。

 それに対し私の神秘は、世界そのものに干渉できるほどの力を持ち、ヒトビトの神秘を更に深めるためのもの。

 確かにその違いは、他の種族やその神秘とか毛色が異なる。いずれにも当て嵌まらないのも仕方がないと思えた。


 しかしそれでも、まだ疑問は残る。

 私が食らいつくように見上げると、竜王は問い掛けを許すように小さく頷いた。


「────私が何なのか、それで少しはわかったきたわ。けれど、私がそういった役割を持って世界によって生み出されたのならば、私はどうして人間と同じ姿をしているの? 私は人間ではないのに」

「それに対する答えには推測が混ざるが……恐らく、人間が神秘を拒んだからだろうな」

「拒んだ? 人間は神秘を得られなかったのではないの?」

「否。得られなかったのではなく得なかったのだ。人間とは、神秘を拒んだ者たちの子孫なのだ」


 私の今までの認識とは、あまりにも異なる事実に驚きを隠せなかった。

 人間は神秘を得られなかった劣等種族というのが彼らの自己認識だし、私もそういうものだと思っていた。

 けれど、自らの意思で得なかったとなれば話は変わる。


 竜王は目を見開く私を見て可笑しそうに目を細めてから、昔を懐かしむように頭を持ち上げた。


「遥か昔。ヒトが知性を持つ生物に進化し、この星に跋扈するようになった頃。世界はヒトの進化を祝福し、神秘をもたらした。しかしそういった、通常の生物の範疇を超える力を、よくないと考える者たちがいたのだ。ヒトはヒトの力で生き、繁栄するべきだと」

「未知を知り、大きな力が得られるのに? 更なる進化が望めるというのに?」

「ああ。彼らは地力を望んだ。自らの進展は自らの力で成すべきであり、大いなる存在からの助力は過干渉だと。彼らの主張はそうだった。まぁ、理解できなくもない」


 まるでかつての旧友を語るように、竜王はどこか誇らしげだった。

 力や能力を授かるのではなく、飽くまで自らの力で前に進みたい。

 そう思った当時のヒトの考えは、確かに間違ったものではない。

 けれど恩恵に甘えてしまうのが大概で、神秘を受け取った他のヒトビトが間違っているとも、また言えないのだろう。


「……人間がそういう存在だというのはわかったけれど、それと私はどう繋がるの?」

「つまり、我らヒトの原型は人間だということだ。その他六種族は、神秘の力を受けて異なる進化を遂げ、そこから影響を受け派生した存在。人間の姿形こそがルーツであるからこそ、我々は人型なのだ」

「なるほど……」


 確かに容姿が異なるどの種族も、人型の枠からははみ出ていない。

 人型が何かと言われれば、それは人間の形ということなんだ。


「人間こそがあらゆるヒトのルーツ。それが顕著なのが『おかしの国』と『おもちゃの国』だろう。あの二種族は、ヒト即ち原型である人間の娯楽性や嗜好性の延長上のものだ」

「確かに。だからこそあの国のヒトビトやその神秘は、ヒトの生き方をベースにした独特なものだった」

「そうだ。つまりヒトとは人間ありきなのだ」


 特に気にしてこなかったけれど、そう言われると納得してしまう。

 妖精の姿は肌の色や羽を除けば人間とほぼ変わらないし、人魚も上半身だけ見ればまたそうだ。

 動物の国のヒトビトは外見そこ動物だけれど、二足歩行や、前脚を手として使う生態は人間をベースにしているからこそ。

 そしてここの竜もまた、その基本的な体格は人間に準拠したものだ。


 一度に様々情報が与えられて混乱しつつも、けれど納得できる部分も多い。

 今まで見てきたものを反芻して照らし合わせてみれば、今まで気付かなかったことが不思議にすら思える。


「そうして人間から枝分かれして神秘を会得した我らだが、神秘を得なかった者たちは、大元である人間の形を保った。しかし世界はそんな彼らにも神秘を与え、世界とより深い繋がりを与えたかったのだろう」

「だからこそ私を、ヒトの原型であり、そして彼ら自身と同様の人間の形に生み出し、『にんげんの国』の中に置いた。私の『眠り』の役割で、彼ら人間を夢に誘ない、少しでも神秘へ近づける為に……」

「そう考えることが妥当であろうな」


 竜王は再び私を見下ろし、そう頷いた。

 断定はできないのだろうけれど、そう推察するに足る材料は整っている。

 確かに、理屈は通っているように思えた。


 夢へと誘なうというのが、具体的にどういうことかはわからないけれど。

 でも私がその役割を持って生まれ、そしてその場所が『にんげんの国』の只中だったことを思えば、人間を神秘に関わらせたいのは明白だ。


「……けれど、彼らは神秘を、私を拒んだわ。悪魔だと蔑んで」

「長い時を経て、先祖が神秘を自らの意思で拒んだという事実は薄れ、神秘を得ていないことに劣等感を抱いていると聞く。しかし、潜在的な神秘への忌避感があるのだろう。それが、神秘と未知への恐怖を生んでいるのだ」

「………………」


 そういった背景を鑑みても、彼らの醜さの印象は変えられなかった。

 あの視線と言葉を思い出せば、今でも心が黒く渦巻いてしまう。

 かつての先祖は明確な意思を持って、高潔な決断をしたのかもしれないけれど。今の人間はエゴに塗れてしまっている。

 そんな彼らに、私は神秘へと誘なってやらなければならないのだろうか。


 でも海王が言っていた。

 私は自らの役割に縛られる必要はなく、それを果たさなくてもいいと。

 私にその『眠り』という役割があったとしても、それを全うする責任はないんだ。

 飽くまでそう位置付けられて生まれただけ。その力を持っているだけ。


 そう考えると少し気が楽になった。

 役目に準ずるのが嫌なわけではないけれど、あの人間たちに関わるのはまだ抵抗があるから。


 気持ちが落ち着き、そして少しずつ頭が整理されていく中で、私はとある疑問に行き着いた。

 思えば、もう少し早く気にするべきだったかもしれない。


「聞いておいてなんだけれど、どうしてあなたはそんなによく知っているの? 今まで出会った各国のヒトたちは、ここまで具体的には教えてくれなったわ」


 私が尋ねると、竜王はあっけらかんと答えた。


「理由は二つ。一つは我ら竜の神秘が故。そしてもう一つは、私が、神秘を賜ったその時より生き長らえているからだ」


 老竜の言葉に、嘘偽りの色は窺えなかった。

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