21 決別
「言っている意味が、わかんないよ……」
まず口を引いたのはホーリーだった。
胸の前で強く手を握り合わせ、戸惑いに溢れた目を私に向けてくる。
「アイリスが、人間じゃないとか、『アイリス』じゃないとか……全然わかんない。ドルミーレって、何……?」
「……それが君という存在の名前、ということなのかい?」
不理解を示すホーリーに対し、イヴニングは訝しげに眉を寄せながらそう言った。
同じように理解を難しく思いながらも、必死で頭を回転させている。
「神秘の力を持つ、人間とは異なる存在。他の種族とも違う、君という独自の存在。それが君、ドルミーレだってことかな? アイリスという名は、君を表す本来の名前ではなかった……」
「ええ。そういうこと」
「…………とりあえず言葉を並べてはみたけれど、なかなか理解は難しいな」
正解を口にしながらも、イヴニングはすっきりとしない表情のまま。
言葉としては理解できても、その概念を理解するところまではいっていないのだろう。
私ですら、まだそれを正確に他人に伝達できる自信はないから、仕方のないことだ。
「イヴがわかんないんじゃ、わたしにはもっとわからないけど……でも、ねぇアイリス。わたし……」
「────もう、私をそうは呼ばないで」
「ご、ごめん……」
『アイリス』という名前が嫌いなわけではないけれど。
それでもその仮初の名前を聞くと、私自身の偽りを感じられて心地良くない。
その名前は、私が人間でないからこそ与えられた、紛い物の証のように思えて。
私が反射的に指摘すると、ホーリーはビクッと体を縮こめた。
けれどそれでも臆することなく、言葉を続ける。
「────わたしは、あなたが人間じゃなくたって、名前がちがったって、なんとも思わないよ。だってあなたはあなただから。もし大人が言うような悪魔みたいな存在だったとしても、わたしたちの友達だよ……!」
「…………………………」
おっかなびっくり震えながら、それでもホーリーは私をまっすぐ見つめてそう声をあげた。
そう言えるのは、きっと私が人間と、他のヒトたちとどう違うのかを知らなから。
それでも口にする言葉に偽りがないことは、彼女の潤んだ瞳を見れば明らかだった。
「そうだよ、アイ────ドルミーレ。君がどういった存在でも、友達であることには変わらない。わたしたちは、これからも今まで通り、君と仲良くしたいんだ」
「…………………………」
イヴニングもまた、真っ直ぐな言葉を飛ばしてくる。
普段は気の抜けた彼女も、その瞳は真剣そのものだ。
二人の確かな想いが、言葉と瞳に乗って私に突き刺さる。
それはとても予想外の反応だった。
自分自身でもまだ理解しきれていない、私という未知の存在を目の前にしても、まだそんな温かな心を向けてくれるなんて。
制御しきれていない力を持って、ヒトビトに災いをもたらすかもしれない私を、まだ友達と呼んでくれるなんて。
それは、素直にとても嬉しかった。
けれど、だからこそ恐ろしい。
今はまだそうでも、いつ彼女たちが私を恐れるようになるのか。
自分の存在に気づき始めた私は、きっとこれから大きく変わっていく。
私の中で渦巻く力が、私をこのまま閉じ込めては置かないだろう。
そうなってから二人に離れられるのは、きっと心が張り裂ける。
受け入れてもらったと思ってから裏切られるのは、身が切り裂かれる思いだろう。
彼女たちはとても優しく温かく、他の人たちとは違うけれど。
それでも二人もヒトなのだから。無限に、無償に想ってくれるとは思えない。
私が人間ではないことは受け入れられても、私がヒトの範疇を超えてしまったら、理解なんてできるはずもないんだから。
私自身まだ自分のことはわからないけれど。何にも当て嵌まらない自分が、この身に宿す未知の力を持つ自分が、尋常なものではないことはわかる。
おそらく私は、ヒトですらない。
人間の形をして生まれ、ヒトのように存在しているけれど、きっともっと違うもの。
それが明確になった時、私は傷つきたくない。
だって、見知らぬ赤の他人に嫌われ罵倒されただけでとっても苦しかったのだから。
彼女たちに拒絶され、蔑まれることなんて耐えられるわけがない。
ホーリーとイヴニングならばそんなことはないと信じたいけれど。
でも、彼女たちもヒトだから。私とちがって、人間だから。
今の私は、ヒトの心というものが信じられない。
「ありがとう。ホーリー、イヴニング」
私はもう、これ以上傷付きたくない。
希望を抱くことの恐ろしさを、身に染みてわかってしまった。
ヒトの悲しさ、恐ろしさ、醜さを知ってしまった。
「でも私は、もうあなたたちと会うつもりはないの」
だからここで、二人とも決別しなければならない。
「私は人間ではなく、ヒトですらないかもしれない。あなたたちの友人『アイリス』なんて、はじめから存在しなかった。私はそれに気付いてしまったから。ヒトでない私は、もうヒトとはいられない」
「そんなこと関係ないよ! わたしたちはあなたとずっと一緒にいたい!」
「いいえ、ダメ。私たちははじめから相容れない存在だったのだから」
身を乗り出したホーリーに、私はもう一歩後退りながら首を横に振った。
「ヒトは、人間は私を受けれられない。受け入れてくれない。今は違っても、いずれあなたたちも私を受け入れられなくなる。だから、もう一緒にいるべきではないの」
「決めつけないでよ。わたしたちは、君が違うからという理由で拒絶なんか、絶対にしない!」
「そうかもしれないけれど、そうではないかもしれない」
私の否定に、イヴニングは言葉を詰まらせた。
彼女は、私が言わんとしていることをきっと理解している。
「私はもう、ヒトを信じることができない。人間の中で生きていくことなんてできない。だからもういいの。私は一人で生きていく、別に問題なんてないわ。私は生まれた時からずっと一人だったのだから」
二人の顔が悲しみに歪んでいくのがわかる。
今にも泣き出しそうになっているのを堪えている。
それほどまでに、今の彼女たちは私のことを想ってくれているのだろう。
でも、それがこの先も続くのか────。
「私は、ここを出ていこうと思っているの」
二人の顔を見ていると心が揺らいでしまいそうな気がして、私は背を向けた。
今の彼女たちの想い、優しさに希望を抱いてしまいそうになるから。
信じられないのに、もう一度だけと信じてしまいそうになるから。
「私という存在が何なのか。私の持つ神秘が何なのか。それを知りたいから。自分自身を知って、自分の力を知って、私は私が生まれてきた理由を知りたい」
「アイリ………………ド、ドルミーレ……」
ホーリーのかすれた声が背中に届く。
今すぐ私に飛び付きたいのを必死で堪えている声だ。
引き留め、想いを伝えたいのを、きっと私を想って堪えている。
「帰って、来るんだろう……?」
「さぁ…………。でもどちらにしても、もう会うことはないと思う。だって私たちは、はじめから住む世界が違ったんだもの」
弱々しいイヴニングの問い掛けに、振り向かずに答える。
万が一ここに帰ってきたとしても、私たちが相容れない存在である事実は変わらない。
今までのように一緒にいることはもうできないから。
「さようなら。ホーリー、イヴニング。あなたたちに会えて、よかった」
もう顔を見ぬまま、私は最後の言葉を告げた。
そんな私に、涙まじりの声と共に手が伸びてくるのがわかったけれど。
でももう私は、それ以上触れ合うつもりはなかった。
だから私は彼女たちの手が届く前に、力を使って二人を森の外へと瞬時に移動させた。
今まではそんなことはできなかったけれど、自らの存在を自覚し始めた今の私には、力で空間を飛ばすことも可能だった。
急激に静けさを取り戻した森の中で、私は小さく蹲った。
暗く静かになると、二人の顔と声が頭の中に溢れかえる。
それを必死で押し殺し、全てと決別するのだと、私は自分に言い聞かせた。
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