88 美しいもの

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「アリスちゃん!!!」


 花園 アリスが闇に抱かれ、王都から姿を消した。

 クリアランス・デフェリアが伸ばした手はくうを切り、彼女は勢い余って地面に転がり込んだ。


 クリアは回転の勢いそのままに体勢を立て直し、すぐさまその場から飛び立とうと地に足を踏ん張る。

 しかしそんな彼女の前に、軍服を着た魔女狩り、シオンとネネが立ち塞がった。


「どこに行こうというの? アリス様には指一本触れさせないわ」

「ッ…………!」


 ウェーブのかかった長い茶髪を耳に掛けながら、シオンは努めて冷静に、静かに言葉をかけた。

 しかしそれでも内なる想いは言葉になって、どうしても重い声となる。


「クリアランス・デフェリア。あなたは覚えていないでしょうけれど、私たちは片時もあなたを忘れたことはない。そんなあなたを、みすみす逃したりなんてしないわ」


 シオンの言葉に、クリアは反応を示さない。

 ただゆっくりと立ち上がり、帽子のツバで隠れた顔を向けるだけ。

 しかしそれは想定内のことだった。


 六年前、彼女たちの両親はクリアによって殺害された。

 突如として暴走的なレジスタンス活動を始めたクリアの、多くの犠牲者の内の二人。

 殺めた当人が覚えていなくとも、遺された者には深い傷が残る。

 これは、そういう関係だからだ。


「私たちは魔女を憎まず、魔法使いと魔女が争わない形を目指してる。でもね、クリア。アンタだけは見過ごせないんだよ!」

「…………見過ごせない、ねぇ」


 シオンの傍に立ち噛み付くように言ったネネの言葉に、クリアが重い口を開いた。

 気の抜けた、溜息交じりの軽い声が鈴の音のように騒音の中を通り抜ける。


「そんなこといきなり言われても困るわ。私が何をしたっていうの?」

「あなたは私たちの両親を殺した。それだけじゃ飽き足らず、死体をバラバラにして……!」

「あぁ……そう。一人ひとりのことはよく覚えていないけれど。でもきっとあなたたちのご両親は、とっても素敵なものを持っていたのでしょうね」


 怒りに震え、しかしそれを噛みしめながら訴えるシオンに、クリアは穏やかに笑った。

 まるで淑女が紅茶片手に語らっているような、呑気な笑い声。


「だってあなたたちも美しい。だからきっとご両親も、さぞや美しいものを持っていたに違いないわ。私が、欲しくなるような」

「ふざけんな!!!」


 コロコロと笑うクリアに、ネネが溜まらず怒鳴り散らした。

 眠たげな仏頂面はそこにはなく、とろけた目尻は釣り上がり、その顔には覇気が満ちている。


「父さんも母さんも、物じゃない! アンタなんかに、アンタなんかに……!」

「じゃあ仕返しに私を殺す? あなたたちは魔女狩りなんでしょう? その使命の元、私を狩る?」


 声を荒げるネネに臆することなく、クリアは楽しげに問い掛ける。

 できるものならしてみろと、そうからかうように。

 そんなあからさまな挑発に身を乗り出そうとしたネネを、シオンが腕を掴んで押さえ込む。


「それができるのなら、どんなに気が楽か。しかし私たちは、ロード・ホーリーの元に集う者。その思想を、想いを分つ者。私たちは、無闇に魔女を害さない」

「ロード・ホーリー、ね…………」


 暴発しそうな気持ちを抑え込みながらそう口にするシオンに、クリアはつまらなさそうにその名を繰り返した。

 それもまた挑発じみていたが、姉妹はただグッと堪える。


 ロード・ホーリーの傘下の魔女狩りたちは、その職務を担いながら魔女を狩らない者たち。

 魔女を蔑み忌み嫌うことを良しとしない、ロード・ホーリーの思想に賛同する者たちだからだ。

 魔法使いと魔女の軋轢をなくし、この差別的な現状を打破することこそが、彼女たちの目的。


 同胞である魔法使いからは、役目を果たさない異端者と謗りを受け、そして魔女たちからは他とは変わらぬ敵意と恨みを向けられる。

 しかしそれでも、彼女たちは無用な争いを少しでも抑えるために暗躍を続けてきた。


『魔女ウィルス』や魔女による被害が、少しでも減るように。

 魔法使いと魔女のわかり合えぬ争いが生む惨劇を、もう起こさないように。

 それ故に、彼女たちは自らが持つ恨みや怒りも抑え込んできた。


「クリアランス・デフェリア。私たちは、自らの憎しみであなたの前に立たない。けれど、あなたの行動は目に余る。あなたを野放しにしては、傷付く人が多く出る。そんなあなたを、ましてアリス様に近付かせるなんて、できるはずがない……!」

「………………」


 自らの気持ちを使命の中に込めて、シオンは拳を握りしめた。

『始まりの力』を持ち、そして清く優しい心を持つ姫君アリス。

 彼女の存在、そしてその想いは、ロード・ホーリー傘下の魔女狩りたちにとってはシンボルだ。

 現状を覆す可能性持つ鍵であり、何よりも守るべき尊き存在。


 そんな姫君に怨敵が手を伸ばしている。

 それを見逃せる姉妹ではなかった。


「アリス様は、この戦いを止めるために頑張ってる。だからその邪魔なんてさせない。アリス様の側には絶対行かせないんだから!」

「……そう。随分勝手な言い分だこと。あなたたちなんかよりも、私の方が何倍も彼女のことを想っているというのに」


 キッと強く睨んで、噛み付くような威嚇を見せるネネ。

 しかしクリアはそれに臆することなく、寧ろ苛立ちを返すような言葉を並べた。

 怒りを抱くのは自分の方だと言わんばかりに。


「悪いけれど、私はあなたたちに構っている暇はないの。ロード・ホーリーやあなたたちが何を思おうと、私には関係ない。私は、私自身が一番大切だと思う物のために動くだけ。アリスちゃんは、誰の手にも渡さない……!」

「あなたの目的は一体何? ワルプルギスとも魔法使いとも敵対して、それでいてアリス様を求めて。あなたは、一体何を……」

「魔法使いも魔女も、私には何にも関係ないわ。何一つ、私には興味がない。私はただ、アリスちゃんの為に生きてるだけ。あの子を守る為、一緒にいる為に必要なことをしているだけ。その為ならば何でもするし、邪魔をするなら誰であっても容赦はしなしわ!」


 ヒステリック気味な声を上げ、クリアは大きく魔力を高めた。

 その黒尽くめの姿が倍に膨れ上がったかのように、押し潰すような力強さが広がる。

 普通の魔女とは到底思えない、君主ロードレベルの魔法使いに匹敵する力がそこにはあった。


 しかし、それを目の前にしても姉妹は臆さない。

 それは彼女たち自身の実力故でもあるが、何より目の前の魔女が仇敵だからだ。

 私怨によって魔女を誅することはせずとも、しかしクリアの危険性をよく理解している二人。

 彼女たちに、怯むという選択肢はなかった。


「……ネネ。最優先は戦いの鎮静化よ。それを忘れないで」

「わかってるよ姉様ねえさま。その上で、アイツをアリス様の所へは行かせない、でしょ」


 凶暴な怪物を見るような目でクリアを眺めながら、シオンとネネは冷静に言葉を交わす。

 一人では感情に飲み込まれてしまいそうでも、姉妹で並び立てば心強い。

 同じ苦難を乗り越えてきたからこそ、共に支え合うことで心を落ち着けることができる。


 二人は、今すべきことのために仇敵に向かい合った。


「そこは通してもらうわ! 邪魔をするなら殺すだけよ!」


 そんな姉妹に、クリアは獣のような雄叫びを上げた。

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