89 狂乱の炎
クリアランス・デフェリアは、周囲に気を配ることなく炎を吹き荒らしながら突破を試みた。
容赦のない炎が爆発的に燃え広がり、近くで戦ってる者たちを飲み込んでいく。
それは図らずも一部の戦闘を止めることとなったが、それで済まない部分の方が大きい。
クリアにはもう目の前のことなどほぼ見えておらず、ただ邪魔なものを蹴散らすことしか考えていないようだった。
そんな彼女に、シオンとネネが二人掛かりで押さえ込みにかる。
クリアは魔女の身でありながら練度の高い魔法を扱う為、その魔法を捻じ伏せることはできなかったが、二人であれば渡り合えないことはなかった。
無差別的に振り回される炎を牽制しながら放つ彼女たちの魔法は、少なからずクリアに届く。
「相変わらず魔女とは思えない力……けれど、以前ほどの勢いはないようね。ロード・スクルドに付けられた傷が、まだ癒えてないのかしら?」
「………………」
放った音速の衝撃波を受けて身動いだクリアを見て、シオンは挑発的に声をかけた。
魔女にしては強力なことに変わりがないが、どこかたどたどしいように見えたからだ。
そんな彼女の言葉に、クリアは返答の代わりと火柱を撃ち放った。
激流のような視界を埋め尽くす業火の柱。
通過するものを灰塵へと変えながら、血のような赤い輝きと共にシオンを飲み込まんと迫る。
「させるか!」
しかしそれは、シオンの前に立てられた水の壁によって阻まれた。
逆流した滝のような、流水による水の盾。
それは業火とぶつかり合い、その火炎を全て阻んだ。
それを創り出したネネが、脇を駆け抜けクリアへと迫る。
綺麗に整えられた長髪をなびかせ、静かに素早く。
「大人しくしてろー!」
カウンターのように眼前に迫ったネネは、クリア目掛けて大きく拳を引き抜いた。
それを振りかぶると同時に自らの腕を高速の水流に乗せ、濁流と共に高質量の打撃を放つ。
女の拳が巨人の拳ほどの圧を持って
回避不可能なほどの前面広範囲の一撃。
しかしクリアは、自らの足元を爆破させることで瞬間的に上空へと流れた。
「本当に煩わしいわね。邪魔なのよ!」
飛び上がったクリアが、喚き散らすように叫んだ。
その瞬間、まるで太陽が爆ぜたかのような赤い閃光が迸った。
身を燃え上がらせるような高温の熱波が、光速に近い速度で周囲に向けて放たれる。
「しまっ────」
シオンが声を上げ切る間も無く、熱波が拡散する。
瞬間的で無差別的な、広範囲への強力な攻撃。
シオンとネネは、周囲への被害を止めることはおろか、自身の防御をする余裕もなかった。しかし。
「クリアランス・デフェリア。お前はやはり、私が始末しなければいけないようだ」
その攻撃は、クリアが氷に覆われることで防がれた。
宙に飛び上がっていた彼女を中心に、巨大な氷の球体が作り出された。
それは灼熱の熱波を押さえきり、しかし収まると同時に蒸気へと昇華して消える。
立ち込めた蒸気が晴れた先に、姿を現したのはスクルドだった。
姉妹とクリアの狭間へと立ち、その碧い瞳を上空へと向けている。
「ロード・スクルド!!!」
姉妹が声を上げるよりも先に、クリアが荒々しく叫んだ。
憎しみに満ちた、おどろおどろしい声色で。
「以前あなたに受けた痛みを私は忘れていない。それにあなたのせいで、私の大切な、大切な髪飾りが壊れてしまった……! 私はあなたを、許さない!」
怒りに満ち、獣のように叫ぶその声は、尋常な様子ではなかった。
狂気の魔女と呼ばれるにふさわしい、常軌を逸した取り乱し方。
身を包むマントの襟から、下品な大口を開ける唇が垣間見えた。
「ならば私に向かってくるがいい。お前に好きなように暴れられては、被害が拡大するばかりだ」
荒れ狂うクリアに対し、冷静かつ平坦に返すスクルド。
しかしその淡白さが彼女を煽り、クリアは喚き散らしながら急降下した。
「H1、H2。援護は任せた」
スクルドは背後を見ぬままそう告げると、即座に地を蹴って跳び上がった。
隕石の如く炎を伴って落下するクリアと、氷の塔のように氷結をまとって上昇するスクルドが空中で激突する。
炎と氷、相反する属性をぶつけ合う二人の激突は、正反対であるが故に激突するたびに大きく弾ける。
炎が冷気に掻き消されることなく、また氷が熱に解かされることなく、両者の魔法はほぼ互角の出力で衝突を繰り返した。
いや、炎熱に氷結で拮抗するスクロドの方が、やはり魔法の熟練度は高いのだろう。
そんな苛烈な攻防に唖然としたのは一瞬。
シオンとネネはすぐさま顔を見合わせて、彼に続き上空へと踊り出した。
幾度となく空中で衝突していた二人が反動で離れた瞬間を突き、シオンがクリアに向けて震撃を放った。
超高音で放たれた音波が、空間を切り刻むような斬撃の如き振動となってクリアに押し寄せる。
クリアは咄嗟にマントを翻し、それと同時に自身を覆う障壁を張った。
しかし空間そのものを揺さぶる攻撃は、障壁もまた掻き乱し、それは破裂するように砕け散った。
「ぐっ…………」
音波の余波で怯んでいるクリアの周囲に、今度は無数の雫が滞空した。
空気中の水分が個々に凝縮し、大雨の最中に時が止まったかのように彼女の周りを水玉が覆う。
それを作り出したネネが大手を振るって手を合わせると、無数に浮かんでいた雫が一斉にクリア目掛けて放たれた。
水爆が逆再生したかのように、瞬間的に集結する雫。
水の一滴いってきがクリアの身を打ち付け、そして雫同士がぶつかり合い、大きな飛沫が暴れ狂う。
高所から水面に打ち付けられたような衝撃が、全方位三百六十度からクリアを襲い続けた。
「う、ぁぁぁああああ!!!!!」
隙を突いての連撃に、クリアは雄叫びのような悲鳴を上げた。
しかしそれでも怯みを見せず、打ち付けられる飛沫全てを蒸発させんとその身から爆炎を吹き出そうとした。
だが、それは一歩遅かった。
クリアがその身から炎を熾そうとした一瞬手前で、スクルドが手を伸ばしていた。
彼女の周囲にはネネが放った雫が、水分が飛び交っている。
それはその一帯を満たし、そしてクリアの身を十分に濡らしていた。
それ故に、スクルドによる凍結は刹那の間に完了した。
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