67 予想外の遭遇

 話も落ち着いたところで、創を家まで送ることにした。

 公園を出る時、入り口で待っていた氷室さんに創は一瞬ギクリとしていたけれど、特にそれについて言及してくることはなくて。

 三人で歩いた帰路は、静かながらもとても穏やかで心地よいものだった。


 せっかく家の前まで来たのでついでに帰宅し、ささっと着替えをして、ついでに食料もいくらか持ち出すことにした。

 一応泊めてもらうんだし、ちょっとした差し入れは必要だと思って。


 できればシャワーを浴びたかったけれど、あんまり時間をかけているわけにもいかなくて。

 着替えと同時に魔法で身を清めるだけで我慢することにした。

 いつだかのように氷室さんとお風呂に入ったりしたかったけど、それはまた次の機会にするしかない。


 手早く準備をして、そそくさと家を後にする。

 またこの家に帰ってこられるのかな、なんてちょっぴり感傷に浸ってしまう気持ちも、なくはなかったけれど。

 でも絶対に帰ってくるって決めているんだからと、心をシャンとして振り払った。


「は、花園っ……」


 家から出て少し歩いた時、静かな夜道で突然そんな声が聞こえてきた。

 あまりにも唐突に名前を呼ばれた上に、その低めの声には聞き覚えがありすぎて、思わずビクリと肩が震えてしまった。


「げ、ただしくん……」


 すぐに「げ」はあまりにも失礼過ぎたと思ったけれど、吐き出した言葉を飲み込むすべはなかった。

 でもあんなことがあったんだから仕方ないと自分に言い訳をして、私は進行方向からやって来た男の子に目を向けた。


 明るく染めているチャラついた茶髪。

 黒のレザージャケットをスカした感じで着こなす姿は、紛れもなく正くんだった。

 善子さんの弟で、私とは中学の時からの腐れ縁である男の子。


 いつも女の子を侍らせている正くんだけれど、どうやら今は一人のようだった。

 ひと気のない道をトボトボと歩いて来た姿は、いつもみんなの中心にいる彼にはあまり似合わない。

 普段の自信に満ち溢れた余裕の表情はやや影を潜め、何かを危惧しているような顔で辺りをキョロキョロしている。


 そんな正くんが、私に声をかけて来た。

 あれから学校でも顔を合わせていなかったから、会うのはちょっと久しぶり。

 思わず体が固くなって、無意識に腕が持ち上がる。


「あ、ちょ、待ってくれ……!」


 私の足が半歩下がったのに目敏く気付き、正くんは慌てて言った。

 けれどその制止のために一歩踏み込んだことで、氷室さんが警戒して私の前に乗り出した。

 通常のポーカーフェイスに更に凍り付くような冷たさを上乗せして、絶対零度の視線を正くんに突き刺している。

 静かなのに、その佇まいには怒りに近いものが揺らめいていた。


「っ…………」


 そんな氷室さんとその背中で腰が引けている私を見て、正くんはすぐに足を引っ込めた。

 それからあーうーと声にならない呻きをこぼして、視線を下に彷徨わせる。


 正くんが何をしたいのか、さっぱりわからなかった。

 今までのようなこちらを無視した強気な態度は見られないけれど、それでも彼という存在が私に警戒心を抱かせる。


 今までの日々のこともそうだし、つい先日のことも。

 これまで彼が抱いていた気持ちの吐露を聞いて、一概に責められるものではないということはわかってはいるけれど。

 それでもやっぱり、正くんに対する苦手意識を完全払拭することはできないから。


 もちろん嫌いというわけではないけれど。

 それでもやっぱり、目の前にすると身構えてしまう。


「アリスちゃん……行きましょう」

「う、うん……」


 少しして、氷室さんがそう言って私の手を引いて違う方向に足を動かした。

 正くんの事は気になったけれど、でも立ち去りたい気持ちも同じくらいあって。

 だからほんの僅かな気持ちを残しつつ、私は言われるがままに頷いた。


「ま、待ってくれって……!」


 けれどそんな時、正くんが切羽詰まった声を上げた。

 あたふたとしたその叫びが、静かな夜道にシュンと響く。

 それにまたビクリとしかけながら、私は仕方なく足を止めた。

 氷室さんはそれでも歩き続けようとしたけれど、私が動かないのを見て一拍遅れて動きを止めた。


「待ってくれ。頼む、花園……」


 咄嗟に手を伸ばし、けれど近寄らないように気を付けながら正くんは言った。


「えっと、何か用、かな?」


 鬼気迫る目を向けてくる正くんに、取り敢えず声をかけてみる。

 相手に対する感情が声色に乗ってしまっていることに反省しつつ、それでも頑張って普通に顔を向けて。


 正くんはそんな私を見て一瞬ホッとした顔をした。

 けれどすぐに暗い顔に戻ると、再び視線を戻した。


「俺、お前に……花園に、謝りたかったんだ」

「え?」

「この間は、勝手なことをして、悪かった」


 心底ションボリした顔で言う正くんに、私はポカンとしてしまった。

 正くんが誰かに謝るなんて、そんなこととても想像できなかったから。

 いつも自分に自信があって、自分が誰よりも偉く正しいんだと、そう振る舞っていた正くん。

 そんな彼が、私に頭を下げるなんて考えられなかった。


 けれど、だからこそ。その一言で彼への気持ちがスッと引いていった。

 プライドをかなぐり捨て、自分に向き合ったからこそ出て来た言葉だと、わかってしまったから。

 謝られたからといってあの時の恐怖や痛みがなくなるわけじゃないけれど。

 それでも、彼の誠意は確かに伝わって来たから。


「うん。もういいよ」


 だから私は、その言葉に真っ直ぐ答えた。

 氷室さんが大丈夫なのかと言わんばかりの、心配そうな目を向けてきたけれど。

 でも私は、それでもういいと思ったから。


「もう、あの時のことは気にしない。それに、私がもっとちゃんと正くんのことを見ていればよかったっていうのもあるし。だから、もういいよ」

「ほ、本当にいいのか……!? 俺は花園に、酷いことを……」

「だからもういいって。謝ってもらえたから、もういいの」


 ちょっとへっぴり腰になりながら尋ねてくる姿が可笑しくて、少し笑みがこぼれる。

 学校の女の子がキャーキャーいっているキザなイケメンの面影が、あまりにもないから。

 でもそんな萎らしい正くんの姿は、とても新鮮だった。


 私が表情を崩したことで、正くんもまた気を抜いて「ありがとう」と呟いた。

 彼なりに、あれから色々と考えていたんだ。

 あの場で思っていたことを散々ぶちまけて、善子さんに真正面から叩きのめされて。

 今まで自由奔放に、王様のように振る舞ってきた彼にも、思うところがあったんだろう。


 出会った瞬間の体の強張りは、もう抜けていた。

 仲良しになるには時間がかかるかもしれないし、もしかしたらそこまではなれないかもしれないけど。

 でも今までのわだかまりがほぐれたことは、素直に嬉しかった。

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