66 男の子

 約束の公園まで行くと、既に創が待っていた。

 ダウンジャケットにくるまってベンチに腰掛け、急く気持ちを現すかのように白い息を小刻みに吐いている。


 氷室さんは入り口で待っているというから、その気遣いに感謝して一人で公園の中に入った。

 この公園はもちろん、ここまで来る道のりの中にも、ひと気はなかった。

 夜とはいえまだそんなに遅い時間ではないけれど、みんな今日の騒ぎを恐れて家に篭っているんだ。

 そんな中で外に出させたのは、本当に申し訳ない。


「ごめん創。待った?」

「いや、俺も今来たところだ」


 急いで駆け寄ると、創は落ち着いた声でそう答えた。

 なんだかカップルの待ち合わせのベタな文句みたいになっちゃったなぁ。

 そんなことをふと思っていると、どうやら創を同じことを思ったみたいで、フッと微かな笑みがこぼれた。

 見つめ合って小さく笑い合う。


「家出てくるの、大変だったでしょ? 創の周りは、平気だった?」

「俺の知ってる範囲で、今日の騒動に巻き込まれたって人は多分いない。ただこんな状況だからな、コッソリ抜け出してきたよ」

「そっか。よかった……」


 創の隣に腰掛けながら尋ねると、真剣な眼差しの答えが返ってきた。

 創がそう言うのなら、うちの近所の人たちやクラスメイトなんかにはまだ被害者はいないかもしれない。

 でも、このまま時間が経てばそれもどうなるか……。


「なぁアリス。お前…………」


 身近な人たちの無事に胸を撫で下ろしていると、創がポツリと口を開いた。

 私から目を逸らし、前のめりな姿勢で手を組んで、どこか言いにくそうに。


「お前さ、もう一つの世界ってやつに、行こうとしてんのか?」

「………………うん」


 唐突な質問にドキリとしつつ、素直に答える。

 すると創は「やっぱりな」と呟やいて、ゆっくりとこちらに目を向けた。


「今日のことにお前が関係してるって聞いた時、そうなんじゃないかって思った。お前はまた、あの時みたいに別の世界に行こうとしてるんだな」

「うん。今この世界で起きていることの発端は、向こうの世界だから。そして、その原因は私だから。私が行って、解決させなきゃいけないの。でもね、あの時とは違うよ」


 不安の色がハッキリと現れている創。

 きっと、また私が帰ってこなくなってしまうかもしれないと、そう思っているんだ。

 そんな創の腕に手を添えて、私は首を横に振った。


「今度はちゃんと自分の意思で行って、それでちゃんと帰ってくる。私の問題を全部解決させて、帰ってくるから」


『まほうつかいの国』こそが私の還るべき場所だと、そう決めたわけじゃない。

 今はただ、行かなきゃいけないから行くだけだ。

 そうしなければ、結論を出す余裕もないから。


 部活に入っているわけでも、特に運動をしているわけでもない創の腕は、ガッチリしているというわけではないけれど。

 触れるとわかる筋肉の形やその固さが、男の子なんだなと思わせる。

 しかし今はそんな太い腕も、不安故か僅かに弱々しく感じた。


「大丈夫、なんだな? 俺はちゃんと、またお前に会えるんだな?」

「うん、約束する。何がなんでも、絶対に帰ってくるから。全部全部、解決させてね」

「……信じてるからな。もう俺は、あんな思いをしたくない」


 創は自身の腕に添えられている私の手に、手を重ねてきた。

 ぎゅっと握られた手は少しだけ痛かったけれど、それこそが創の想いだとわかった。


「俺はもう、お前らを失いたくない。頼んだぞ、アリス」

「うん。必ず」


 七年前に一度私がいなくなって、そしてつい先日晴香を失って。

 創には幼馴染みを失う苦しみを散々味わわせてしまった。

 男の子だから毅然と振る舞ってはいるけれど、苦しくて堪らないはずだ。


 私がまたいなくなってしまって、二度と会えなくなってしまったら。

 そう思ったら、こうして会わずにはいられなかったんだ。

 止めるつもりがなくても、それでどうにかなるわけではないとわかっていても。それでも。


「大丈夫。絶対に大丈夫だよ。だってここには創がいるもん。だから私は、何がなんでも帰ってくるよ……!」


 ベンチを離れ、創の正面に回ってしゃがみ込む。

 低い位置からその顔を見上げてみると、似合わないショボくれた顔が返ってきた。

 いつも仏頂面で軽口ばっかり言ってる創とは思えない、萎れた表情だ。


 創にこんな顔、させちゃダメだ。

 私はその手を握ると、まるで小さな子供をあやすように笑いかけた。


「そんな顔しないの。創は、ドンと構えて私を待ってて。私がただいまって言った時、抱き締めてくれるくらいの気概でね」

「なんだよ、それ」


 私の手には収まらない、創の大きな手。

 それを目一杯握りながら私が言うと、創は困ったように眉を上げた。

 少しだけ表情が和らいで、ホッとする。


「いつも私たちは、男の子の創がいてくれて、いざっていう時に支えてくれるから安心できてたんだよ。創は、私たちの心の支え。創が待っていてくれていれば、私は絶対帰ってこられるから」


 私と晴香がいつも思い思いにできたのは、そこにいつだって創がいてくれたからだった。

 私たちのわがままや無茶振りや癇癪を、創がいつも受け止めてくれていたから。

 創なら私たちを支えてくれると、そう信じていたから。

 創がいなかったら、私たちは幼馴染みとして成り立っていなかったかもしれない。


「だから創。私を信じて待ってて。そうすれば、必ず私はここに帰ってこられるから」

「アリス……」


 その顔を見上げ、ニコッと笑いかける。

 一生の別れになんてしないんだから、笑顔のままでいたい。


 創はそんな私の顔をまじまじと見てから、突然手を振り解いた────かと思うと、ガバッと覆い被さるように抱き締めてきた。


「お、うわ! だ、大胆……」

「お、お前が抱き締めろっつーから……」

「それは、帰ってきた時の話なんだけどなぁ」


 大きく厚い体に覆われ、思わずドギマギしてしまう。

 けれどその優しい力強さが、とても心地よかった。

 その腕で余裕を持って私を包みながら、創は私に顔を見せないようにして言う。


「だったら前借りだ。だから、帰ってこないなんて許さねぇ」

「うん、わかったよ」


 少しだけ苦しい抱擁に埋もれながら、私はその肩に頭を預けた。

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