58 そこにある心
私が今まで大切にしてきたもの、人、想い。
その全てが作り物でしかないのだと、そう突きつけられて、心がパンクしてしまいそうだった。
ぐちゃぐちゃになった心は止めどなく涙を溢れさせて、理性を掻き乱す。
私が大好きな人たちが、本当は存在のしない夢幻の存在だなんて。
そんなこと到底受け入れられなかった。
喚き散らさないのが精一杯で。
けれど、恥も外聞もなく涙を流し続けることは、どうしても止められなくて。
氷室さんも夜子さんも、今こうしてここにいてくれているのに。
まるで影法師のように曖昧に感じられてしまって、急に一人ぼっちにされたような孤独が押し寄せた。
ただただ泣き続ける私に、氷室さんはその表情を崩して、心配そうな顔を向けてきた。
両手で私の手をしっかりと握って、静かな瞳で寄り添ってくれる。
どうして私が泣いているのか、夜子さんとの会話の中で私が何に気付いたのかを、氷室さんは知らない。
けれどそれでも、心の底からの想いで私を心配してくれている。
その細い手の感触はとても温かくて、とてもじゃないけど幻から生まれた存在とは思えない。
「まぁアリスちゃん。気持ちはわかるけれど、落ち着いて」
子供のようにボロボロと涙を流す私に、夜子さんは柔らかい声を出した。
世界の事実を知っているようなのに、とても冷静で穏やかな様子で。
「確かに、君が持つ力によって世界は創られた。でもだからといって、それが夢そのもの、儚い幻というわけじゃない。始まりは夢や幻だとしても、世界として形作られたものは、確固たる実物だ。そこにあるのは本物なんだから」
「で、で、でも…………」
緩やかに語られる言葉に包まれて、ほんの少しだけ口を開く余裕ができた。
それでも嗚咽が混じってうまく声が出せない。
「元々が、夢幻だとしたら……それは本物だと、言えるんですか……? みんなのこれまでが、飽くまで夢に描かれたものだとしても……創られたものだとしても……それは、本物だと、言えるんでしょうか……?」
これまでの過程が人を人たらしめる。
みんなが沢山の想いを抱えて培ってきたと思っていた軌跡が、私の夢で創られたものに過ぎなかったのなら。
その人たちの成り立ちそのものを否定することになる。作り物の、紛い物だと。
私にはどうしてもそう思えてしまって……。
「言いたいことはわかる。確かにその考えそのものは間違っていないかもしれない。けれど、君がそれを言っちゃダメさ」
「…………?」
夜子さんはうんうんと頷きながら、とても柔らかい笑みを浮かべた。
テーブルに上体を前のめりに預けて、緩やかに私に向けて身を寄せる。
「アリスちゃん。君は人の心を感じ取れる女の子だろう? 沢山の友達と心を交わし、その繋がりを大切にする子のはずだ。なのに今の君は、その来歴だけに目を向けて心を蔑ろにしている。アリスちゃんらしくないよ」
「こ、心…………」
「確かに、夢によって創り出された世界の住人は、現実から見れば作り物のフィクションのように映るだろう。しかし例え夢から
「っ……………………」
夜子さんの言葉が、耳からじんわりと全身に染み込んだ。
思いもよらない事実に乱れていた気持ちへ、急激に浸透する。
心────そうだ、心だ。
氷室さんや、夜子さん。それに『まほうつかいの国』で出会った人たち。
私はみんなと確かに心を交わして、通じ合っている。
その心は、こちらの世界の人と全く変わらない。
そこに一人ひとりの、強い想いが燃えている。
「もちろん感じ方は人それぞれだ。けれど、心の繋がりを誰よりも重じているはずの君ならば、確かに存在する心を見逃せないはずだ。現実だろうが夢だろうが、そこにある心を、君は否定するのかい?」
「そ、それは…………」
夜子さんの声色は優しい。けれど、その言葉には強さがあった。
弱く揺らめく私を叱責する、感情のこもった言葉。
私がそれを否定してどうすると、そう言い聞かせる言葉だ。
諭すような夜子さんの口振りに、掻き乱れた心が少しずつ冷静さを取り戻していく。
落ち着いてきた頭でその言葉を噛み砕くと、自分が如何に衝動的になっていたのかがわかってきた。
私は友達のことを大切だとか言っておきながら、この胸に繋がる心から目を逸らしていた。
どんなに出自が儚いものだとしても、私の心が感じているみんなの心は、確かに存在しているもの。
それを無視なんて、していいわけがないんだ。
あちらの世界や『まほうつかいの国』、そしてそこに住う人たち。
それらが夢によって形作られた作り物だという事実は、どうしようもなく寂しく悲しい。
あちらの世界が紡いできた歴史が、みんなが描いてきた軌跡が、儚い幻想に過ぎないということは重く苦しい。
けれどそうだったとしても、今は確かにここにある。
始まりが幻だったとしても、既に現実に確かな形を持って存在している。
そして何より、そこに強い想いを持った心がある。
それを思えば、夢だったなんて悲観的になる必要はない。
夢だろうが幻だろうが、今ここにある心は紛れもない現実なのだから。
──── 夢であっても、間違いだとは限らない。同時に現実だからといって、正しいとは限らない。大切なのは、アリスちゃんがどう感じるかなんだから。真偽よりも、その心を大切にしてね────
さっき心の中で透子ちゃんと出会った時、そう言われたのを思い出す。
本当にその通りだ。元がどうだとか、真実とか偽りとか、そんなことは関係ないんだ。
大切なのは、この心が何を感じるかどうか。
例え作り物から始まった世界だとしても、私は『まほうつかいの国』や、そこに住む友達のことが好きだ。
みんなの心が愛おしく、強く滾る想いを感じる。
なら、その成り立ちなんて関係ないんだ。
「…………」
隣を向くと、ポーカーフェイスをしんみりと崩した氷室さんが、そのスカイブルーの瞳を静かに揺らしていた。
その心が向けてくれている想いは、紛れもなく本物だ。
それを見逃して、無視して、悲嘆に暮れるなんて馬鹿げてる。
これこそが全てじゃないか。
私の手を包むその両手に、空いた片方を被せる。
その手の温もりと柔らかさを強く感じて、私は泣き腫れた目で真っ直ぐに氷室さんの目を見た。
私の視線を向けて、氷室さんはその表情をやや平静に戻した。
「私の心は、何があってもアリスちゃんと、一緒。だからこの心を、ずっと感じていて欲しい。それこそが、私たちにとっての真実だと、私もそう、思うから……」
「うん。うん。そうだよね。ありがとう氷室さん。私、馬鹿だった……」
ただ真摯に、私のことを想って紡がれる言葉に胸が詰まる。
こんな優しい子が、私の大好き氷室さんが、現実でないわけがない。
夢の世界から生まれたとしても、今は確かに存在する私の友達だ。
その心、その瞳、その言葉で全てが吹っ切れた。
もう迷わない、戸惑わない、泣かない。
私が涙でぐちゃぐちゃな顔のまま目一杯笑顔を作ると、氷室さんは安心したように口元を緩めて小さく頷いた。
「すみません夜子さん。私、びっくりしちゃって……。でも、もう大丈夫です。ちゃんと大切なもの、見えましたから」
「謝ることじゃないさ。寧ろその心の強さに感服するばかりだ」
正面に向き直って謝ると、夜子さんはふーっと息を吐いて微笑んだ。
まるで保護者のような、包み込む優しい表情で。
「今気付いたことを、忘れず胸に留めておくことだ。それはこれからの君にとって、とても大切なことだからね」
「……はい」
氷室さんと手を強く握り合いながら、私はしっかりと頷いた。
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