57 作り物

「どうしたんだいアリスちゃん。顔色が優れないようだけれど」


 そんな夜子さんの声で、私はハッと我に返った。

 再び認識できた視界に、緩く笑みを浮かべる夜子さんの顔が映る。

 目の前の現実が返って来たことでほんの少しだけ冷静になったけれど、それでも全身が震えるほどに冷たい。


 今自分が考えたことを、口にするのが怖かった。

 けれど、全く確かめないこともできなくて。

 私は、否定の言葉が欲しくてもつれる唇を開いた。


「あ、あの……夜子さん…………夜子さんは、私の力のこと、詳しいですよね?」

「うーんまぁ、詳しいというほどは詳しくないけど。でも君よりも把握はしているかもね」

「じゃ、じゃあ……」


 しどろもどろな私に対して、夜子さんは普段よりも落ち着いた様子で頷く。

 その緩やかな様子が心地よくもあり、同時に気持ちを逸らせる。


「私の力で、その……世界を、創ることは可能なんで、しょうか……?」

「………………」


 そんなことは流石にできるわけがないと、バッサリ切り捨てて欲しくて、縋るように問い掛ける。

 けれど夜子さんは、イエスともノーとも、すぐには答えてくれなかった。


 穏やかな表情を固めたまま、目を細めて私をじっくりと眺めてくるだけ。

 私の奥底を見通すように、ゆっくりと舐め回すように。

 早く何か言って欲しいと、そう急かしたくなる気持ちをギリギリで堪えて、私はその視線を受け止めた。


 感覚の鈍くなった指先で、しっかりと氷室さんの手を握る。

 その冷たい体温が感じられるお陰で、辛うじて現実を認識できる。

 けれど今は、それをとても心細いものに感じてしまった。


 しばらくの間無言を貫いた夜子さん。

 私のことを真っ直ぐ見つめ続けた後、緩やかに息を吐くと、ゆっくりと確かに頷いて見せた。


「可能か不可能か。その答えはもちろん、可能だ」

「…………!」


 引き締まった声による肯定に、喉が締まった。

 引き切った血の気が更に引くのを感じる。

 このまま、潮が引くように意識まで去ってしまいそうだ。


「君が持つドルミーレの力の、極地的な力だけれどね。君にわかりやすく言うと、『領域の制定』の延長上、その果てにある力の使い方だ」

「『領域の制定』……」


 自身の領域を定め、絶対の支配下に置く最上級の空間魔法だと、前にアリアが言っていたのを思い出す。

 結界よりも更に上の空間遮断で、世界の中に自分の世界を創り出すようなものだとか……。


「領域の魔法は飽くまで、既存の世界の中における仕切りでしかない。それでも、定めた領域内は異界と言って差し支えない独自の法則で成り立つ。ドルミーレの原初の力を用いてその魔法を最大限に発揮すれば、世界と呼べるものを一から構築することも、可能ではある」

「っ………………」


 夜子さんの難しい解説が、鈍く頭の中で響く。

 その言葉一つひとつを理解できなくても、ただ可能であるという事実が私に重くのしかかった。


 それが私の持つ力で可能であるのだとすれば。

 やっぱり、ホワイトが言っていた言葉は正しいのかもしれない。


 私は、自分の思い描いた夢や空想を、『始まりの力』によって形作ってあちらの世界を創り出したのかもしれない。

 私の幻想が多く反映された、こちらの世界との共通点が多すぎる世界を。


 ただ、そうするとドルミーレはどうなるのかという話にはなる。

 あちらの世界に二千年前に存在したというドルミーレは、一体何なのかと。

 けれどもしかしたら、そもそもが違っていたのかもしれない。


 ドルミーレは元々こちらの世界に存在していたものだったのかもしれない。

 そして『始まりの力』によってあちらの世界が創られた時、ドルミーレの存在もまた色濃く反映されたのだとしたら。

 ドルミーレに関する過去の伝承や、『魔女ウィルス』というものは、私の中にドルミーレがあるからこそあちらの世界に組み込まれて形を持ったと、そういうことなのかもしれない。


『魔女ウィルス』から始まる魔女と魔法使い。

 そしてその二つの悲しい因縁の関係もまた、ドルミーレの荒んだ心が反映された結果、生まれたものなのかもしれない。


 そして、過去にそういう出来事があったと、そうであったものだとしてあちらの世界は創られたんだ。

 だからきっと、ドルミーレそのものは本来あちら側の存在じゃなくて、こちら側の存在だったんだ。

 そうすれば、どうしてこちら側の人間である私にドルミーレが宿っているのかという疑問にも、説明がつく。


 ならそもそもドルミーレは何なのかという話になるけれど。

 でもそれは、どちら側の存在だったとしても同じこと。

 こちら側でのドルミーレの過去は、魔法と共に完全に消し去られたと、そういうことかもしれない。


 私の力が、私の夢が、あちらの世界を形成したんだ。

 考えれば考えるほど、そうであるという確証が増えていく。


 そうなれば、全ては儚い幻想ということになってしまう。

 ホワイトが偽りの世界だと、そう言ったのも頷ける。

 だって言ってしまえば、それは作り物の世界だということなんだから。


 私の夢で創り出された世界なら、その中身も全て夢幻。

 つまり、そこに存在する人たちも夢の中の登場人物のようなものだと、そういうことだ。


 ということは。こうして手を繋いでくれている氷室さんは。目の前で私を見守ってくれている夜子さんや、善子さんの側にいてくれている千鳥ちゃんは。

 今はあちらにいるレイくんやクロアさん、それになによりレオとアリアは。

『まほうつかいの国』に住む全ての人たちは、私の夢が創り出した存在だと、そういうことになる……!


 確かにその温もりを感じるのに。

 沢山心を通わせたのに。

 こちらの世界の人と何ら変わらず、ここにいるはずなのに。


 みんな、私が創り出した幻の存在だということになる!


 そこに沢山の想いがあったのに。

 それすらも作り物の、夢に過ぎないことだったていうの?

 私たちが交わした気持ちは、私の幻想に過ぎなかったって、そういうこと……?


 信じられない。信じたくない。

 私の大好きな人たちが、夢幻の偽りの存在だなんて。


「……アリス、ちゃん?」


 気が付けば涙が溢れ出して、顔をぐしゃぐしゃに濡らしていた。

 そんな私を氷室さんの冷静な顔が、心配そうに覗き込んできている。

 けれどそれに応対する余裕はとてもなくて、ただ縋るように手を握り続けることしかできなかった。


 こうして寄り添ってくれる心は、繋いでくれている手は、確かにここにあるのに。

 それでも氷室さんは、魔女や魔法使いのみんなは、私の夢に作り出された存在なんだ。


 私が勝手に創り出して、それで沢山辛い思いをさせて。

 でもそれは飽くまで幻想に過ぎない、本物ではなくて……。


 それじゃあまるで、みんなが感じた気持ち、私が感じた気持ちもまた、偽物みたいじゃん…………。

 全部全部本当は存在しない、作り物だっていうの……?


 そんなの、あんまりだ………………。


「アリスちゃん」


 ぐるぐる回転する思考に、心が埋め尽くされる。

 考えれば考えるほどに確証を持ててしまう様々なことに、心も体を打ちのめされる。

 辛うじて声をこぼさずに、けれど耐えられない涙を流しながら俯く私に、夜子さんが口を開いた。


「君が今考えた内容は、凡そ想像がつく。そしてその考え方は間違っていないと、言える。アリスちゃん。君の力は確かに、一つの世界を創り出した」


 包み込むような温かく優しい声。

 けれど、その言葉はまるで死刑宣告のように、私の胸に鋭く突き刺さった。

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