33 貴女のことなど

「ッ────!」


 それがホワイトの正義なのかと、善子は息を飲んだ。

 魔女の視点から見た、あまりにも一方的な考え。

 それを本気で語っているのかと、言葉を失わざるを得なかった。


 一見筋が通っているようにもみえる。

 しかし善子からしてみれば暴論にも程があった。

 もし万が一、魔女になることが救いになるのだとしても、その適性のない人間を蔑ろにする考え方が、正しいとは思えないからだ。


 魔女という存在に重きを置き過ぎて、それ以外のことが頭になくなってしまっている。

 ワルプルギスの行いが魔女の立場をより良いものにするとしても、そこに辿り着くまでの犠牲があまりにも多すぎる。


 愕然としながら、それでも何とか親友から目を背けないように努めて、善子は歯を食いしばった。


「救済……? 何言ってんのよ真奈実。これのどこが救済なのさ! 人が大勢死んでる! 魔女が増えて、死の道を辿る人が増えてる! これのどこが、救済だって……!?」

「相応しきものを新たな世界に導くことが、でございますよ。全ての者は救えませんが、せめて魔女になることのできる者は救済し、共に歩みを進めるのです」

「魔女になったら、死が確定するじゃない。今すぐ死ななくても、近い未来ウィルスに食い潰される。それのどこが救いだって!?」

「心配はご無用。始祖様が再臨なされば、その問題もなくなります。死を乗り越え、転臨まで至ることができればそれも良し。そこまで至らずとも、世界の再編を迎えれば魔女は死に囚われないのです。これは正しく救い」


 ホワイトはうっとりと想いを馳せるように恍惚な笑みを浮かべた。

 信奉する『始まりの魔女』の敬愛に満ち溢れたその姿は、まるで狂信者のようだった。

 それを理解できない善子には、おぞましくすら映る。


「わからない……私にはわからないよ真奈実。私は、アンタみたいに魔女が、『魔女ウィルス』がいいものだとは思えない。これは、どうしようもなく死の呪いだ」


 顔を引き攣らせながら、善子は何とか反論の言葉を口にした。

 いつ訪れるかわからない死に怯える日々。

 実際に目にした大切な後輩の死。そして今、次々に倒れる魔女と、それに恐れ慄く人々。

 それらを思えば、とてもホワイトのような考え方にはなれなかった。


 魔女になんて、ならない越したことはない。

 ホワイトの唱える新しい世界がどんなに素晴らしいものだったとしても。

 そこに至れば死の呪縛から解き放たれるのだとしても。

 その過程に渦巻く苦しみと過酷さを思えば、とても救いだなんて思えない。


「私たちはもう魔女になってしまった。その私たちが生きていくすべを模索するのはわかる。虐げられる現状を改善したいのもわかる。でも、関係ない人を巻き込んで魔女にして、魔法使いを滅ぼそうとして。そんなやり方をする意味が、私にはわからないよ……!」

「えぇ、そうでしょう。でもそれは仕方のないこと。貴女は『魔女ウィルス』が、それを広めたドルミーレ様が何たるかを知らないのですから」


 呆れることなく、ホワイトは穏やかに微笑んだ。

 無知を嘲ることなく、何もわからなぬ子供を見守るように。


「わたくしもあの時まではそうでした。しかし自身の本質を理解し、そして魔女とは何たるかを知ったことで、わたくしの成すべき正義は決まったのです。全ての始まりたるドルミーレ様を現世うつしよに再びお迎えし、世界を本来あるべき理想の姿へと創り替える。それこそが、選ばれし者であるわたくしが全うすべき使命だと」


 堂々と揺るがぬ意志を示すホワイトは、この世の全てを包み込むように腕を大きく広げる。

 純白の衣に燦然とした日の光を受け、その姿はどこか神々しく映る。


 他者の意見など受け付けず、自身こそが絶対と信じ、そしてそれを体現する者。

 そのあまりにも圧倒的な自信に、もはや口を挟む余地はなかった。

 彼女に意見することは、神に意見するにも等しく思えるほどに、その存在は大きく絶対的な存在感を放っている。


 善子は、もしかしたら自分が間違っているのではないかと、そう思ってしまいそうな自分がいることに気付いた。

 彼女の考え方、この現状を受け入れられない自分がおかしく、悪なのではないかと。

 あそこまでの揺るがぬ自信と言葉を向けられると、そう思ってしまいそうだった。


 自分の理解が及ばないだけで、本当は彼女の思想こそが正義を成すのに相応しいのではないか。

 そんな思いに飲み込まれそうになるのを、首を振って必死に振り払う。


 全てにおいて完璧な正しさなど存在しない。

 彼女の考え方の中に正しさがあったとしても、その中にも間違った考え方、やり方が沢山ある。

 それを見誤って、彼女に気圧され飲み込まれてはいけない。


 正しさに正解はないけれど、多くの犠牲をよしとする正義があってたまるかと、善子は自分を奮い立たせた。


「…………やっぱり、私にはアンタの正義を受け入れることはできない。どうしても、理解できないよ!」

「そうでしょう。だからはじめから申し上げたではありませんか。善子さん、貴女にわたくしの正義を受け止めることなど、できはしないと」


 無駄な時間を過ごしたとでもいうように、ホワイトは溜息をついた。


「昔から、貴女はそうだったではありませんか。わたくしがどんなに正しさを説こうと、その耳に届いたことなどなかった。その結果の尻拭いを、わたくしが何度したことか」

「確かに昔の私は馬鹿だった。アンタに沢山迷惑をかけたのだって認める。でも、今のこれは関係ないでしょ。こんなの……」

「同じことですとも。貴女とわたくしは所詮相入れぬ存在なのです。貴女を正すことの無意味さを、わたくしはあの時思い知らされました。不毛な時を過ごしたと、後悔しない日はありませんでした」

「…………!」


 善子に向けられたのは、冷え切った鋭い瞳。

 とても友に、人に対して向けるものではない。

 唾棄すべきものだと拒絶する、見下した視線。

 汚物に向けるようなその表情に、善子は身震いした。


 そんな彼女など気に留めず、ホワイトは冷徹な言葉を続けた。


「わたくしの想いを理解せず、足を引っ張り、そしてこうして邪魔をする。それのどこが、友といえましょうか」

「…………友達だからって、全てを肯定するわけじゃない。私は、アンタの親友としてその間違いを────」

「親友……はて。わたくしは、貴女のことを親友などと思ったことはございませんが」

「────────」


 眉を寄せ、キョトンと首を傾げるホワイトに善子は息を詰まらせた。

 心臓が締め付けられ、思考が停止する。

 指一本すら動かせないほどに、全身が強張った。


「友であるかも疑わしい相入れぬ貴女を、どうして親しく思えるのでしょうか。わたしくしは、貴女となど出会わなければ良かったとすら思っているのに……」

「────ふ────ざ────けんなぁぁぁああああぁあぁぁあああああ!!!!!」


 思考が吹き飛び、感情が破裂する。

 理性は蒸発し、ただ衝動的な感情が心と体を支配する。


 それは悲しみか、それとも怒りか。あるいはその両方か。

 善子を満たした荒れ狂う感情が、彼女の魔力を爆発させた。


 ただ感情に任せ、全身から光の魔力を撒き散らし、善子は自身を拘束している鎖を吹き飛ばした。

 この世の全てをその輝きで覆い尽くさんばかりの、新星の如き閃光。

 しかしその輝きは、渦巻く感情によってやや陰りを孕んでいた。


「もういい! なんとでも言えばいい!」


 自由を取り戻した善子は、空中に作り出した足場に震える足で踏ん張って、声を荒げた。


「アンタはもう、私の知ってる真奈実じゃないんだ。でも、アンタをそうしてしまった原因は、私にある。私は……私はアンタを親友だと思ってるから! だから私が、責任を持ってアンタの目を覚まさせる。例え、刺し違えることになっても。それが、私の正しさだ!!!」

「……貴女は本当に、愚かな人」


 親友を想うが故に、覚悟を決める善子。

 わかり合うことは叶わず、足掻いても交わることができないのなら。

 変わり果てた親友を正すのは、自分の役目だと。


 例え当人から拒絶されても。何を言われたとしても。

 善子にとっては、彼女と過ごしたかつての日々は掛け替えのないものであり、彼女はどうしようもなく親友なのだから。


 心のどこかで、言葉を交わせばわかり合えると思っていた。

 かつて心を通わせていたはずの親友なのだからと。

 けれど、もう言葉に意味はないとわかってしまった。

 力に身を任せ、傷つけ合うしかないのなら、そうするしかない。


 かつて何度も繰り返し自分を叱ってくれた親友を、今度は自分が正す番だと。

 そしてその果てに、かつての愛おしき親友を取り戻すのだと。

 善子はそう決意した。


 力強くそう猛る善子に、ホワイトはただ溜息をつく。


「その誤った正しさで、何を成せるというのです。正義は我にあり。その証明をご覧に入れましょう」


 ホワイトがそう口にした瞬間、彼女を中心に身の毛もよだつ魔力が渦巻いた。

 それが何なのか、善子にはもうわかる。


「偉大なる始祖様へと至る道行。最果てへと手を伸ばした上位の存在の証。これこそが世界に君臨するべき、ドルミーレ様に連なる者の姿です……!」


 後光の如き燦然とした輝きをまといながら、ホワイトの姿が異形へと歪む。

 善子は親友のおぞましい変貌に、ただただ嫌悪感を覚えた。




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