16 差し出された手

「ちょっとレイくん!」


 あまりの言い方に私は透かさず声を上げて、その澄ました顔を睨んだ。

 レイくんはすぐに、ごめんごめんと謝罪の言葉を口にしたけれど、それはひどく口先だけのように見えた。


 レイくんの言葉を正面から受けた善子さんは、顔をくしゃっと歪め、唇を噛んで懸命に堪えていた。

 少しでも気を抜けば泣いてしまいそうなのは、その震える瞳を見れば明らかで。

 私は、そんな善子さんの手を握ってあげることしかできなかった。


「……レイくん。もう少し言い方を考えてよ。レイくんの言っていることに嘘がなかったとしても、今のは思いやりがなさ過ぎる」

「そうだったね。確かに配慮が足りなかった。けれどさ、善子ちゃんは善子ちゃんで受け入れないといけないと思ってね。今のホワイトは、嘘偽りのない彼女自身であるという現実をさ」


 私が強く咎めると、レイくんはションボリと眉を下げた。

 レイくんの言いたいことはわかる。

 善子さんが真奈実さんと立ち向かおうと思っているのなら、彼女の今をきちんと理解していないといけない。

 ワルプルギスのリーダー・ホワイトとなった今の彼女の状態を受け入れなければ、正面からぶつかることなんてできない。


 けれど、その事実を真正面から善子さんに叩きつけるのは、あまりにも酷だと思う。

 真奈実さんは自分自身の意志で今の道を歩んでいて、それは誰に強制されたものではないとしても。

 その道に歩み出すきっかけとなってしまっていた善子さんに、親友の変化は重くのしかかるだろうから。


 それに、真奈実さんを大切に想って、彼女のその正義を信じてきた善子さんにとって、今のホワイトが掲げるものは受け入れがたいもの。

 本当の真奈実さんではないと否定したいものなのに、それこそが善子さんを救い、そして真奈実さん自身であると言われるなんて……。


 普段は見られない、弱々しく震える手を私は強く握った。

 心中を察すれば察するほど、私も息が詰まりそうなくらい辛くなる。

 だからこそ、いつも支えてくれる善子さんに寄り添いたい。


「……ありがとう、アリスちゃん。怒ってくれて」


 私の手を見つめて、善子さんはポツリと言った。

 弱々しいその顔に、必死で笑みを浮かべて。


「確かに、あの子が、真奈実が自分の意志でああなったっていうなら、それはそれで受け入れないとだ。その事実を受け入れた上で、だからこそ私は、あの子を否定しないといけない」

「善子さん……」

「私は、今の真奈実のやり方が正しいとは思えない。だから私はあの子の親友として、その在り方を否定してやんなきゃいけないんだ。くよくよしてる暇なんて、ないよね」


 そう言って、善子さんは笑う。

 カラッと爽やかに、いつものように頼もしく。

 でもそれは強がりだとわかってしまうから、見ているこちらも苦しくなる。


 けれど、それでも善子さんがそうやって強くあろうとしているのなら。

 私もまた、強くその隣に立たなきゃいけない。

 だから私は、その笑顔に応えて力強く頷いた。


「……それで。五年前のことと真奈実のことは一応わかったけどさ。今のあの子に一体何が起きてるの?」


 私と頷き合ってから、善子さんは表情を引き締め直してレイくんに問い掛けた。

 そこにもう弱々しさの面影はないけれど、強い瞳の内側には不安が見え隠れしている。


 レイくんはそんな善子さんを見て薄く微笑んでから、思い出したように小さく溜息をついた。


「僕たちは志を同じくして、共にワルプルギスとして活動してきた。僕が提示した計画と目的に賛同し、彼女はずっとその通りにことを進めてくれていたんだ。けれど、実は昨日意見が逸れてしまってね。僕の思惑とは違う方向に、ことが進もうとしているのさ」

「それは、私が昨日レイくんについていかなかったから……?」

「アリスちゃんのせいじゃないよ、と言いたいところだけれど……まぁ、そうだね。原因はそこだ」


 レイくんは私に目を向けて、眉を寄せて苦笑した。

 甘い顔はそのまま、どこか申し訳なさそうにしつつ、しかしハッキリとそう言う。


「ワルプルギスは、『始まりの魔女』ドルミーレを内包する姫君・アリスちゃんを中心として、魔女が住み良い本来の世界に再編することが目的だ。魔法使いを打倒、駆逐し、それを成す為には『始まりの力』が不可欠。だからこそ僕らはアリスちゃんを強く求めた」

「それは……うん。でもつまりそれは、私がいなきゃレイくんたちの計画は進まないってことじゃないの? ホワ────真奈実さんは、一体何をしようと……?」

「そう。だから僕は、計画の進行は遅れるけれど、焦りは禁物だと言ったんだけどねぇ」


 レイくんは黒いニット帽の上から頭を掻いて、また溜息をついた。

 ホワイトと意見が逸れたことが、よっぽど負担なのかもしれない。


「ホワイトは、君が魔法使いの手に渡ることを恐れている。万が一そんなことになれば、一気にこちらの身が危ぶまれるからね。だから彼女は、先に魔法使いに向けて戦いを仕掛けようとしている」

「魔法使いに戦いを!? だって、魔女は魔法使いに不利でしょ!? だからこそ今までずっと……」

「そうだね。けれど彼女はそれでも、魔法使いに君が奪われるリスクを重く見て、危険な戦いを起こそうとしているんだ。僕は、できればそれを避けたい」


 魔女が魔法使いに戦いを挑むなんて、普通に考えれば無謀だ。

 元からレジスタンス活動をしている魔女というのはいたし、特攻承知で戦っている人たちはいたけれど。

 でもそれは所謂過激派の、一部の人たちだけだったはず。


 それにそういう人たちだって、いっぱい食わせようといった感じの暴れ方がほとんど。

 魔女と魔法使いの絶対的な上下関係を前に、真正面から戦いを挑む人は少ない。

 普通魔女は、魔法使いに一方的に狩られるのを恐れるものだ。


 いくら私を取られたくないからといっても、あまりにも無謀な行為だ。

 それは私にでもわかる。


「転臨を果たした魔女ならば、個々の戦いにおいては負けないかもしれない。しかし彼女がしようとしているのは、『まほうつかいの国』に対する組織的な叛逆。言ってしまえば全面戦争だ。多大な犠牲が出ることは、想像に難くない」

「そんな……! どうしてそこまでして……」

「それほどまでに、彼女は魔法使いを悪と断定しているんだろう。彼らの行いを許せず、そしてそんな彼らに麗しの姫君を奪われることを恐れている。だからこそ彼女は、一刻も早く計画を動かそうとしているのさ。多分、ね……」


 レイくんはやれやれと肩を竦めて、その顔を手で覆って肘をついた。

 視線を外すなんて、レイくんにしては珍しい。

 それほどまでに現状に参っているのかもしれない。


「聞けば聞くほど、やっぱり真奈実らしくない。そんな無謀で、沢山の犠牲が出る可能性があることをしようとするなんて……。ねぇレイ。ずっと一緒にやってきたアンタの言葉も聞かないの?」

「聞いてくれたら困ってないさ。だから大変なんだ。こんなことは初めてだからね。まぁ昨日のアリスちゃんを連れて帰るのを失敗したことで、信頼が崩れてしまったのかもしれない。それとも、あるいは……」


 難しい顔をして尋ねる善子さんを、覆う手の隙間から見遣るレイくんは、返答の最後を濁す。

 溜息交じりのその言葉には、若干の苛立ちが含まれていた。


「────とにかく。そんな無謀な動きは止めないといけない。だから僕はこうして、慌ててアリスちゃんに会いにきたってわけだ」


 顔から手を離したレイくんは、普段通りの穏やかな表情に戻って、シャンとそう言った。

 つい今し方までの不機嫌さなどなかったかのように、ピシャリと切り替えて笑みを浮かべる。


「アリスちゃんが僕らの元に来てさえくれれば、彼女も無用な無謀を侵しはしないだろう。だからとりあえず、形だけでも付いてきてくれると、とっても嬉しいんだけどな」


 レイくんは軽やかにそう言って、スッとその腕を私の肩に回してきた。

 細身の腕で私の肩を包むように抱いて身を寄せて、もう片方の手を静かに差し出してくる。


 こんな風にその手を差し出されるのは、もう何度目だろう。

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