7 これから

 ひとしきり氷室さんを撫でてから手を放すと、少しだけ物寂しい視線が飛んできた。

 けれどちゃんとお話をするのに、いつまでもほっぺの柔らかさを堪能しているわけにもいかない。


 顔から放した手でもう片方の手を握って居住まいを正すと、氷室さんも姿勢を正して見返して来た。

 ほんの僅かなスキンシップの空気から、すぐに凛とした雰囲気へと変わる。


 街中にある然程大きくない公園といえど、日曜昼間ともなれば賑やかな喧騒が響いている。

 無邪気に笑う子供の声や、その親御さんたちのお喋りの声で満たされる中、私たち二人だけは静かな時間に包まれていた。


 氷室さんはただ、無言で私の言葉を待っている。

 スカイブルーの瞳はもう不安に揺れてはいないけれど、しかし私を捕らえて放さないと言わんばかりに真っ直ぐだ。

 その想いに応えるために、私は氷室さんの両手を握りながらゆっくりと口を開いた。


「私、『魔女ウィルス』の問題を解決したい。それはやっぱり、記憶を取り戻しても変わらなかった。ただ昔を思い出したことで、私が守りたい大切なものは増えたから。その分、戦う目的が増えたって感じなの」


 言葉を選びながら、よく考えながら、私は今の自分の気持ちを口にする。

 氷室さんは決して私から視線を外さずに、黙々と聞いている。


「今と昔、どっちの方が大切とかじゃなくて、今の私にはどっちも大切。私には『魔女ウィルス』に苦しんでる友達が沢山いて、それにこっちも向こうも関係ないから。だから私がしたいのは、『魔女ウィルス』をなくして、魔女を苦しみから解放すること。そして、魔法使いと魔女が争わなくて済むようにすること」


 氷室さんは小さく頷いた。それは、最近の私が目的としていたものと同じだからだ。

 結局、昔も今も、私が望んだことの大筋は変わらない。

 違ったのは、私のドルミーレに対する認識だ。


「ただその為には、私の中のドルミーレをどうにかする必要があると、私は思う。今までの私はドルミーレの『始まりの力』を使いこなせるようになれば、その問題は解決できるんじゃないかって、そう思ってたけど。でも昔、私と彼女の距離がもっと近かった時のことを思い出したら、そんなんじゃダメだってわかった」


 私が『始まりの力』を物にしようとすればするほど、私の中のドルミーレの存在感が強くなっていく。

 それに結局、飽くまでこの力は彼女のものであって借り物に過ぎない。

 ただ使いこなそうとしても、きっと百パーセントには届かないし、彼女を刺激して目覚めを増長させるだけなんだ。


「ドルミーレは、とっても恐ろしい存在。その力の強大さだけじゃなくて、自分以外のもの全てを憎んで否定する、その冷徹な在り方が。そんな彼女の力をいくら引き出してもきっと何の解決にもならないし、もしドルミーレが目覚めでもしたら、何をするかわからない。だから、私は……」


 もう心に決めていることではあるけど、僅かに言葉が詰まった。

 手に汗が滲むのを感じたけど、氷室さんの手を放したくはなくて。

 そんな私の気持ちを汲むかのように、氷室さんの方から握る手の力を強めてくれた。


 その細い指の力と、芯の通った瞳の真っ直ぐさに支えられて、私は言葉の続きを口にすることができた。


「私は……私の中に眠るドルミーレを、倒さなきゃいけないと思ってる。全ての魔女を救う為には、魔女との諍いで傷付く人をなくす為には、全ての原因である彼女を倒さなきゃいけないと思うんだ」


 二千年も昔、魔女と蔑まれ討伐された始祖。

 そんな人がどうして私の中にいるのか。どういう理由で、どういう仕組みなのかわからないれど。

 でも彼女は私の心の奥底に確かに存在して、その強大過ぎる力は健在。


 なら、その存在を完全に亡きものにすることが、きっと一番の解決策。

 世界に『魔女ウィルス』を撒き散らした原因で、人の手に余りすぎる力は、決してあっていいものではない。


 強大過ぎる力故に忌み嫌われて、魔女と蔑まれた当時のことは可哀想だと思うけれど。

 私の知っている彼女の性格と性質を鑑みれば、彼女が凶悪な『魔女』と恐れられるのも、正直頷いてしまう。

 そして彼女が実際に引き起こした『魔女ウィルス』の問題は、二千年の時が経った今も根を張っているのだから。


 多くの人が苦しむ原因を作った『始まりの魔女』は。

 二千年も前に死んでしまったはずのドルミーレは。

 もう、終わりにしなくちゃいけないんだ。


「それが生半可なことじゃないってことは、よくわかってる。でも、それがきっと一番の解決策だから。そうすれば、魔女のレジスタンスが無謀な戦いを挑む必要もなくなるし、魔法使いが非情な殺戮をする必要もなくなる。誰も、傷付かなくなるはずだから」

「………………」


 誰も傷付かなければいいなんて、それは理想論だ。

 そんなことはわかってるけど、でも少なくとも私は、『魔女ウィルス』が原因の悲しい衝突はなくなってほしい。

 本当は誰も悪くないのに、その危険なウィルスのせいで、生きる為に戦わなきゃいけなくなってしまうから。


 それはきっと氷室さんもわかってる。

 だから、何も言いはしないけど、その瞳は私をしっかりと捉えている。

 その視線に否定はなくて、私の言葉を真摯に受け止めてくれている姿勢が伝わってくる。


 言葉がなくてもわかるその想いに、私は思わず口元が緩んだ。

 一人だけ背負い込む必要なんてない。

 こうして私の想いを受け止めて、受け入れてくれる友達がいるんだから。

 私は決して、一人で戦っているわけじゃない。


 そう思うと体の強張りは薄らいで、自然と緩んだ息がこぼれた。


「私ね、昔レイくんと約束をしたの。レイくんは魔女の虐げられる立場をなんとかしたいって言っていたから、その力になるって。でもレイくんがしようとしていることは、魔法使いと戦って自由を勝ち取ることだった。私は、魔法使いと戦いたいわけじゃないんだ」

「…………」

「だからそれを止める為にも、ドルミーレを倒さなきゃいけない。ワルプルギスも魔女狩りも、『始まりの力』を使ってお互いを滅ぼそうとしてる。なら、それをそのものを失くしちゃえば争いにならないでしょ? しかもそれで『魔女ウィルス』の脅威や問題もなくせれば、全部解決、なんて」

「………………」


 我ながら理想が過ぎるとはにかんでみれば、対する氷室さんは真剣な瞳で唇を結んだ。

 それがただの理想ではなく、私にとってしなければならないことなのだと、氷室さんはわかってくれているんだ。


「ただ、そうとんとん拍子にはいかないと思う。だからまずは、ワルプルギスに魔女狩り、両方の動きを止めるのが先決かなって思うの。記憶と力を取り戻した私は、『まほうつかいの国』のお姫様としての自覚がちゃんとある。だからその意志と権利を持って争いの動きを止める。それから、争いの大元を正すのが、一番なのかなって」


 魔女の問題は根強いから、いくらお姫様の命令でも、魔女を狩ることそのものを完全に止めることはできない。

 でも私が強くそれを推せば、大きな動きを押し留めることはできるはずだ。

 それに私のことを信奉しているワルプルギスだって、私が明確な意志を示せば話を聞いてくれるはずだ。

 だってあそこにはレイくんがいるんだから。


 だからまずは、少しでも争いを止めることが先決。

 私を殺そうとしたり、捕らえようとしたり。そういう色々な動きがあるのはわかってるけど。

 今の私の力なら、そう簡単にはやられないから。

 その全てを押し込めて、私の話を聞いてもらうんだ。


 まずは目の前の問題を押さえないと、きっと本題まで辿り着けない。

 ドルミーレは魔法使いやワルプルギスが自分を求めて画策していることをうるさがっているし。

 それに業を煮やして暴れ出されちゃ堪らない。


 魔女狩りもワルプルギスも、今まで私は受け身ばかりだったけれど。

 もう私は、自分の意志で彼らに向き合って対峙しなきゃいけないんだ。


 その決意を胸に、私は氷室さんの手を強く握り直した。


「だから私は近いうちに────ううん、すぐにでも、一度向こうに行かなきゃいけない」

「…………」


 私にその鮮やかな瞳を向けたまま、氷室さんは小さく白い息をこぼした。

 指が強く絡まり、向けられた視線はほんの少しだけ弱く揺れた。

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