6 普通の女の子6
「だ……ダ、ダメ! アリス、ちゃん……!」
わたしがレイくんの手を握った時だった。
後ろからすごくあわてた声が飛び込んできて、わたしは思わず飛び上がってしまった。
勢いでレイくんにしがみつきながら振り返ってみると、そこにいたのはあられちゃんだった。
いつも無表情に近い『くーる』なあられちゃんだけれど、今はそれが崩れていた。
ここまで走ってきたのか、はぁはぁとあらく息をしながら、でも下を向かずにわたしを真っ直ぐ見てくる。
レイくんにくっつくわたしに向かって、あられちゃんは口をパクパクさせた。
「ダメ、だよ、アリスちゃん。その人について行っちゃ、ダメ……」
「あられちゃん……! どうしたの? どうしてダメなの?」
白い顔を赤らめて、息を落ち着ける間もなくわたしに言うあられちゃん。
そんな普段とは違う必死な様子のあられちゃんに、わたしは心配になって近寄ろうとした。
でも、手を放そうとしたわたしをレイくんがくいっと引き寄せたからそれができなかった。
「ダメ、なの。その人が行くところに、ついて行っちゃ……アリスちゃんは、そこに行っちゃ……」
「なるほど……まさかこっちの世界に、しかもアリスちゃんのそばに君みたいな子がいたなんてね」
ぜいぜいした息のせいか、それとも元々あられちゃんがおしゃべりじゃないからか。
あられちゃんの言葉はつっかえてまとまらなくて、何を言いたいのかよくわらなかった。
だからじっくり言いたいことを聞いてあげようと思ったんだけれど、レイくんが口を挟んだ。
レイくんはわたしのことをやんわりと抱き寄せながら、あられちゃんにニッコリ微笑む。
「……そうか。君がいたからこそアリスちゃんの力が顔を覗かせたんだね。なら僕は君に感謝しなきゃいけないね」
「…………あ、あの、わたし……わたしっ……」
レイくんはわたしにするのと同じように、あられちゃんにも優しく話しかける。
でもあられちゃんはそんなレイくんを見上げると、おびえたような声を上げた。
でも唇をぎゅっと結んで、おっかなびっくり口を開ける。
「アリスちゃんを、連れて行かないで。アリスちゃんは、わたしのお友達、だから……」
「僕だってアリスちゃんの友達さ。だからこそ僕は、アリスちゃんがいるべき場所に連れて行ってあげる、それだけだよ。君にはまだよくわからないかもしれないけどね」
レイくんの言葉はとても柔らかくて優しいのに、でもなんとなくあられちゃんに『てきたいしん』を持ってるような気がした。
優しいはずなのに、でもなんだか意地悪をしてるみたい。
それがなんだかいやで、わたしは震えているあられちゃんにニッコリ笑いかけた。
「大丈夫だよあられちゃん。レイくんは悪い人じゃないし、よくわかんないけど……でもわたしに力を貸して欲しいんだって。困ってるお友達は助けてあげなきゃ」
「で、でも……アリスちゃんは、こわく、ないの?」
「こわくないよ! だってね、魔法を使えるようになるかもしれないんだよ? 楽しそうじゃん!」
わたしが今まで想像していたような、ファンタジーの世界に行けるかもしれない。
わたし自身が、物語の主人公みたいに不思議な力を使えるかもしれない。
今のわたしはそのことで頭がいっぱいで、もうわくわくしてしょーがなかった。
わたしがにっこりそう答えても、あられちゃんは不安な顔のままだった。
いつもあんまり表情が変わらないあられちゃんだけど、今ははっきりとわかるくらいに悲しそうな顔をしてる。
きれいな水色の目を細かく動かして、わたしとレイくんを何度も変わりばんこに見る。
「わたしは、わたしは……いや、だよ。アリスちゃんがどこかに、行っちゃうの。わたしは、アリスちゃんと一緒にいたい、から」
「あられちゃん……」
首を小さくふるふる振りながら、あられちゃんはゆっくりと近づいて来た。
今にも泣きそうなその震える声に、なんだか悪いことをしている気分になってきた。
「だって、約束、したから。アリスちゃんはどこにも行かないって、一緒にいてくれるって、約束、したから」
「う、うん。そうだね……」
その約束はついさっきしたばっかりだった。
でも、別にもうここに帰ってこないわけじゃない。
お家に帰らなきゃお母さんに怒られちゃうし。
ただちょっぴりレイくんについてくだけなんだから。
でもあられちゃんはそうは思ってないみたいで、震える手でわたしの空いている手を握ってきた。
「ダメ……いやだ、行かないでアリスちゃん。わたしと一緒に、ここにいて……」
「あられちゃん、わたし、えっと……」
ぎゅうぎゅうと痛いくらいに手を握ってくるあられちゃん。
その必死の言葉に、流石のわたしもわくわくが少し引いてきた。
あられちゃんがこんなにわたしと一緒にいたいって言ってくれてるのに、それを振り切って行っちゃっていいのかなって。
「まぁ落ち着きなよ。別にアリスちゃんを取るわけじゃない。君もアリスちゃんの友達なら、アリスちゃんがやりたいことをやらせてあげたいと思わないのかい?」
わたしが何て答えようか迷っていると、レイくんがあられちゃんの肩をポンポンと叩いて言った。
あられちゃんはわたしの手をさらに強く握って、怯えた目でレイくんを見上げる。
「でも、わたしは……アリスちゃんには、普通の……」
「けれどアリスちゃんはそう思ってない。アリスちゃんは未知の世界に飛び込みたいと願ってるのさ。それを友達の君が邪魔するのかな?」
「そ、それは……でも……」
「レイくん、あられちゃんにイジワルしないで!」
レイくんの言葉に体を小さくしてしまったあられちゃん。
わたしが我慢できずに声を上げると、レイくんはシュンとした顔をした。
わたしはそんなレイくんから手を放して、両手で氷室さんの手を握ってにっこりと笑顔を向けた。
「ごめんねあられちゃん、心配かけて。でも、わたしは大丈夫だよ。レイくんは悪い人じゃないし、それにすぐに帰ってくるから。あられちゃんを一人ぼっちになんて、わたし絶対しないから」
「アリス、ちゃん……」
水色の目にたっぷりと涙をためて、あられちゃんはわたしのことをションボリと見てくる。
「だってわたし、あられちゃんのこと大好きだもん。あられちゃんとわたしは友達だもん。あられちゃんと離れたくなんてないもん。だから、大丈夫だよ」
わたしにはあられちゃんがどうしてそこまで一生懸命に止めてくるのか、それがよくわからない。
でも何にしても、わたしがあられちゃんのことを『ないがしろ』にするなんてことは絶対ないから。それだけは絶対にありえないから。
だってあられちゃんは、わたしのとっても大切な友達だもん。
「…………じゃあ」
あられちゃんはわたしのことをまじまじと見つめながら、とっても細い声を出した。
いつもわたしの顔をまっ正面から見ることのないあられちゃんだけれど、今はしっかりと顔を向かい合わせてくれてる。
「わたしのこと、絶対、忘れないで。どこにいっても、絶対……」
「当たり前だよ! 絶対忘れないよ! 忘れられないもん!」
どこか『かんねん』したように、あられちゃんはポツリポツリと言った。
わたしはそれに対して自信たっぷりにうなずき返す。
「大切なお友達を、わたしは絶対忘れないよ。だから約束する。帰ってきたら、一番にあられちゃんに会いに行くって!」
「……ほん、とう?」
「本当だよ! 約束する。ゆびきりしよ」
不安そうに聞き返してくるあられちゃん。
そんなあられちゃんにわたしはにっこりと答えて、手を放してから小指同士をぎゅっとからませた。
固くぎゅっと指を結ぶと、あられちゃんはショボンとした顔をしながらも、でもうんと小さく頷いてくれた。
「話もついたようだし、それじゃあそろそろ行こうか」
見計ったようにレイくんがそう言ってわたしの手を引いた。
するっと小指同士がほどけて、あられちゃんは「あっ」と小さい声をこぼす。
離れてしまった指を伸ばして、あられちゃんが名残惜しそうにわたしを見る。
そんなあられちゃんに、わたしは心配をかけないようににっこりと笑いかけた。
「じゃあいってくるね、あられちゃん。またね!」
レイくんの手を握りながら、目一杯叫ぶ。
不安そうにわたしを見ていたあられちゃんだけれど、わたしに応えるように小さく頷いた。
それを見届けた瞬間、まるで落とし穴にでも落ちたみたいにストンと意識が落ちて行った。
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