8 純白の巫女

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「さて。一体どういうことなのか説明して頂きましょうか」


『まほうつかいの国』、ワルプルギス本拠地の神殿。

 一切の汚れがない白い石造りの広間の中、ワルプルギスのリーダー・ホワイトの冷め切った声が重く響き渡った。


 祭壇の上に一人立つ彼女は、白い石の無垢さに負けない純白の和装をまとい、眼下を不機嫌そうに眺めている。

 それとは対照的な黒く長い髪は床につき、まるで墨汁の川のように流れ広がっていた。


「わたくしが伺っていた話と違いす。まさか、わたくしを謀ったというわけではありませんよね? ねぇ、レイさん」


 穏やかな口調の中には明確な苛立ちが込められている。

 丁寧なのは言葉遣いだけで、その語気はやや乱雑だった。


 そんな声を振り下ろされているレイは、壇の下で跪きながら難しい顔をしていた。

 傍に同じく跪いているクロアが心配そうにひっそりと視線を向けてくるのを感じながら、レイはゆっくりと言葉を選んだ。


「まさか。僕が君に嘘をつくわけがないじゃないか、ホワイト。僕と君の仲だろう?」


 内心僅かな焦りを抱きつつも、レイは普段と変わらぬ明るい口調で返した。

 あっけらかんと、まるで何事もなかったかのように。

 そんな応対に、ホワイトは僅かに眉をひそめた。


「ええ。わたくしもあなたが嘘をついたとは思いたくありません。しかし、であるとするのならば。この現状についてわたくしは説明を仰がなければなりません。わたくしを謀っていないというのならば、何故今ここに姫殿下がいらっしゃらないのか、明確な説明を」


 ホワイトは決して声荒げない。

 飽くまで冷静に問い詰め、ゆっくりとレイを攻め込んでいく。


 レイはそんな彼女に内心でやれやれと肩を竦めた。

 どうにも面倒なことになってしまった。

 下手な言い逃れやはぐらかしではどうにもならないだろうことは明白だった。


 姫君アリスの封じられた記憶と、それに伴う力の解放。

 それを成すことで、レイはアリスが自分の元に帰ってくると信じて疑っていなかった。

 だからこそ、そうなる未来を想定して今後の計画を立てていた。


 そして事実、記憶を取り戻したアリスはレイの手を取ろうとした。

 しかし、ここに連れ帰ることは叶わず、結果として計画は足踏みをせざるを得なくなった。


 あの場ではレイの制止を聞き入れたホワイトだったが、帰還し冷静になった今、不満と疑心が表に出た。

 だがそれは仕方のないこと。彼女は、封印が解かれれば姫君はワルプルギスの力となり、魔女に勝利をもたらすと言われていたのだから。


「言い訳は何もできないよ。僕としてもこの状況は予想外だった。アリスちゃんは僕の予想を上回るほどに、その心を成長させていた」


 レイは思うままを口にした。

 言い訳や言い逃れは意味をなさないとわかっていたからだ。

 それよりも、事実を明確化し、状況を整理するべきだと判断した。


「でもホワイト、そこまで焦る必要はないと僕は思っているんだ。確かに、僕が君に言った通りにはならなかったし、今ここにアリスちゃんがいないことで、計画のテンポは遅れた。けれど、だからといって彼女が僕らに反したわけじゃない。少し時間がかかったとしても、アリスちゃんは僕らの元に来てくれるさ」

「果たして、本当にそうなるのでしょうか」


 笑顔を保ったままレイは身振り手振りで朗らかに言葉を並べる。

 ホワイトを安心させる為ということもあるが、だからといって嘘や大言壮語を口にしているつもりはない。

 レイはそう信じている。


 しかしその言葉にホワイトは目を細め、疑問を挟んだ。


「姫殿下は、その本来の存在を取り戻してしまわれた。かつての記憶と力を取り戻し、本来の姫殿下を取り戻された。それを望んでいるのはわたくしたちだけではないのです。手を拱いている間に、魔法使いに掠め取られてしまうやもしれません。わたくしは、その可能性は決して否定できないと思うのですが、いかがでしょう」

「それは……」


 ホワイトの淡々とした言葉に、レイは答えを詰まらせた。

 今の彼女の性格と精神状態を鑑みれば、確かにそれは否定できないと言える。

 しかしレイは、自分とアリスの約束と絆を信じたかった。

 だが、それがとても個人的な感傷でしかないことをわかっているが故に、今は強く出られない。


「あなたが仰る通り、姫殿下のご意思はとても大切でしょう。それを蔑ろにし機嫌を損ねれば、始祖たるドルミーレ様の機嫌も損ねかねません。しかし、だからといって姫殿下を自由に放っておくことが、果たして我々にとって得策と言えるのでしょうか」


 ホワイトは静かにそう言いながら、祭壇からの段差をゆっくりと降る。

 そして跪くレイの目の前まで降り立つと、ゆっくりと屈み込んでその顔を覗き込んだ。


「わたくしは考えます。このままでは良くないと。これ以上の静観は、決してわたくしたちに益をもたらさないと。行動を、起こさなければなりません」

「ホワイト、君はアリスちゃんを強引に連れ込むべきだと、そう言いたいのかい?」

「はい、と言いたいところですがそうもいかないでしょう。姫殿下に対して強引なアプローチは裏目に出る危険性がありますので」

「だったら、君は一体どうするべきだと……?」


 レイは慎重に尋ねた。

 自身を絶対的正義と疑わないホワイトは、同時に自身の考えを疑わない。

 彼女が一度口にすれば、それを覆すことは難しい。

 


 不安や焦りを顔に出さずにいたレイだったが、ホワイトはその僅かな心の揺らぎを目敏く勘づいていた。

 普段と変わらないような笑みの奥底を見据えるように覗き込みながら、僅かに口の端を吊り上げる。


「レイさんが仰る通り、待つことで姫殿下が我らが元にいらっしゃるとして。それまでただ座して待つ余裕はわたくしたちにはありません。魔法使いは、魔女狩りは悪しき手段を講じようとしているようですから。そうですね、クロアさん」

「えぇ、左様でございます」


 突然振られたクロアはやや慌てながら頭を下げた。

 魔女狩り、ロード・デュークスが企ている『ジャバウォック計画』については、帰還してすぐに報告をしていた。


「混沌の魔物ジャバウォック。ドルミーレ様の怨敵。そのような絶対悪を用いらせるなど、わたくしの目が黒いうちは決して許しません。わたくしは絶対にして唯一の正義として、混沌の権化を決して見逃せません」

「っ…………」


 レイは心の中で舌打ちをした。

 混沌の魔物ジャバウォックというわかりやすい悪は、正義そのものを豪語するホワイトにとっては良い燃料だ。

 その存在を、そしてそれをロード・デュークスが用いようとしていることを耳に入れるべきではなかった。

 しかし、今更後悔しても遅い。


「姫殿下を待たねばならぬのなら、その間の時を埋めなければならないでしょう。悪は滅さなければなりません。全ての魔女の為、始祖様の為、決して見逃してはいけないのです。猶予はもうあまりない。姫殿下抜きでも、わたくしたちは計画を進めなければならないのです……!」

「ま、待つんだホワイト!」


 勢いよく、しかし優雅さを伴いながら立ち上がったホワイトは、大仰に腕を広げて高らかに声を上げた。

 そんな彼女にレイは慌てて口を挟んだ。


「アリスちゃん抜きで、『始まりの力』抜きで魔女狩りに対抗するのは無茶だ。現状で真っ向からぶつかれば、魔女は大きな犠牲を払うことになる……!」

「大義のためには、犠牲もまた致し方ないでしょう」

「ホワイト! 君は……!」


 着物の袖で口元を隠し、ホワイトは嘆かわしげに視線を落として言う。

 その言葉を受け、レイは思わず立ち上がった。


「大きな目的を果たす為には、大きな正義を成す為には、多少の無理は押し倒さねばなりません」

「君がそれを言うのかいホワイト。僕だって、全くの犠牲なしに事を成せるとは思っていないけれど。でも、正義を名乗る君が、それを言うのかい……?」

「正義とはわたくしのこと。わたくしの言葉が、行いが、存在が正義なのです。それをわたくしに教えてくださったのは、あなたではないですか、レイさん」


 ホワイトは薄く微笑み、そっとレイへと手を伸ばした。

 苦い顔をするレイの頬をふんわりと撫でるその視線には、どこか色を感じさせる。


「わたくしをこのようにいざなったのはあなたですよ? わたくしは、あなたによって自分の本質を見出したのです。あなたの言葉には、それだけの特別なものがあった」

「ホワイト……!」

「姫殿下は我らにとって大切なお方。ですがレイさん、ワルプルギスはわたくしがいるからこそ成り立っているのだと、あなたに忘れては欲しくないのですよ……」


 親指で愛おしげにレイの頬を撫でながら、ホワイトはやや甘い声を出す。

 その目は、声は、表情は、まるで恋に焦がれ浮かれる乙女のよう。


 その瞳は、熱に浮かされたようにトロンとレイを見つめる。


「レイさん。わたくしのことを、よくご覧になってください」

「っ………………」


 レイは自らの失態を悔いた。

 ホワイトの本質を、その内面をわかっていたはずなのに。

 アリスのことばかりを考え、ホワイトのことを疎かにしてしまった。


 は、本来であれば防げたはずだった。


 歯を食いしばるレイに微笑んで、ホワイト高らかに口を開いた。


「レジスタンス・ワルプルギスのリーダーとして、始祖ドルミーレ様の勅使たる『純白の巫女』として、わたくしはここに宣言します。姫殿下不在の間に、『白紙化の儀式』を可能な限り進行させると……!」

「ダメだ! まだ早い! アリスちゃんを迎えてからだ!」

「いいえ────」


 透かさず声を上げたレイに、ホワイトはゆっくりと首を横に振る。


「その為の布石は、既に打ってあります」

「何だって……!?」

「何も心配することはありません。あなたの仰る通り、姫殿下がのちに我らの元にお越しいただけるのであれば」


 ホワイトは微笑む。優雅に、余裕に。

 しかしそこには、彼女が信じる正義とは別に何か異なる感情が隠れているように、レイには見えた。


「全ては、正義わたくしの成すままに────」


 レイにはただ固唾を飲み、見つめ返すことしかできなかった。




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