129 裏の裏の裏

 全てがゆっくりと流れた。

 空気が電気にバチバチと弾かれる音。

 チカチカと点滅する閃光。


 そして、仰向けに倒れゆく夜子さん。


 千鳥ちゃんを柔らかく抱いていた腕を解き、ピクリとも動かずに。

 まるでマネキンが転がるように、背中から倒れていく。


 一体、何が起きているのか。

 何がどうなってこうなったのか。

 私には全くわからなかった。


 停止した思考と、低速にしか認識できない視覚と聴覚。

 それらをフル動員しても、私には事態が理解できなかった。


 けれど。

 夜子さんの身体が傾いていく最中、千鳥ちゃんの身体がバチバチとスパークしているのがわかった。

 でも、それが意味するところが理解できない。

 点と点が、繋がらない。


「────夜子さん!!!」


 それでも、反射的に大きな声が口から飛び出した。

 何が何だかはわからないけれど。

 それでも心が、今起きている非常事態に悲鳴を上げた。


 炸裂した閃光と、劈く轟音。

 ドサリと音を立てて倒れる夜子さんを見れば、尋常ではないことが起きていることはわかったから。


 それでも、何故そんなことになったのか、まだ私には理解できなかった。

 そんな時────────


「何やってんだお前ぇぇえええええ!!!」


 空を割らんばかりの怒声を吐き出しながら、カノンさんが飛び出した。

 傷付き疲労した身体も厭わず、木刀を握り締めて。


 千鳥ちゃんへと一直線に。


 たった一つの跳躍で瞬時に距離を詰めたカノンさん。

 既に振り上げていた木刀を勢いそのままに振り下ろす。

 そこに止める暇なんてなくて、無情な木刀は千鳥ちゃんの脳天目掛けて落ちた。しかし。


「おっとおっと、相変わらずカノンちゃんはおっかないねぇ〜」


 その木刀は届かなかった。

 千鳥ちゃんの正面に張られた障壁に阻まれ、粉々に砕け散ってしまう。


 唸りを上げるカノンさんに対して場違いなほど呑気な声で、ロード・ケインが千鳥ちゃんの傍に立った。

 どうやら、あの障壁は彼によるものらしい。


 ロード・ケインはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべると、ひょいと僅かに指を振った。

 すると突然、カノンさんが見えない何かに吹き飛ばされてこちらまで押し戻された。

 幸いダメージはないようで、カノンさんは顔を歪ませながらも軽やかに私たちの脇に着地する。


 一体何が起こっているのか。

 どうして、ロード・ケインが千鳥ちゃんの横にいるのか。


 麻痺した脳味噌がゆっくりと動き出して、嫌でも徐々に状況を整理していく。

 時間が経ってみれば、状況は火を見るよりも明らか、あまりにも明白だった。


 迸った電撃は、千鳥ちゃんから放たれたもので間違いない。

 今も尚バチバチと帯電しているその身体。その輝く姿から、あの雷鳴は炸裂した。

 千鳥ちゃんの放った電撃が、夜子さんの胸を貫いたんだ。


 そして、そんな彼女の隣にロード・ケインがいる。

 それは、つまり────


「お前が、ロード・ケインのスパイだったのか!!!」

「…………」


 ここまで押し戻されたカノンさんが叫ぶ。

 千鳥ちゃんは、唇を噛んで俯いていて、何も答えない。


 そう。そうだ。もう、それしか考えられない。

 でも、あり得ない。あり得るわけがない。

 そんなこと、あるはずがないんだ。


「まぁそういうことだ。アゲハちゃんが派手に動いてくれたから、ここまでしっかりと隠し通すことができたよ」

「ここまでが、てめぇの筋書きかロード・ケイン!!!」


 千鳥ちゃんの代わりにロード・ケインが答えて、緩やかな笑みを浮かべる。

 青筋を浮かべ、煮えくり返りそうなカノンさんが絶叫した。


 そう言葉で伝えられても、やっぱりまだ理解できない。

 受け入れられない。


 そんなはずないって、否定の気持ちでいっぱいになってしまう。

 状況を見れば、みんなの顔を見れば、明らかなのに。

 それでも、私の心が受け入れてくれない。


 千鳥ちゃんは俯いている。

 その口は開かない。

 垂れ下がる髪で表情は窺えない。


 そうだ。まだ、彼女の口から何にも聞いていない。


「ち、千鳥ちゃん…………」


 一歩足を出そうとしたけれど、力が入らなくてよろめく。

 咄嗟に手を伸ばしてくれた氷室さんに支えられながら、気持ちだけ前のめりになる。


「どういう、ことなの……? 本当なの……? 千鳥ちゃん、が……?」

「……………………」


 私のまとまらない問いかけにも、千鳥ちゃんは答えない。

 俯いたまま、僅かに肩を震わせているだけ。

 そんな彼女の肩に、まるで親戚のオジサンのような気軽な顔でロード・ケインが手を置く。


 やめてよ。そんなの。

 親しいみたいな、繋がりがあるみたいな、そんなこと。


「そんなはず、ないよね? 何かの、間違いだよね? だ、だってそうだよ……! ロード・ケインのスパイは、ワルプルギスへのスパイでしょ? 千鳥ちゃんはワルプルギスじゃ────」

「いいや、残念ながら間違ってないよアリスちゃん」


 無理矢理現実を捻じ曲げようとしているとわかっていつつも、その場凌ぎの言葉を並べてしまう。

 そんな私を遮ったのは、レイくんだった。


 ポケットに手を突っ込んだまま、優雅な笑みを浮かべて千鳥ちゃんに歩み寄る。

 ロード・ケインとは反対側に寄り添うと、千鳥ちゃんにとても柔らかい微笑みを向けた。

 それはまるで、同胞へ向ける親愛のよう。


「クイナは元々ワルプルギスの一員だ。末端ではあるけれどね。だから、ロード・ケインが僕らに差し向けたスパイで間違いない。ただまぁ、実は二重スパイなんだけどね」

「ありゃまぁ。そりゃ本当かい?」


 穏やかに言うレイくんと、わざとらしくとぼけて見せるロード・ケイン。

 私は、頭がパンクしそうだった。

 気が変になってしまいそうだった。


 千鳥ちゃんが実はワルプルギスで、ロード・ケインが遣わしたスパイで、でも二重スパイで……?

 どうしてそうなるの? 千鳥ちゃんは、千鳥ちゃんのはずなのに。

 私が知ってる千鳥ちゃんは、そんなんじゃない。


 混乱して、気が動転しそうになる。

 力の入らない手が『真理のつるぎ』を取り落として、カランと乾いた音がした。


「真宵田 夜子を抹殺してくれるのなら、僕らの利益になるからね。上手く利用させてもらったよ。こちらの情報を引き出されるのと同等の情報ももらったし、持ちつ持たれつさ」

「そっかー。オジサンしてやられちゃったなぁ」


 理解の追いつかない私のことなど置いて、二人は表面的な会話を続ける。

 わざとらしい、裏を隠しもしない会話。

 でも、そこで繰り広げられている会話は、きっと私には否定しきれないものだ。


「けれど、ここからはお互いの思惑が逸れる。そっちの目的の続行は却下だ。僕らにとってアリスちゃんは絶対。それにクイナはアリスちゃんのお友達だ。手は出さないよ」

「そっか、そいつは参ったなぁ。せっかくここまで順調だったのに」


 得意げな笑みを浮かべるレイくん。

 それに対して、何を思っているのかわからない呑気な笑みで返すロード・ケイン。

 状況はめちゃくちゃだ。


「さてクイナ。君の役目はもう時期終わる。彼女も流石に不意打ち一発じゃ死なないさ。息の根を止めたら、一緒に帰ろう」

「…………」


 穏やかな声色でポンと千鳥ちゃんの肩に手を置くレイくん。

 千鳥ちゃんは、ぎゅっと唇を噛んだ。


 夜子さんは仰向けに倒れたままピクリとも動かない。

 死んでしまってはいないようだけれど、意識があるように見えない。

 心配で、今すぐ駆け寄りたいけれど、それよりも今は目の前のことに向き合うことで精一杯だった。


 千鳥ちゃんがロード・ケイン側だったとしても、ワルプルギス側だったとしても。

 夜子さんに手をかけたことに変わりない。

 どっちの思惑通りだとしても、その事実には変わりない。


 千鳥ちゃんが、私たちにその真実を隠していたことに、変わりはない。

 けれど千鳥ちゃんは、血が出そうなほどに唇を噛んでいる。


「ほらクイナ。あまりもたもたはしていられないよ? 彼女の反撃を許してしまったら、流石にまずいだろう。ほら、アリスちゃんも見てる」

「ッ………………!!!」


 俯いて黙りこくる千鳥ちゃんに、レイくんが再度声をかけた時だった。

 千鳥ちゃんは腕を回してレイくんの手を振り払い、それと同時に電撃が迸った。


 振り払われたのと同時に跳び退いたレイくんは、電撃もかわして距離を取る。

 その顔は不機嫌に歪んでいた。


「……クイナ。まさか、君も裏切るのかい?」

「…………」


 低い声で問いかけるレイくんの言葉に、やはり千鳥ちゃんは答えない。

 そんな光景を、ロード・ケインはにこやかに見守っていた。


「千鳥、ちゃん…………」


 わけがわからない。何がどうなっているのか、わからない。

 目の前で起こっていること、何が真実なのかわからない。


 千鳥ちゃんの口から、その気持ちを聞きたかった。


 氷室さんに支えられながら一歩前へと歩み出す。


「千鳥ちゃん。お願い。教えて。千鳥ちゃん……千鳥ちゃんっ…………!」

「…………ごめんなさい」


 半ば喚きながら問いかけると、千鳥ちゃんは小さく口を開いた。

 そしてゆっくりと顔を持ち上げて、私の顔を見る。


 泣き腫らした目は真っ赤で、その顔は涙でぐちゃぐちゃだ。

 噛み締めた唇には血が滲んでいて、苦悶の表情が刻まれている。


 けれどその瞳は、何かを決意したかのように芯が通っている。

 溢れんばかりの、涙の奥底で。


「ごめんなさい、アリス…………ごめんなさい……!」


 今にも地面に頭を打ちつけそうなほどの、切羽詰まった嗚咽まじりの声。

 その場に崩れ落ちてしまいそうなほどに、その身体はわなわなと震えている。


「千鳥ちゃん……」

「────私は……なんかじゃない!」


 届かないとわかっていつつも手を伸ばして、その名を呼ぶ。

 けれど千鳥ちゃんはそれをピシャッと拒絶した。


 唇から血を流しながら、涙をダラダラと流しながら、揺れ動く強い瞳で私を見た。


「私は、千鳥なんかじゃないの…………。私の名は、クイナ・カレンデュラ。ワルプルギスの魔女で、ロード・ケインの差し向けた本当のスパイ。全部全部、私なの! だから────────」


 涙を流しながら、詫びるように叫ぶ。


「私は……アリス、アンタを────殺す!!!」

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