130 臆病な鳥の子は必死に生きる
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クイナ・カレンデュラは、ツバサの妹。アゲハの妹。
カレンデュラの家の三番目の娘。
三姉妹の末の妹です。
歳の離れた二人の姉に囲まれて、クイナは大層可愛がられて育てられました。
アゲハから見たら五つ下。ツバサから見たら十つも下の妹です。
可愛くないはずがありません。愛おしくないはずがありません。
それ故に、クイナは常にたっぷりの愛情に包まれていました。
お姉さんたちがいつだって助けてくれます。いつだって守ってくれます。
それは平穏な生活の時も、魔女となり放浪の日々を過ごすことになっても変わりませんでした。
優しい二人の姉の愛情に満たされて、いつも頼り、縋って過ごしてきました。
まさに末っ子。人に甘えるのが上手く、頼るのが上手く、愛されるのが上手いのが三女のクイナでした。
しかし、長女ツバサの死、そしてアゲハとの決裂によってその生活は一変してしまいした。
自らを支えてくれるものを全て同時に失ってしまったクイナは、突然一人ぼっちになってしまったのです。
それに加え、辛い現実から目を背け、自らの責任から目を逸らした彼女は、そのアイデンティティすらも見失ったのです。
姉たちがいることが、共にいることが自分だったクイナ。
その姉たちの現実から逃げ出した彼女には、もう何も残っていませんでした。
末の妹として可愛がられ続けられてきたクイナは、とても弱い女の子でした。
守られ続けてきた故に、とても臆病な女の子でした。
甘やかされて育ってきた彼女は、独りよがりなところがある女の子でした。
そんな彼女が何もかも捨てて、わが身可愛さに現実から逃げ出した。
他人のことなど考える余裕などなく、他人を背負う余裕などなく、自分が生きるのが精一杯な日々でした。
拠り所もなく、守ってくれるものも頼るものもない日々。
しかしそんな孤独な日々は、彼女でなくても自分のことしか考えられなくなってしまうでしょう。
それでもクイナには辛うじて肩書きがありました。
クイナは、レジスタンス・ワルプルギスに所属しているのです。
しかしそれは名ばかり、ただ名前を置いているだけで、クイナはその活動に参加したことがありませんでした。
なので、顔見知りが何人かいる程度で、とても拠り所にはなりません。
以前、アゲハがワルプルギスに加入した際に、一緒に形だけ加入させられた。クイナにとってはそれだけの組織でした。
それ故に、余計にワルプルギスを拠り所にする気にはなりませんでした。
そこに近づけば、今や誰よりも顔を合わせたくないアゲハに
結局、クイナに行くあてなどありませんでした。
人は孤独のままでは生きられません。
なので、世間から排斥される魔女たちは同類で集い、相互扶助して生きるのです。
けれどクイナは独りでした。
姉妹を失い、姉妹から逃げ出した彼女に、居場所はありませんでした。
そんな孤独な日々を過ごしている時のことでした。
自分一人が生き延びるのがやっとな、寂しい日々を過ごしている時のことでした。
クイナは、ロード・ケインに出会ったのです。
絶望し、死を覚悟しました。
魔女にとって魔法使いは天敵です。その中でも魔女狩りは畏怖の対象です。
そのトップ、
上位の魔女ならば逃れることもできたでしょう。
もしくは渡り合えることもできたでしょう。
しかしクイナは弱い。酷く弱い女の子です。
そんな彼女を見て、ケインは利用価値を見出しました。
弱く脆い、大した力のない独りの魔女。
守り守られる仲間はおらず、自分一人が生きるので精一杯。
そんな孤独に喘ぐ姿を目にして、彼は一つの提案をしました。
今ここでただ殺されるか、お願いを聞くか、どちらが良いかと。
そんなもの、選ぶ余地などクイナにはありませんでした。
誰だって死にたくありません。生き延びる道があるのなら、それに縋るのが人間です。
慄く身体で猛烈に頷くと、ケインは嬉しそうに微笑んで言いました。
「お願いがあるんだ。イヴニング・プリムローズ・ナイトウォーカーという魔法使いを見つけ出してほしい。そして、殺してほしい。なぁに、ただとは言わないさ。それができれば、君の命の安全は、このロード・ケインが保証しよう」
クイナはただ、そのお願いを受けるしかありませんでした。
それを受け入れなければ、今ここで死ぬだけだったからです。
魔女として生きている中で、その名前には聞き覚えがありました。
『まほうつかいの国』最強の魔法使いであるということも、クイナにはわかっていました。
なので、自分のようなか弱い一介の魔女に何ができるのかと、それが不安でした。
「君は弱い。でもそれがいいのさ。君ほど弱い魔女なら、彼女は歯牙にも掛けないだろうからね。上手く懐に潜り込んで、寝込みを襲えばいいんじゃないかな」
ケインはとても気軽に言います。
本当にそんな簡単にことが運ぶのか、クイナはやはり不安でした。
しかし拒否権はありません。あるけれど、すれば今死ぬだけです。
「後もう一つ。君はレジスタンスのワルプルギスの一員だよね。なら、僕のスパイになってほしいんだ。必要な情報を必要な時に教えてほしい。これは簡単だろう?」
一つ目のお願いに比べれば、それは大したことではありませんでした。
そもそもワルプルギスに深い関わりのない彼女でしたが、最強の魔法使いの抹殺に比べればなんてことはありません。
クイナは今この時を自分が生きる為に、ケインのお願いを受けることにしました。
ナイトウォーカーに挑むことで命を落とす危険性はもちろんあります。
弱い魔女が最強の魔法使いに挑んで、ただで済むとは思えません。
しかし、今ここで殺されるよりはマシだとクイナは思いました。
今を生きる為に命懸けの覚悟を決めたクイナでしたが、ケインは正直、そのお願いにそれほど重点を置いてはいませんでした。
彼にとって、これは飽くまでついでの保険に過ぎなかったのです。
クイナが失敗し、ナイトウォーカーが生存しようとも、それはそれで構わないと、ケインは思っていました。
弱く臆病で今を生きるのが精一杯なクイナは、ケインにとってとても扱いやすい駒でした。
ダメで元々、やらないよりはやる方がマシ。そのくらいの気軽さで、お願いをしたのです。
ケインのお願いを受けざるを得なかったクイナですが、不安と同時に懐疑心もありました。
本当に素直にそれを受けて、自分は安寧を得られるのかと。
そう思ったクイナは、ケインと別れた後ワルプルギスのアジトへと向かいました。
魔女狩りの
このことを誰かに伝えて、相談するべきだとクイナは思いました。
それでも、アゲハと遭遇することを極力避けながらアジトへと向かうと、そこにはレイがいました。
レイのことをクイナは前から知っていました。
ワルプルギスの同胞として、アゲハと一緒にいるところに
なので、クイナはレイにケインのことを話すことにしました。
話を聞いたレイは、それは大層興味深そうに耳を傾けて、ゆったりと微笑んで言いました。
「ワルプルギスにスパイを送り込むとはいい度胸だ。ならクイナ、君は二重スパイをするんだ。こっちの情報を流しつつ、向こうの情報を僕に教えてほしい」
予想外の提案をされたクイナでしたが、彼女はもう頷くしかありませんでした。
ケインのお願いを聞き入れ、約束をしてしまった以上、今からそれを反故にはできません。
だからと言ってレイの提案を蹴ったのなら、裏切り者として始末されるだけです。
クイナに残された道は、二重スパイとして双方の間を走り回り、そしてケインのお願い通りナイトウォーカーを抹殺することでした。
弱いクイナは、弱い故に一番のイバラの道を歩むことになったのです。
それでも、姉のアゲハに頼ろうとは思えませんでした。
ツバサを殺した彼女には、自分のことを散々こき下ろした彼女には、もう決して頼りたくなかったのです。
独りのクイナには、どちらにしろ行くあてもすることもありませんでした。
なので彼女には、もうそれしか生き残る
そうして、ケインが得た情報を元に、クイナは世界の壁を超えました。
そこは魔法の存在しない、神秘とは掛け離れた寂れた世界。
しかし魔女狩りの存在しない、魔女にとっては安寧の地のような場所でした。
けれど慣れない世界に独りやってきたクイナは、すぐに弱ってしまいました。
ただでさえ独りで生きていくのもギリギリだった彼女は、勝手のわからない異世界で、何をどうしていいかわからなかったのです。
そうして困り果て、力尽きそうになっていた時、彼女はナイトウォーカーに拾われたのでした。
ナイトウォーカーはクイナに、真宵田 夜子という魔女だと名乗りました。
しかしクイナは事前にケインから、その二つ目の名を聞かされていたので、その女性こそが標的であると理解できたのです。
感じる気配は魔女のものではありましが、その内から滲み出ている強烈な力は、最強の存在として疑いようがありませんでした。
そして、クイナは居候という形で夜子の元に潜伏することになりました。
こちらの世界に流れ着いた普通の魔女と同じように、夜子のサポートを得てこの世界で生きていくことになりました。
唯一他の魔女と違うのは、その住処を離れようとしなかったことです。
しかし夜子はそのことを深く追求することなく、クイナを自分の元に置き続けました。
夜子と同じ屋根の下で生活し、その仕事を手伝う居候の日々。
姉の元を離れてから独りで過ごしてきたクイナにとって、それは久しぶりの他人との日々でした。
夜子は口が悪く、すぐにクイナをぶっきらぼうな言葉で嗜めます。
しかし、彼女は決してクイナのことを否定はせず、その存在を受け入れてくれました。
クイナが何度仕事を失敗しようが、居候として役に立たなかろうが、夜子は決してクイナを拒絶しませんでした。
口では何と言おうとも、夜子はそんなクイナの存在を認めてくれていたのです。
そこに、クイナは妙な居心地の良さを感じてしまっていました。
姉たちのように、わかりやすく優しいわけでも、甘やかしてくれるわけでもありません。
態度はぶっきらぼうで、口を開けば嫌味のような言葉がついて出てくる始末です。
それでも、クイナは次第に夜子へ心を許すようになっていました。
ひたすらに愛されて育ち、孤独な日々を喘いできたクイナには、夜子の態度がとてもちょうど良かったのです。
適度な自由と適度な仕事、適度な人間関係。
夜子は、今までクイナにはなかった新鮮なものを与えてくれました。
そんな生活を続けているうちに、クイナは自分の本来の目的を果たさなくてもいいかもしれないと、そう思うようになりました。
このままこの世界のこの街で、この人と過ごす毎日も、悪くないんじゃないかと。
そんなことを思いながらも、二重スパイとしての情報共有は緩慢に最低限こなしました。
けれどクイナの気持ちは、ケインのお願いからも、ワルプルギスからも離れつつありました。
そんな中、花園 アリスが現れ、クイナの価値観を引っ掻き回したのです。
はじめはうっとおしいと、煩わしいと、面倒だと思っていました。
こちらの世界にやって来て、しがらみから逃れて安穏としていたのに、一番の面倒ごとが舞い込んできたと。
しかし、アリスと関わっていくにつれ、クイナの凝り固まった心はほぐれていきました。
初めてできた、友達と呼べる存在。
心から信頼できる存在。
全てを投げ出し、偽りの中で生きて来た彼女に、居場所を提示してくれた人。
次第にアリスは、クイナにとって大切な存在になっていきました。
アリスと言葉を交わす度、今ここにいる自分こそが本当の自分だと思えました。
捨て去り、逃げ出した過去のしがらみの影に怯えるクイナではない。
今ここで、千鳥と呼んでもらえる自分こそが、本当の自分だと。
そんな
そう思えるようになりました。
いつの間にかクイナの中で、ケインのお願いに応える考えは無くなっていました。
この居場所を失うなんてありえない。
夜子の居候として廃ビルに住まい、アリスの友達でいる自分こそが、本当の自分なのですから。
しかし、クイナがそう思ったのを見計らったかのように、ケインが再び彼女の元を訪れたのです。
現在から二日前の夜のこと。
アリスたちがロード・スクルドとの戦いを切り抜けた夜のこと。
クイナは、こちらの世界にやって来たケインに呼び出されたのでした。
「彼女の元に潜伏して大分経ったし、そろそろ頃合いなんじゃないのかな?」
ケインはまるで世間話をするようなトーンでサラッと言いました。
クイナはただ、頷くしかありません。
それを実行するつもりはもうないと、そんなこと言えるはずがないのですから。
「あぁそれと、姫様のことも一緒にお願いできるかな。色々状況が変わってね。君の立場なら楽勝だろう? それができたら、晴れて君の安全は保証するよ」
ケインは当然のようにお願いを付け足して来ました。
それは約束が違うとクイナは言おうとしましたが、ケインがそれをさせません。
「別に嫌ならいいよ。僕はね」
そう言ってにっこりと笑うのです。
クイナに拒否権などなかったのです。
思えば遭遇してしまったあの時から、クイナにはもう選択肢などありませんでした。
ただ、頷くしかなかったのです。
しかしその頷きは、ただ自分だけが生き残ればいいというものではありませんでした。
友達の為に、周りの人の為に、今を生き抜くためのものだったのです。
しかし、クイナに抗う
だから彼女は、大切な人の元を去る選択をしたのです。
夜子の為、アリスの為。自分の存在が迷惑をかけないように。
弱いだけで無価値な自分が、せめて他人に害を及ぼさないように。
そして何より、自分の手で大切な人たちの命を奪ってしまうことがないように。
所詮我が身可愛さにスパイとなり刺客となった自分には、彼女たちの元にいる資格はないと思ったのです。
けれど、そんなクイナをアリスが引き止めるものだから、彼女の気持ちは揺らいでしましました。
必要とされている。価値を見出してもらえている。大切だと思われている。
そんな自覚が、クイナに覚悟を決めさせました。
自暴自棄にならず、大切な人たちと肩を並べたまま、自分の望むことをしようと。
その果てに、
今の自分にとって一番大切なものを、友達との居場所を守る為に精一杯足掻こうと決めたのです。
そして何より。自分のために泣いてくれる友達の為に、できる限りのことをしてあげたいと思ったのです。
しかしそう思った矢先、アゲハが彼女の仕事を
アゲハはケインから状況を聞かされ、クイナを呪縛から解き放つために、その役目を代わりに果たそうとしていました。
弱く臆病で、自分のことしか考えられないクイナ。
そんな彼女に、他人の命を背負うことなどできないと思ったのです。
まして、今やアリスはクイナの友達。尚更、そんなことはさせられないと、アゲハは全てを投げ出すことを決めたのです。
ケインにとってアゲハの存在は保険ですらなく、単なるカモフラージュのようなものでした。
それこそ、成功してもしなくてもどちらでもよく、彼にとっての本命はクイナだったのです。
しかしそんなことは、アゲハにとってはどうでもいいことでした。
自分がどう思われていようが、役目を果たすことで妹の命が保証され、彼女が重荷を背負わず傷付かないのならば、それでいいと思っていました。
それがアゲハの、姉として愛でした。
そんなアゲハの想いを受けたクイナは。
アゲハを通してツバサの想いも受けたクイナは。
二人の姉の、際限のない愛を一身に受けたクイナの心は、決まってしまいました。
自分が何に生かされているのか。
自分は何の為に生きているのか。
二人の姉に愛されて育った自分は、その想いにどう応えればいいのか。
三姉妹の一番下の妹。
いつも可愛がられて、守られて生きてきた。
弱くて臆病で、いつも姉について回ってきた。
それが、クイナという女の子でした。
そんな彼女が、大好きなお姉ちゃんたちの無限大の愛を知って。
その想いに応えるべく、必死に生き抜く道を選んだのです。
与えられるだけだった末の妹は初めて、姉たちのために事を成そうとしているのです。
大切な友達の命を奪うことになったとしても。
愛する姉妹の、望みを叶える為に。
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