126 アゲハお姉ちゃん
「確かに私、情けないなぁ…………でもまぁ、もういいか……」
四肢を失い力尽きて横たわるアゲハさんは、千鳥ちゃんの腕の中で緩く笑った。
「……クイナ、アンタは私に勝ったのよ。もっと喜びなさいよ」
「か、勝ってなんかない。アンタが勝手に、死のうとしてるんじゃない。また、勝手に。いつもアンタは、勝手なのよ……!」
「それが私っしょ。アンタならよく知ってんじゃん。だからほら、泣かないの」
「な、泣いてない……!」
手足を失った身体をぎゅっと抱きしめて、千鳥ちゃんはポロポロと涙をこぼしていた。
恐れ憎んできた、千鳥ちゃんのトラウマそのものであるアゲハさん。
そんな彼女の死を目の前にして、千鳥ちゃんは堪えきれない涙を流していた。
「許さない。絶対、許さないわよ。このまま勝手に……散々好き放題やって、勝手に死ぬなんて、私許さないから……」
「……そうだね。こうなったら、もうしょーがないか……わかった、話す話す」
幾度となく繰り返された苦痛の果て、自分の死を悟ったからか、アゲハさんはやけにスッキリとした顔をしていた。
その潔い態度に千鳥ちゃんは嗚咽を漏らす。
「アンタのために、アリスと真宵田 夜子を殺そうとしたってのは本当。アンタの重荷を少しでも取り払ってあげたくて。アンタのことを救いたくて。アンタに他人、は……重すぎると思ったから……」
「…………バカ」
姉妹から逃げ出して、ずっと一人で生きてきた千鳥ちゃん。
そんな千鳥ちゃんが友達や居場所を得て、その繋がりによって責任を負うことが、負担になると考えたのかもしれない。
自分のことしか考えられない千鳥ちゃんには、人との繋がりは重すぎると。
千鳥ちゃんの命を保証するという約束と合わさって、そういった考えがあったから、アゲハさんは今回の暴挙に出たんだ。
千鳥ちゃんの命だけではなく、心の安寧も願っていたから。
だからこそ、同胞であるワルプルギスを裏切ってまで行動に出た。
それはあまりにも過保護が過ぎるようにも思える。
でも、妹に対する確かな愛だということには変わりない。
それがわかるからこそ、千鳥ちゃんは更に俯くんだ。
唇を噛み締めて、千鳥ちゃんは絞り出すように言葉を溢す。
「そんな、こと言って……そうやって優しいようなこと言ってさ。でもアンタは、ツバサお姉ちゃんを殺したじゃない。私のこと想ってるとか言ってるくせに、アンタは……」
「そう、だね。それも話さなきゃ、か…………。ツバサお姉ちゃんのこと……本当は一生話さないつもりだった。それが、お姉ちゃんとの約束だったから。でも、今のアンタなら、受け入れられるかな……乗り越え、られるかな……」
「なによ……なによ、それ……」
アゲハさんは緩く微笑む。
今まで千鳥ちゃんにそんな優しい顔なんて向けなかったのに。
意地悪を言って、罵って、散々怒鳴り散らしていたのに。
これから訪れる死を受け入れているからなのか。それとも、それが本当の彼女なのか。
「ツバサお姉ちゃんはね、あの時、もう限界だったのよ。『魔女ウィルス』に食い潰される寸前だった」
「え…………」
「アンタも覚えてるでしょ。あの頃しばらく、ツバサお姉ちゃんは体調を崩してた。あれはね、もう限界が近いのを、死んでしまうのを堪えていたんだよ。だから私はお姉ちゃんに頼まれて、『魔女ウィルス』に食い潰される前に、殺してあげたの……」
「────────!」
千鳥ちゃんは思いっきり息を飲んだ。
だってそれは、千鳥ちゃんが夜子さんに任されていた仕事と同じだ。
限界を迎えた魔女に、苦しまないよう介錯をしてやる。
アゲハさんがやったのは、それだというんだから。
だから千鳥ちゃんには、それが意味するところがわかる。
「だったら……! だったらどうして、そうと言ってくれなかったの! 私のせいだとかそればっかりで、アンタはそんなこと、一言も言ってくれなかった……! そうだと知ってれば、私────」
「それを言わないのも、お姉ちゃんとの約束だったから。本当の理由を知ったら、クイナはとっても傷付く。だから、それは内緒にしようって、二人で決めたの」
アゲハさんは含みを持たせるように言ってから、少し目を逸らした。
ここへ来てまだ、その真実を告げることに迷いがあるかのように。
けれどその時間はほんの僅かで、アゲハさんはすぐに千鳥ちゃんの目を真っ直ぐ見つめた。
「あのね、クイナ。アンタにはずっと言ってなかったんだけど…………私たちの感染源は、アンタなのよ、クイナ」
「な────」
言いにくそうに、けれど覚悟を決めて紡がれた言葉に、千鳥ちゃんは口をあんぐりと開けてアゲハさんを見下ろした。
私もあまりのことに呆然としてしまって、何も身動きが取れなかった。
本当ならば、今すぐにでも駆け寄って千鳥ちゃんを抱きしめてあげたいのに。
衝撃が、私の体を強張らせた。
「アンタは、私たち全員が同時に感染したと思ってるだろうけど、本当はアンタが一番最初に一人で感染したんだよ。そんなアンタを守るために、私たちはアンタを連れて街を出て……それから感染したのよ」
「でも、でもでも……そんな……」
「アンタから感染した『魔女ウィルス』で死んだら、アンタがそれを知ったら、絶対に傷付くからって。それだけは絶対に避けようって。そうツバサお姉ちゃんと決めたの。だから、アンタには何も説明しなかったし、ただ私が殺したように見せたってわけ」
「そんなの……そんなの……!」
頭をブンブン振って、千鳥ちゃんは喚いた。
とても易々と受け入れられることじゃない。
大好きだったツバサさんを殺したのは、自分が感染源である『魔女ウィルス』のせいだなんて。
本来そこに千鳥ちゃんの責任なんてないはずだけれど、でもそこに責任を感じざるを得ないはずだ。
それに、今までツバサさんを殺した犯人だと憎んできた相手は、自分の罪を被って憎まれ役を買ってくれていた。
傷付けないため、責任を感じさせないために庇ってくれていた。
そんなこと言われたら、心が混乱してしまう。
千鳥ちゃんは唇をわなわなと震わせて、つっかえながら、戸惑いながら何とか口を開いた。
「だったら、今までの私の気持ちはなんなのよ……アンタを恐れて、憎んで、逃れて来た私は…………全部全部私はアンタたちに守られて来たってのに、私は、自分のことしか、考えてなかったっ…………!」
「いいんだよ、別に。それでいいように、私たちがしたんだから。私がアンタに嫌われても、アンタが無駄な責任を感じずに、傷つかずにいてくれれば、私はそれでよかった。まぁそれでも、私だってツバサお姉ちゃんを殺さなくちゃならなくて苦しかったし、アンタにそれなりに当たり散らしちゃったけどさ……」
嗚咽まじりに、涙をボロボロと流しながら声を絞り出す千鳥ちゃん。
それに対し、アゲハさんはひどく落ち着いた声色で返す。
息は絶え絶えではあるけれど、その表情はとても安らかだ。
「アンタには、なんていうか、色々言っちゃったけどさ。でも、私の気持ちは一つだよ。アンタに、生きて欲しい。それでまぁ、できれば幸せに。私はいつも、そう思って生きてきた」
「なんでよ。なんで……? 自分のことしか考えられない私を……散々迷惑しかかけてこなかった私を、どうして……」
「はぁ? 今更それ聞く? そんなの、決まってんじゃん」
震える声で尋ねる千鳥ちゃんに、アゲハさんは弱々しくも、にこやかに微笑んだ。
「私はアンタのお姉ちゃんだからね。妹を大切にするのなんて、当然っしょ」
「────────」
千鳥ちゃんは歯を食いしばった。
声を上げて泣きたいのを、必死で堪えているのかもしれない。
その代わり、力の限りアゲハさんの体を抱きしめている。
朽ちて弱り切った、力のない体を。
よく見てみれば、落ちた四肢の傷口から徐々に体がグズグズと崩れていっていた。
捥げた手足だけではなく、胴体にまで肉の崩壊が進んでいる。
溶けるように崩れた肉は、形を失うのと同時に骨ごとジュワジュワと蒸発していき、ゆっくりとその身体を
しかし、アゲハさんはそれに対してなんのリアクションもしなかった。
もうそうなるものだと受け入れているのか、気にもとめずに千鳥ちゃんを優しく見上げている。
「あぁ……手がなくなっちゃって残念だなぁ。こんなに近くにクイナがいるのに、触れないや」
自分が崩壊していくのも厭わず、アゲハさんは言った。
死んでしまうことよりも、そのことの方がよっぽど残念だとでもいうように。
「でも……まぁいっか。クイナが、抱きしめてくれてるしね」
「ッ────! やだ! やだよ、死なないで!」
下半身はもう形がない。上体だって半分ほどに削げてしまっている。
その身体を、頭を
けれどアゲハさんは一人穏やかな顔で、ゆっくりと瞼を閉じようとしていた。
「生きて……生きるんだよ、クイナ。私も、ツバサお姉ちゃんも、それを望んでる。それだけが、唯一の望み。私にはもう、ここまでしかしてあげられないけど……アンタは、強くなった、から…………今のアンタならきっと、大丈夫だから……一人でも、ちゃんと…………」
「やだ……やだやだやだ……! ならアンタも生きてよ! 行かないで。私を独りにしないで……アゲハ、お姉ちゃん……!」
まるで子供のように駄々を捏ねる千鳥ちゃん。
それは、いつも強気で意地っ張りな彼女らしくない、姉に縋り付く妹の顔。
今まで決してアゲハさんに向けることのなかった、大切な姉妹に向ける顔だった。
薄い目でそんな千鳥ちゃんを見て、アゲハさんは静かに微笑んだ。
首から下はもうほとんど残っていない。
消えゆく中、アゲハさんはとっても嬉しそうに、ゆっくりと口を動かした。
「なんだか、久しぶりだなぁ…………クイナに、お姉ちゃんって、呼んでもらうの────────」
ポツリ、満足げに。
最後にそれだけを、噛みしめるように言い残して。
アゲハさんは、跡形もなく崩れ去った。
体の全てが溶け崩れ、蒸発して霧散した。
まるでそこには、はじめから何もなかったかのように。
綺麗さっぱり、なくなってしまった。
残ったのは、空っぽになった腕を掻き
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