125 崩壊

「え………………」


 この場の全員が言葉を失った。

 いや、もしかしたら夜子さんとロード・ケインはそんなことなかったのかもしれないけれど。

 でも他人のことを気にしている余裕なんてなかった。


 荒ぶる魔力を持って、力の限り千鳥ちゃんへと飛びかかったアゲハさん。

 その四本の腕が突如として千切れ落ちた。

 誰が何をしたわけでもない。アゲハさんの腕は一人でにブツリと断ち切れた。


 あまりの事態にみんな驚きを隠せず、呆然とその光景を眺めていた。

 当のアゲハさんが誰よりも現状を理解できていなくて、一瞬静寂が流れる。

 そして────


『────っぃぃぁぁぁあああぁあぁぁああああ!!!!』


 遅れて、空を割らんばかりの悲鳴が全てを埋め尽くした。

 身を大きく仰け反って、その表情の窺えないのっぺりとした顔で大口を開けて。

 断末魔のような、この世のものとは思えない血が凍るような絶叫を上げる。


 苦しみ悶えるアゲハさんの悲鳴と共に、千切れた四本の腕が落ちてくる。

 けれどそれは私たちの元まで落下してくる前に、グズグズと形を崩して、やがて蒸発してしまった。


 落ちた腕の消滅に伴って、全ての腕を失ったアゲハさんの傷口がぐにょぐにょと蠢いて、高速で再生が行われた。

 粘土をこねくり回すように肉が踊り、人の形を作り上げる。


『っ…………なんだっての────────』


 四本の腕を再生させたアゲハさんが、喘ぎながら言葉を吐き捨てる。

 再生しても腕を四本同時に失った痛みの残滓があるのか、身体が強張っていた。

 回復した腕の存在を確かめるように手を握り込んでいると、今度は腕の肉が膨れ上がり、膨張した肉が破裂して肩から下が再び落ちた。


 声にならない悲鳴が響き渡る。

 再度全ての腕を失ったアゲハさんは、痛みに踠きながら欠損を再生させるべく魔力を循環させていた。

 すぐさま新しい腕が生えてくる。しかし今度は再生を通り越してそのまま膨れ上がり、腕の形を固める前に弾けてしまう。


 似たような光景を、私は見たことがある。

 晴香が『魔女ウィルス』に食いつぶされ、哀れな成れの果てと化した時だ。

 あの肉の巨人は、『魔女ウィルス』の力に肉体が耐え切れず形を失い、過剰な回復により崩壊と再生を繰り返していた。

 あの時の状態と、酷似しているように私は思えた。


「ちょ、ちょっとアンタ! なんかよくわかんないけどやめなさい! そのままじゃ────!」

『うる、さい! うるさい────!』


 尋常ではない事態に、千鳥ちゃんが顔を引きつらせて言葉を放つ。

 しかしアゲハさんは全く耳を傾けず、魔力を高めて自暴自棄のような再生を試み続ける。


 その結果、今度はその蝶の羽が根元から千切れ落ちた。


『────────!!!』

「言わんこっちゃない!!!」


 腕を失い、そして羽すらも失ったアゲハさんは、獣のような悲鳴を上げながら落下した。

 そんな彼女に千鳥ちゃんはヒステリックな声で叫び、大きく羽ばたいた。

 急速に落下するアゲハさん目掛けてそれを上回るスピードて後を追い、その身体を何とか抱きとめる。


 千鳥ちゃんがアゲハさんをキャッチした時、今度は脚がボトリと落ちた。

 右脚は付け根から捥げ、左脚は膝から下がなくなった。

 全ての傷が絶え間ない再生を行い、けれど形を成す前に崩れる。


 あらゆる自由を失い、再生と崩壊を繰り返す身体に苦しみ続けるアゲハさん。

 そんな彼女をガッチリと抱き抱えて、千鳥ちゃんはビルの屋上へと、私たちの目の前へと降りてきた。


 ついさっきまでの張り詰めた緊迫の空気は消え、一気に不安と憐憫の雰囲気へと切り替わった。

 私たちを殺そうとしてきたアゲハさんだけれど、肉体が崩壊する苦しみに苛まれている姿は、あまりにも哀れだった。


 千鳥ちゃんが床へと身体を横たえさせる最中も、アゲハさんは絶え間なく苦しみに悶えていた。

 自壊ともとれるその再生と崩壊で魔力を消耗したのか、はたまたそれすらも崩壊なのか。

 擬似的な再臨によって変貌していたその異形の姿は、本来の人間のものへと戻っていった。


 白くのっぺりとした肌は、人間らしい透き通った肌色に。

 昆虫のような複眼も、普通の瞳へと戻っていた。

 失った手足の再生は徐々に穏やかになり、けれどそれ故に傷は癒えない。

 膝をついてその身体を抱える千鳥ちゃんの腕の中で、アゲハさんは四肢から夥しい血を流しながら、力なく横たわっている。


 そのあまりにも無残な光景に、誰も口を開かなかった。

 そんな中、ひどく落ち着き払った声が突如として静寂を破った。


「無様だなぁアゲハ。情けないよ、僕は」

「……レ、イ…………」


 二人のすぐ脇に、全身黒尽くめの姿が降り立った。

 どこから跳んで来たのか。何にしても、とても軽やかな着地と共に現れたのはレイくんだった。

 冷たい目で見下ろすレイくんを見て、アゲハさんが弱々しい声を出す。


「アゲハからただならぬ気配を感じたから、流石に様子を見にきたけれど……。やっぱり、僕らが対策を打つ必要はなかったね」


 レイくんは小さく嘆息した。

 そもそもレイくんたちも、裏切り者であるアゲハさんを捕らえようとしていたはず。

 さっきまでのアゲハさんの尋常じゃない力を感じて、ここまでやって来たんだ。


「擬似再臨。君みたいな、まだまだ最果てに到達していない状態でそんな無茶をすれば、いずれはそうなるであろうことはわかっていただろう? 始祖の高みに至れていないのだから、その真似事を無理やりすれば、肉体が耐えきれない」

「笑いたいなら、笑いな、さい…………それでも、私は…………」


 黒いジーンズのポケットに手を突っ込みながら、レイくんは静かな声で語りかける。

 アゲハさんは弱った身体で、けれど精一杯の強がりをレイくんへと向ける。

 けれどレイくんは首を横に振った。


「笑わないさ。無様だと思うし情けないと思うけれど、僕は君を笑わない。責めるつもりもない。もう死ぬ君に、追い討ちをかけるような真似はしないよ」

「し、死ぬって……! コイツ、助からないの!?」


 ふんわりと微笑むレイくんの言葉に反応したのは千鳥ちゃんだった。

 アゲハさんの血で真っ赤に染まりながら、血相を変えてレイくんを見上げる。


「ああ、死ぬよ。普通の魔女が『魔女ウィルス』に食い潰されて死ぬ状況に近い。無理に擬似再臨をしたせいで、肉体が力に耐え切れずに瓦解しているからね。もう時期死ぬよ」

「っ…………!」


 遠慮も労りもなく、レイくんはただ事実だけを淡々と告げた。

 その言葉に千鳥ちゃんは愕然と目を見開いて、わなわなと唇を震わせながら俯いた。


「そ、そんな……! レイくん、何とかできないの!?」


 私が耐えかねて声を上げると、レイくんは私を見てニッコリと嬉しそうに微笑んだ。


「やぁアリスちゃん、今日も相変わらず可愛いね────残念ながら助かる方法はないよ。今言ったけれど、『魔女ウィルス』に食い潰されるのと同じだからね。こうなってしまえば、もう死からは逃れられない」

「そんなの、あんまりだよ…………」

「アリスちゃんは優しいなぁ。アゲハは君を殺そうとしたというのに、君は悲しめるんだね」


 呑気にそんなことを言うレイくんの言葉に、私は何にも返せなかった。

 アゲハさんは確かに私たちを殺そうとしてきた敵だけれど、それは千鳥ちゃんのことを思えばこそだった。

 私たちには理解できない理由でも、その気持ちは確かに本物だった。


 だから私は、アゲハさんとちゃんとわかり合いたかった。

 少なくとも、千鳥ちゃんとはわかり合ってほしかった。

 なのに、もう死を待つしかないなんて。アゲハさんはただ、千鳥ちゃんを守りたかっただけなのに……。


 この気持ちはただのお人好し、もしくはおかしな考えなのかもしれないけれど。

 私はただただ、悲しかった。


「まぁ、今は別れを済ませるといい。アリスちゃんに手を掛けようとした裏切り者ではあるけれど、最期の別れを邪魔するほど僕は無粋じゃないからね。それに僕の用は別にあるから、好きにするといい」


 そう言うと、レイくんは数歩後退った。

 黒尽めの格好が、一気に黒い背景に溶け込む。


 そんなレイくんを無言で見送ってから、アゲハさんはポツリと口を開いた。


「そう、か……私、ここまで、か…………」


 自由のきかない身体で細い声を上げる。

 弱々しいのに、どこか軽やかな口調で。そしてどこか、清々したように。

 そこには、さっきまでの怒りや憎しみは全く込もっていなかった。

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