101 一丁前に
途端に空気が重くなった。
雰囲気だけの話ではなく、上から押さえ込まれているような重圧を肌が感じた。
それがアゲハさんから発せられる威圧であることは、その目を見れば明らかだ。
「ツバサお姉ちゃん…………何が、ツバサお姉ちゃんよ…………!」
噛みしめるように籠った叫び声をあげるアゲハさん。
ぎゅっと力強く拳を握り込んで、暗い瞳で千鳥ちゃんを射抜く。
「どの口が、そんなこと言うわけ? ツバサお姉ちゃんはアンタのせいで死んだの! 死ななきゃいけなかったの! それだってのに、そのアンタがそういう口きくわけ!?」
「っ…………!」
つい先程まで余裕綽々だったアゲハさんが急激に怒りを剥き出しにし、千鳥ちゃんは僅かに身動いだ。
その怒りを直接向けられていない私だって、縮み上がってしまいそうな圧がそこにはあった。
だから、本当なら今にでも逃げ出したいはずなのに。
千鳥ちゃんは唇を戦慄かせながらも私のことを少しだけ見て、それでなんとか踏ん張ってアゲハさんを睨み返した。
「こ、殺したのはアンタでしょうが! 私は、見たんだから! アンタの足元に、血塗れのツバサお姉ちゃんが倒れてるのを! どう考えたって、悪いのはアンタじゃないの!」
「はぁ!? まだそんな寝言言ってるわけ? あの時散々教えてあげたじゃん。アンタが弱いから、臆病でいっつも守られてばっかりだから、ああなったのよ! 私が、ツバサお姉ちゃんを殺さなきゃいけなかったんだって!」
「意味、わかんないわよ!!!」
今にも泣きそうな顔で、けれどそれでも踏ん張る千鳥ちゃん。
そんな彼女を見て、アゲハさんは更に苛立ちと怒りを募らせたようで、眉間に深い縦ジワが刻まれる。
「全部全部アンタのせいで、アンタの為なのに、アンタはそうやっていつまでも…………私は、私たちは、いつだってどんな時だってアンタの為に生きてきた! 可愛い末の妹の為にずっと戦ってきた! ツバサお姉ちゃんだって、私だって!!!」
ドンとアゲハさんが力強く一歩を踏み出す。
細身の女性の一歩のはずなのに、まるで巨人が足を下ろしたような迫力と威圧がそこにはあった。
「ツバサお姉ちゃんを殺したのは私? あぁそうだけどだから何!? でもツバサお姉ちゃんが死ななきゃいけなかったのは、そもそもアンタのせいなのよ。だから私が殺してあげただけだっての! 私だって別にしたかったわけじゃない。でも、しなくちゃいけなかったんだから、しょーがないじゃないの!!!」
更に一歩、アゲハさんは怒りを踏み込むように近付いてくる。
化粧の整った綺麗な顔を怒りに歪め、余裕をかなぐり捨てて、ただ一直線に感情を叩きつけてくる。
千鳥ちゃんは血が出そうなほど唇を噛んで、今にも溢れそうな涙を目にたっぷり溜めていた。
でも、それでも。千鳥ちゃんは逃げない。目を背けない。
何が正しいのか、真実が何なのかわからないけれど。わからないからこそ、ちゃんと向き合っている。
「だから……だからもっとちゃんと話してよ。そうしないと、わかんないのよ。アンタの言うことは、いつも私には何にもわかんないのよ……!」
「わかんないならいいって。わかんないなら、アンタは黙ってお姉ちゃんの言うこと聞いてればいいのよ。アンタみたいな出来損ないでも、私にとっては大事な妹だもんね。私が、守ってあげるからさ」
会話が成立していないというよりは、会話をするつもりがないように見えた。
アゲハさんは、千鳥ちゃんに事情や理由を説明する気がない。
それなのに千鳥ちゃんの為とか守るとか言うから、めちゃくちゃな言葉になるんだ。
何もわからない千鳥ちゃんには、アゲハさんの言葉が矛盾に満ちた狂気に聞こえる。
頭ごなしに全てを否定されて、説明も何もなくて、ただ押し付けられていると感じてしまう。
「私は……私は…………!」
話をしたい。千鳥ちゃんの気持ちはきっと揺らいではいない。
でも、もうこのまま言葉をぶつけ合ってもどうにもならないように思えた。
お互いが自分の感情を渦巻かせて、どうしたって混ざり合わない。
それを理解したのか、千鳥ちゃん少し視線を落とした。
「私は、アンタと昔みたいに仲良くしたかった。こんな風にいがみ合いたくなんてなかった。でも、アンタはツバサお姉ちゃんを殺して、今度はアリスや夜子さんを殺そうとしてる。これ以上、私の周りの人たちを奪われるなんて、もう耐えられない……!」
「私だってね、アンタとバカしてるだけで生きていけるんだったらそうしたいわよ。でも、世の中そんなに甘くない。魔女になっちゃったんだから、人よりも何倍も甘くない! だから私は、
心が痛んだ。二人の言葉を目の前で聞いて、私の心が悲鳴をあげた。
二人とも本当はわかり合える道があるはずなのに、どうしても噛み合わない。
本来なら二人は仲の良い姉妹だったのに。一体何が、二人をこうもすれ違わせてしまったんだろう。
アゲハさんからドス黒い力が感じられる。
これはもう何度も目にした、転臨の力を解放する時の醜悪さ。
この世のものとは思えない、人のものとは思えない身の毛のよだつ気配だ。
「そうやって一丁前な口きくんならさ! 私を倒して見せなさいよ! 弱くないって、自分の力だけで生きていけるって証明して見せなさいよ!」
「じょ、上等じゃない! や、やってやるわよ!」
アゲハさんの背中から大きな蝶の羽が生える。
太陽の光に照らされて、サファイアブルーの羽が燦々と輝く。
けれど、日が昇っている真昼だというのに、その羽が広げられたことで真夜中のような闇の重さを感じさせられた。
それにギリッと歯軋りしながら、千鳥ちゃんは必死に強気で声を荒げた。
でもそれが強がりだということは、その震える手を見れば明らかだった。
「もうこの際手順とかもうどうでもいい! 元からそんなの適当だったし。目につくものから八つ裂きにすればいいもんね! アリス殺して、アンタをボコボコにして! その後真宵田 夜子も殺してさ! アンタに現実をわからせてやるから! アンタにはお姉ちゃんしかいないんだってね! クイナァ!」
アゲハさんのその叫びは、怒りのようで、どこか悲しみを孕んでいるように思える。
怒号というより、私には悲鳴のように聞こえた。
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