102 避けられぬ戦い
夜の帳が下りたように、太陽の下にも関わらず重苦しさが覆い被さってくる。
それは転臨によって人ならざる姿を現したアゲハさんから発せられるもの。
その大きな蝶の羽から放たれる禍々しい気配と、彼女自身の怒号が混じり合って、場の雰囲気を飲み込んでいる。
千鳥ちゃんはそんなアゲハさんを苦々しげに睨んで、それから眉を寄せて私たちに顔を向けてきた。
「アリス、霰、ごめん。結局こうなっちゃった……」
「謝らなくていいよ。千鳥ちゃんはきちんと言いたいこと言ったもん。それに、はじめから簡単に済むだなんて思ってなかったし」
シュンと申し訳なさそうに言う千鳥ちゃんに、私は笑顔で返した。
千鳥ちゃんはちゃんと逃げずにアゲハさんに向かい合おうとした。
だから私がすべきことは、笑顔で支えることだ。
「……大丈夫。アリスちゃんは、私が守るから」
続けて氷室さんも静かに頷いた。
アゲハさんに警戒を向けたまま、いつもと変わらない淡々とした応えに、千鳥ちゃんは少しだけ緩んだ顔をした。
「大丈夫だよ、私たちがついてる。千鳥ちゃんは一人じゃない。私たちが、一緒に戦うから」
「ありがと。もうここまできちゃったら、逃げも隠れも、諦めもしないわ」
スーッと軽く深呼吸をした千鳥ちゃんは、覚悟を決めた張りのある顔でそう言うと、そっと私の手を放した。
そして身の毛のよだつ魔力を乱雑に放出しているアゲハさんに向き直って、力強く睨みつけた。
けれど、その目に憎しみはない。
「お望み通り証明してやるわよ。アンタのわけわかんないお節介なんて必要ないってことを! 私は、ここでできた友達と生きてくってことをね!」
「なら好きにすればいいじゃん! でも安心しなよ。もしできなくてみんな死んじゃったら、私が慰めてあげるからさぁ!」
アゲハさんは甲高い声で叫びながら右腕を振り上げた。
次の瞬間、その手には編み込まれた糸の鞭が握られていて、それが即座に振り下ろされた。
腕の軌道が見えないほどの高速で振り下ろされたそれは、周りの空気を巻き込んで轟音を響かせながら私と千鳥ちゃんの間に落ちた。
私よりも早くそれに反応した千鳥ちゃんが私を突き飛ばし、間一髪で鞭の直撃を免れる。
けれど鞭がまとった風圧に加えて、地面に叩きつけられた衝撃が巻き起こって、私たちは左右に別れて押し飛ばされた。
「アリスちゃん!」
千鳥ちゃんによる突き飛ばしと鞭の衝撃によって体勢を大きく崩した私を、氷室さんが即座に受け止めてくれた。
がっしりと抱きとめられた感触を感じる間も無く、アゲハさんが私めがけて飛び込んでくるのが見えた。
ビルの入り口にいた私たちと、敷地に入ってすぐの結界の境にいたアゲハさん。
目算で五メートルもない距離を、彼女は一蹴りで瞬時に詰めてきた。
「させないわよ!」
しかしそれを、雷をまとった千鳥ちゃんが阻む。
バチバチと身体に帯電した千鳥ちゃんは、金髪のツインテールを煌めかせながら、落雷の如きスピードでアゲハさんに突っ込んだ。
真横から千鳥ちゃんの突進を受けたアゲハさんだけれど、その身体が触れ合う直前に大きく羽を羽ばたかせる。
進行方向に向けた羽ばたきによって自身の前進を押しとどめたアゲハさんは、ギリギリの所で千鳥ちゃんの突進をかわしてしまった。
「…………!」
けれど一瞬の隙ができ、そこを氷室さんが突いた。
私を放した氷室さんがすぐさま前に身を乗り出して、アゲハさん目掛けて強烈な冷気を放った。
真冬の凍てつく空気を更に凍りつかせ、白む風のように吹きかかる零下の冷気。
それはみるみるうちにアゲハさんの表皮に霜を下ろし、末端から凍りつかせた。
「甘いわよ! ちょー涼しいんですけど!」
けれど、それはアゲハさんを中心に吹き荒れた暴風によって掻き消された。
凍りついていた箇所も、強引に吹き飛ばしてものともしていない。
「こんなもんなわけ!? そんなんじゃみんな死んじゃうけど!?」
「舐めてんじゃないわよ!」
高笑いを上げたアゲハさんに、千鳥ちゃんが叫んだ。
次の瞬間、晴れた空から幾本もの雷が降り落ちた。
パーンと空気が破裂したような音と、一瞬白んだ発光と共に、劈く落雷がアゲハさんに放たれる。
電撃というよりは槍のような鋭さを持った落雷が、アゲハさんの身体を貫く。
空気が炸裂するたびに、アゲハさんは大きく身をよじって声にならない叫び声をあげた。
「私は絶対、負けらんないのよ! もう、アンタには!!!」
いくつ落ちたのか。最後の落雷が終わったのと同時に、千鳥ちゃんが再びアゲハさん目掛けて飛び込んだ。
その手にはバチバチと弾ける電撃の槍が握られている。
絶え間なく降り注いだ落雷に感電したアゲハさんが固まっている
それもまた地から放たれる落雷の如く、閃光と共に一直線にその胸めがけて迸る。
しかし、アゲハさんは決して怯んではいなかった。
「アンタこそ、舐めんな!」
光速にも等しい千鳥ちゃんの槍を、アゲハさんはくるりと身をよじってかわした。
幾本の落雷によって黒焦げ焼け爛れた肌を、その強力な再生能力でみるみるうちに治しながら、煤汚れた腕を千鳥ちゃんに伸ばす。
完全にカウンターを受けた千鳥ちゃんはかわすことも叶わず、槍を握っていた右腕を掴まれた。
それを振り払う間も無く引き寄せられ、アゲハさんの強烈な蹴りが腹に突き刺さり、千鳥ちゃんは鈍い声を上げて宙を舞った。
「千鳥ちゃん!!!」
堪らず私は飛び込んだ。
千鳥ちゃんを、友達を守りたいという想いに応えて、内側から力が湧き上がってきてくれる。
手の中に現れた『真理の
力の奔流に髪が解けてしまうのにはもういい加減慣れた。
解け広がりはためく髪を気にせず、千鳥ちゃんに追撃しようとするアゲハさん目掛けて剣を伸ばす。
刀身に魔力を込め、剣を突き上げるように突撃を放つ。
白いレーザーのように魔力をまとった斬撃が直線に飛んで、千鳥ちゃんとアゲハさんを遮った。
アゲハさんは舌打ちをしながら後ろ手に跳んでそれをかわし、千鳥ちゃんはその間に体勢を整えてなんとか着地した。
「千鳥ちゃん、大丈夫!?」
「ええ、平気よ。ありがと」
お腹への一撃に青い顔をしながらも、千鳥ちゃんは薄く微笑んだ。
「こんなんでへこたれてられないわ。まだまだこれからよ」
「う、うん!」
千鳥ちゃんの力強い言葉に頷いて、私は剣をしっかりと握ってアゲハさんを見据えた。
氷室さんもすぐに私たちに身を寄せてきて、三人で固まって相対する。
「……あぁ、もう。やっぱダメか。本調子じゃないと流石にちょっとキツイかぁ」
アゲハさんは額に手を当て、重苦しげに溜息をついている。
見た目は普通だけれど、やっぱり昨日のダメージを引きずっているのかもしれない。
だとしたら、私たちにも勝機が見えてくる。
けれど、一番大切なのは話してわかり合えることだ。
私たちがしたいのは打ち負かすことではないから。
対話は、最後まで諦めたくない。
だから私は剣をしっかりと握ったまま、身体が重そうにしているアゲハさんに向かって口を開いた。
「アゲハさん、お願いです。ちゃんと話してください。このまま戦ったって、お互いモヤモヤが残るだけですよ! ちゃんと千鳥ちゃんに、アゲハさんのことを教えてあげてください!」
「そんな必要ないってば。てか、ちょっと押したくらいで調子に乗んないでよね。ほら、口動かしてる暇があったら、一手でも多く私に仕掛けてきなさいよ!」
私のことをうざったそうに見てそう言ったアゲハさんは、すぐに覇気を取り戻して私たち目掛けて片手を伸ばす。
その開かれた掌からワイヤーカッターのような鋭い糸が無数に放たれて、まるで網が被さるように降り落ちてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます