95 本当の狙いは

 三人で団子になりながらお店を出て、それから少しの間誰も口を開かずにあてもなく歩いた。

 とにかく今はあそこから、彼の元から距離を取りたいという気持ちが共通していた。


 駅前広場は土曜日の昼頃ということもあって結構な人だった。

 私たちがお店に入る前よりも明らかに数が増えていて、ガヤガヤと賑わっている。

 ちょうどみんなお昼ご飯を食べようと、家族や友達と楽しくお店探し中といったところなんだろう。


 そんな和やかな喧騒とは正反対の重苦しい空気をまといながら、私たちは人混みを縫うようにひたすら歩いた。

 けれどあてがないものだから次第にペースは落ちて、示し合わせたわけではないけれど、私たちは自然と広場の隅で足を止めた。


「……ごめん。もっと、ちゃんと話した方が良かったかな」


 三人で押し黙って立ち尽くす中、私はポツリと口を開いた。

 あの場を勝手に切り上げたのは私だし、本当ならばもっとじっくり彼から色々聞き出すべきだったのかもしれない。


 そう思って謝ると、氷室さんは静かに首を横に振った。


「あなたの判断は、間違っていないと、私も思う。あれ以上彼と話していたとしても、意味があったとは考えにくい」

「だったら、いいんだけど……」


 ロード・ケインがアゲハさんをスパイにして、刺客として放ってきているのはもう明らか。

 つまり彼は今回の首謀者のようなものだから、もっと真正面からぶつかった方が良かったのかもしれないと思う自分も少なからずいた。

 けれど氷室さんもそう言ってくれるなら、私の判断は間違っていなかったのかもしれない。


「…………」


 氷室さんの言葉に少し安心して、私は千鳥ちゃんに目を向けた。

 唇を噛んで俯いている千鳥ちゃんは、今も尚僅かに震えていた。

 感情を押し殺すように黙りこくって、私たちと目を合わせようとしない。


「千鳥ちゃん、大丈夫?」

「え、えぇ……大丈夫。大丈夫だから……」


 震えるその肩に手を置くと、千鳥ちゃんは弱々しい声で言った。

 どこか自分に言い聞かせるように大丈夫と繰り返して、それから私の胸にトンと頭を預けてきた。


 ロード・ケインが現れてから千鳥ちゃんは終始竦み上がっていた。

 私だって恐ろしかったから、その気持ちはよくわかる。

 相対しているだけで押し潰されるような重圧が降りかかってきて、どうにかなってしまいそうだった。


 本当はいの一番に逃げ出したかったはずなのに。

 実際問題、何をも顧みず逃げ出していてもおかしくなかったし、そうだったとしても責められない。

 なのに千鳥ちゃんは踏ん張って私たちと一緒にいてくれた。

 それが、彼女にとってどれほどの勇気だったか。


「ごめんね、ありがとう。一緒にいてくれて、ありがとう」


 優しく抱きしめると、千鳥ちゃんはきゅっと身を寄せてきた。

 素直なその行動に、よっぽど怖かったんだなと、それなのに私たちのために堪えてくれていたんだなと理解できた。

 だから私は目一杯優しく、強く抱きしめてあげた。


「……ありがと。もう、大丈夫」


 少しの間そうしていると、千鳥ちゃんは呟くようにそう言って私から離れた。

 泣いてはいないようだけれど、潤んでいる瞳を隠すように顔は少し俯いたままで。

 でももう震えは収まっていて、表情は落ち着いていた。


「……アンタ、よくアイツを前にして啖呵切れたわね。相手はロードで、めちゃくちゃ威圧かけてきたのに」

「啖呵ってほどでもないよ。ただ私は、あれ以上あの人と話していたくないって、そう思っただけで」


 ロード・ケインの圧倒的な力を前に、身が竦むような思いだったのは間違いない。

 でも彼の話を聞けば聞くほど、恐怖よりも嫌悪感がまさってしまった。

 早くあの場を離れたいと、そう思ってしまっただけなんだ。


 平静を取り戻した千鳥ちゃんは、苦笑いをする私を見て小さく笑った。


「ま、それには私も同感。あんなのの相手をしてるだけ時間の無駄よ。ロードだから実力はあるみたいだけど、人としてはしょーもないやつよアイツは」

「けれど、彼は最後に気になることを……」


 ふんと鼻を鳴らす千鳥ちゃんを流し見て、氷室さんがポツリと言った。

 変わらぬ平静を浮かべる顔で、けれどその声は僅かに不安を孕んでいた。


「あの、アドバイスのこと?」


 私の言葉に氷室さんは小さく頷いた。


「あれは、不可解」

「確かに謎だよね。自分からあんなことを言うなんて。あれじゃあまるで、今までの話は全部嘘っぱちだって言ってるみたいだし……」


 もし本当にそうだとしたら、尚更さっきの会話に意味がなくなる。

 彼としては、はじめから意味なんてなかったのかもしれないけれど。


「まぁアイツの口から出てくる言葉なんて信用しにくいけどね。ヘラヘラして何が本当かわかったもんじゃない。アイツの存在自体、胡散臭いわよ」


 千鳥ちゃんは吐き捨てるように言った。

 その感想には凡そ賛同できるけれど、でも私には引っかかるものがあった。


 氷室さんが言うように、あのアドバイスはやっぱり不可解だ。

 その内容が、案外まともだったということもまた、引っかかる原因の一つだという気がする。


 目の前のことに囚われず、あらゆる角度が物事を見ろ。

 それは何かに取り組む時、考える時に気を付けなければいけない基本的なことだ。


 それをあのタイミングでわざとらしく言う意味って……。


「────もしかして」


 ハッとして声を上げる私に、二人の視線が集まった。

 何か深い根拠があるわけじゃなくて、本当に直感的なものだったから自信はないけれど。

 でも私は思ったことを口にしてみた。


「ロード・ケインが私たちの前に来たこと、それそのものがブラフだったとしたら、私たちは何か大きな勘違いをしているのかもしれない」

「は? どういうこと?」


 千鳥ちゃんがへの字口で首を傾げる。

 自分自身も上手くまとめられない言葉を、私は何とか絞り出して続けた。


「ロード・ケインは私たちに会いに来たことに意味はないって言ってた。でも、普通に考えたらそんなわけないと思うし、あんな風にヘラヘラされたら色々勘ぐっちゃうでしょ? でも彼は終始、自分は何もしないって言ってた」

「だから?」

「えっとね。そうやって私たちに疑いを持たせて、自分自身に意識を向けさせることがロード・ケインの目的だったのかもしれないって、思ったの」


 あからさまに私たちの前に現れて、私たちをおちょくるような言葉を並べ立てて。

 何も用はないと言っていたけれど、その行動そのものに意味があったとしたら。


 それに、自分は何もしないと言っていた言葉だって、今となっては疑わしい。

 目に見えるものが全てではなく、語られる言葉は真実とは限らない。

 彼の言動を正直に受け取ってしまってはいけないのだとしたら。


「彼のあの意味のない会話が、私たちを足止めするためだったとしたら。何もしないというのが嘘で、彼が何かを仕掛けているんだとしたら……」


 まとまり切らない考えを口に出していくと、段々寒気がしてきた。

 彼が今私たちの前でした全ての言動、その何もかもが疑わしく思えてくる。


「彼の狙いは、アリスちゃんではなかったかもしれない、と……」

「刺客を放って私を襲わせた人が、わざわざ私たちの前に出張ってきたこと、それそのもが引っ掛けだったとしたら……」


 ポツリと言う氷室さんに頷いて、私は少しずつ考えをまとめていく。

 私に何かを仕掛けようとしている、そう思わせることが彼の考えだったとしたら。

 彼が本当にしようとしていることは────


「ロード・ケインの狙いは、夜子さん……?」


 捻り出した答えに、千鳥ちゃんが一際大きく息を飲んだ。

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