96 居ても立っても
「で、でも! 例えそうだったとしてもさ……!」
パリッと張り詰めた空気の中、千鳥ちゃんが早口で言った。
「夜子さんの結界は強力よ。相手が魔法使いとはいっても、そう簡単に居場所を突き止められるとは思えないわ」
「うん。私もそう思う。けど……」
言い淀む私に、千鳥ちゃんは「何よ」と次を急かしてきた。
私自身何一つとして確証があるわけじゃないし、それに半ば思いつきだからスラスラと言葉にできない。
でも、不安だけは明確にある。
気を急いている千鳥ちゃんと、冷静ながらも私のことをじっと見つめる氷室さんの視線を受け、私はポツリと言葉を続けた。
「ロード・ケインは、言っていることはめちゃくちゃだったけど、でも、色々考えてる人だってのはわかった。それは、カノンさんから聞いていた通りだった。もし彼が夜子さんを襲おうとしているんなら、その準備を怠っているとは思えない」
「そんなこと言ったって……」
「カノンさんは、こうも言ってたんだよ。ロード・ケインは、カノンさんが私と仲良くなって夜子さんと繋がるだろうことを予測してたって」
「それって……」
千鳥ちゃんは目を見開いてよたよたと近寄ってきた。
恐る恐る私の腕を掴んで、口をパクパクさせながら私に次を促してくる。
その差し迫った焦燥に、私もとにかく言葉を続けた。
「本当にそれを予測していたんだとしたら、さ。ロード・ケインは事前に手を打てたんじゃないかな。もしくは一昨日カノンさんに接触してきた時点、かもしれないけど。ロード・ケインがカノンさんに何か魔法の仕掛けしていて、そのカノンさんが結界の中に入ったら。彼は、その位置がわかるんじゃないのかな……?」
「その可能性は……捨てきれない」
おぼつかない私の意見に、氷室さんはゆっくりと頷いた。
それに対して千鳥ちゃんはまた大きく息を飲んだ。
それを踏まえて考えれば、そもそもロード・ケインがカノンさんにスパイの協力を呼びかけたこと、それそのものがフェイクなのかもしれない。
スパイによる襲撃をカノンさんに認識させて、危機感を抱いた彼女を私や夜子さんと接触させる。
そうすることで夜子さんの居場所を探り当てる。それこそが彼の目的だったのかもしれない。
はなからカノンさんが協力するなんて思っていなくって、そして逃げられることも想定済みだったとしたら。
何もかも、彼の掌の上だったということになる。
「けれど、真宵田 夜子の結界は確かに強力。仕掛けを内部に侵入させたところで、そう簡単に探り当てられるか……」
「……いや、アイツならできるかもしれない」
訝しげにポツリと疑問を口にした氷室さんに、千鳥ちゃんは苦々しげに言った。
「ロード・ケイン。アイツの専門は確か封印関連で、元を辿れば空間系の魔法だったはず。他のロードならいざ知らず、アイツだったらそこまでの準備ができてれば、結界の位置を探ることくらいできてもおかしくない……!」
「じゃあ……!」
千鳥ちゃんの言葉で、私の思いつきのような不安が一気に現実味を帯びてきた。
もしロード・ケインが既に夜子さんの居場所を把握しているんだとしたら。
こうして私たちを足止めして自分に意識を向けさせて、その隙に向こうに仕掛けようとしている可能性がぐっと高まる。
それに、アゲハさんは昨日言っていた。
まずは夜子さんを始末して、保護を失った私を殺す手筈だったと。
昨日は私が夜子さんの居場所を教えなかったから、アゲハさんは先に私に仕掛けてきたけれど。
だから次も私に襲いかかってくるという先入観もまた利用して、本来の手順通り夜子さんから狙うという手筈なのかもしれない。
それにロード・ケインはさっき言っていた。
私の生き死にはともかく、どちらにしろ夜子さんは邪魔だと。
そしてそれは、夜子さん自身もまた言っていたこと。
だとすれば。
こうして首謀者のロード・ケイン自ら私たちの前に現れて、そこまでのブラフを起こしたということは。
今夜子さんのところには、アゲハさんが向かっているかもしれない……!
「よ、夜子さんが危ない!」
千鳥ちゃんが金切り声を上げた。
サッと血の気の引かせて、この世の終わりのような引きつった顔をしている。
千鳥ちゃんがそう口にしたことで、私の中でもそれがリアルな認識となって心臓がキュッと縮こませた。
「夜子さんがアゲハのやつにどうこうされるとは思えないけど。でも、でも……!」
あたふたしながら早口で捲したてる千鳥ちゃん。
私の腕をぐいぐいと振り回すその手は震えていて、まるで自分のことのように怯えているのがわかった。
私も、夜子さんがアゲハさんに殺されてしまうとは到底思えない。
けれど、アゲハさんのバックにはロード・ケインがいるし、何がどうなるかわからない。
そうでなくてもアゲハさんは大分切羽詰まっているように見えたし、何をするかもわからない。
夜子さんなら大丈夫だと、呑気なことは言っていられない。
「────夜子さん!」
「あ、千鳥ちゃん! ちょっと待って……!」
焦燥を溢れさせた千鳥ちゃんは、一人で駆け出してしまった。
その手を捕らえることが出来ず、伸ばした手をすり抜けた千鳥ちゃんがタタッと行ってしまう。
「私たちも行こう!」
すぐさま顔を見合わせて、私たちは急いで千鳥ちゃんの後を追った。
何事もなければそれでいい。これが私たちの杞憂であればそれでも構わない。
けれどもし、本当に夜子さんに危機が迫っていたとしたら、それは絶対に見過ごせないから。
ロード・ケイン。何を考えているのか、何が正しいのかさっぱりわからない魔法使い。
ここまでくると、本当に彼の何を信じていいのかわからない。いや、何も信じちゃいけないのかもしれない。
彼の仕草、表情、言葉、行動。その全てが疑わしく思えてしまう。
彼が何を目指して何をしようとしているのか。
何をするつもりで、何をしないつもりで、何を思ってこうして現れたのか。
もう何一つとしてわからない。
もしかしたら最後に口にしたアドバイスだという言葉、あれすらも虚構のものなのかもしれない。
私たちでは予測できない、更に裏の裏があるのかもしれない。
でも、もうそこまで考えている余裕はない。
今は想像しうる事態に対処することで精一杯だ。
だから私たち三人は、駅前広場の人混みを掻き分け駆け抜けて、街外れにある廃ビルまでがむしゃらに急いだ。
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