47 大切なもの

 私たちは駅前の広場に出た。

 さっき千鳥ちゃんとショッピングモールを出た時と比べて、大分人気が少なくなって閑散としている。

 それでもさすがは駅前で、柔らかい街灯の光に照らされていて、薄暗い街外れの路地と比べるととても落ち着いた気分になる。


 レイくんは私の手を引いたまま広場を歩いて、隅にあるベンチに腰掛けた。

 街灯の足元にあるベンチはオレンジ色の明かりに照らされて、冬の夜の寒さをほんの少しだけ誤魔化してくれているようだった。

 促されるままに隣に座ると、レイくんは私の手を放して代わりにそっと肩を組んできた。


「どういう意味なの? 私には、大切なものが多過ぎるって」


 身を寄せてくるレイくんの近さを気にする余裕もなく、私はおうむ返しで尋ねた。

 レイくんの言われたその言葉が頭を巡って離れていかない。


「大切なものがあることは、それがいっぱいあることはいいことじゃないの?」

「そうだね、もちろんそうだ。それはアリスちゃんの言う通りだよ」

「じゃあどうして? どうして、そういうことを言うの?」


 顔を覗き込むように尋ねると、レイくんは困ったように薄い笑みを浮かべた。

 ほんの少し私から目を逸らして、気を紛らわせるように足を組む。


「大切だと思えるものが沢山あることは、素晴らしいことだ。でもね、どれもこれも同じくらい大切だということは、つまり、一番がないということじゃないかな」

「一番……?」

「例えば人だけで、君にとって大切な人はどれくらいいる? その中で、君にとって一番大切な人は誰かな?」

「そんなこと、急に言われても……」


 私のとって大切な人。

 家族、お母さんはもちろん大切だ。

 友達、いつも寄り添ってくれる氷室さんや、幼馴染の創に、今は亡き晴香も。

 それに千鳥ちゃんや他の友達だって大切だ。


 そしてあっちの世界で私を待っているレオやアリアも。

 この心が大切だと言っている。


 みんなみんな大切だ。

 私に連なる沢山の人たち。家族や友達、私のことを想ってくれて必要だと言ってくれる人たち。

 その全てが私にとって大切な人たちだ。

 その中で誰が一番大切かなんて、そんなこと考えたこともなかった。


 みんなそれぞれ関わり方が違って、関係も違う。

 だからみんな違った大切さがあって、そこに優劣なんてない。

 そんなこと、考えてみようとも思わなかった。


「ごめんね、意地悪なことを言ってるって自覚はあるよ。でもこれは、君が抱える問題で、乗り越えなければいけないことなんだ。少なくとも、僕はそう思う」


 思わず俯いてしまった私の頭を、レイくんは優しく撫でてくれた。

 頭の形をなぞるように丁寧に、柔らかく慈しむように。


「アリスちゃんは良い子だ。色んな人と関わり、その心を通わせて寄り添うことができる優しい子だ。君はその心をもって多くの人と繋がり、深く関係を結んでいくことができる。だからこそ君には仲のいい人が沢山いて、大切な人が沢山いて、結果的に優先順位があやふやになってしまっている。誰が一番大切で、誰を一番想うのかを」

「……それは、レイくんのことを一番に想えってこと……?」

「いやいや違うよ。別にそれを強要するつもりはない。勿論、そうなってくれたら嬉しいけどね」


 レイくんは首を横に振りながらはにかんだ。

 それは普段の茶化したような笑みではなくて、純粋にそうであったらいいと望む、照れを含んだ笑みだった。


「君は昔からそういう子だった。関わる人全てに親身になって、慈しみをもって大切に接していた。それは君の美点だと思うし、それは君の魅力の一つでもある。けれどこの先君が自らの運命に向き合っていくに際して、それは弊害になってしまうと僕は思うんだ」

「一番が決まってないと、何がいけないの?」

「アリスちゃん。いずれ何か一つを選ばなくちゃいけなくなった時、今の君にその一つを選ぶことはできるかい? 両極のもの、そのうちのどちらかを選ばなくちゃいけなくなった時、片方を切る捨てることはできるかい?」

「そ、それは……」


 私だって、全くもって優先順位がないわけじゃない。

 例えば今のクラスの友達と、創のどちらが大切かと言われれば、迷うことなく創だと答えられる。

 普段仲良くお喋りをする大切な友達だけれど、でも創の方がもっと大切だ。


 でも、じゃあ。氷室さんと創を比べろと言われたら? お母さんは? 

 そうやって突き詰めていくと、その中から一番を選ぶことなんてできない。

 今の私だけでもそうなのに、過去の記憶が戻って、あっちの世界で出会って大切なものが足されたら……。


 レオとアリアだってそうだし、あの世界そのものにだって愛着があるかもしれない。

 そうなった時、私に二つの世界のどちらかを選ぶことができるのか。

 レイくんが言いたいのはそういうことかもしれない。


「ただ記憶を取り戻すだけなら、もちろんそんなことまで考える必要ないさ。今までと同じように、沢山のものを同じように大切にすれば良い。でも、君がその身に宿る運命と向き合う時、必ず選ばなくてはいけなくなる。その選択によって、君の歩む道は大きく変わるだろうからね」

「それが定まっていないうちは、鍵を返してくれないってこと?」

「いや、そういうわけじゃないんだ。けど、考えてみてくれないかな」


 レイくんの声はいつになく優しい。

 戸惑う私の心を解きほぐすように滑らかに投げかけられてくる。


 何が一番大切で、誰が一番大切なのか。

 私にとって一番優先するべきことはなんなのか。


 そうやって改めて考えると、色んな人の顔が浮かんでしまう。

 みんな大切で、みんな掛け替えのない人たち。

 その人たちとの間にある色々な関係性と、そこで生まれる居場所。

 その中から一つだけを選ぶなんて、そんなこと……。


 でもきっとそれは普通のこと。

 人間誰だって偏りがあって、同じ大切でも、どこかで優先順位をつけてしまっているもので。

 だから私も自分では気づいていないだけで、心の奥底では決まっているのかもしれないけれど。


 それに気づけないのは、私がまだ子供だからなのかな。


「今すぐに答えを出そうとしなくても良いよ。それはじっくりアリスちゃんの中で見つけていけば良い。でも、そのことを考えておくのと、そうでないのとでは雲泥の差だろうからね。だからこうして僕は今、心を鬼にして君にそれを教えたのさ」

「……うん。ありがとうレイくん。私、自分じゃそんなこと考えてみようとも思わなかったから」


 私は顔を上げて笑顔を作った。

 けれどそれは不安を含んでぎこちなかったのかもしれない。

 レイくんは心配そうに私を覗き込んで、そして励ますような明るい笑顔を向けてきた。

 その笑顔はとても眩しくて、私は直視することができなかった。


「こんな話を振った僕が言うのものなんだけれど、あんまり暗くならないでほしいな。アリスちゃんには笑顔が一番だ。僕は君が笑っている時が一番好きだな」

「またそんなこと言って……」


 それは明らかに私の気分を和ませるための言葉だった。

 そうやっていつものように私に甘い言葉を投げ掛けて、暗めの空気を和らげようとしている。

 だから私も普段通りに返した。レイくんの言葉に呆れるように。


 レイくんに指摘されたことは、確かに考えなければいけないことだ。

 それは過去の記憶の問題だけじゃなくて、私という人間の根本的な問題だろうから。

 それを念頭に置いているのといないのとでは、きっと過去の記憶との向き合い方も変わってくる。


 私は今、この世界で家族や友達と変わらない日々を過ごしたいと思ってる。

 でもきっと、そういうことじゃない。それでは漠然としすぎているんだ。

 誰とどこでどうやって生きていきたいのか、ということなんだ。


 でも、それを気にし過ぎて暗くなるのもよくない。

 今目の前にあるものに目を向けつつ、ゆっくりと考えていこう。

 私が出会う全てのことに真摯に向き合っていけば、きっと答えは見つかるだろうから。

 その為には、笑顔を忘れちゃいけない。


「よかった、気持ちの整理はついたようだね」


 自然な笑みを浮かべることのできた私を見て、レイくんはホッとしたように微笑んだ。


「アリスちゃんの暗い顔なんて見たくないからね。それに、万が一君を泣かせるようなことがあったら、クリアちゃんに殺されてしまう」

「────え? 今、なんて」


 とてもひっかりを覚える名前に、私は思わず聞き返してしまった。

 そんな私にレイくんはふんわりと微笑んで、あぁと言葉を続けた。


「アリスちゃんも彼女の名前は知ってるのかな? クリアちゃん。クリアランス・デフェリア。僕はさっき彼女と会っていたんだよ」

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