26 優しいお姉ちゃん

 私を庇うように立つ千鳥ちゃんの肩は小刻みに震えていた。

 小さな背中を縮こませながらも、アゲハさんから私を守るに立ちはだかってくれている。


 あまりにも弱々しい背中。

 けれど、今はそれがとても頼もしく見えた。


「クイナ! アンタなんのつもり!?」


 千鳥ちゃんの姿を捉えると、アゲハさんは吠えるように叫んだ。

 さっきまでの朗らかな表情は消え去って、苛立ちに満ちた顔をしている。


「そ、それはこっちのセリフよ! アリスを手にかけようだなんて、ゆ、許さないんだから!」


 必死に睨みつけながら、千鳥ちゃんは負けじと声を張り上げる。

 けれどやっぱりアゲハさんに対して恐怖心があるのか、言葉はつっかえ気味で覚束ない。

 けれどそれをぐっとこらえて、私のために立ち向かってくれている。


「千鳥ちゃん、ありがとう。私……」

「お喋りは後! 動けるなら逃げるわよ!」


 押さえつけられていた喉が解放されて、軽く咳き込みながらお礼を言うと、千鳥ちゃんは私の腕をガシッと掴んだ。

 いつだかと同じように、一刻も早くアゲハさんの前から離脱したいというのが伝わってくる。

 そんな千鳥ちゃんに引かれるまま動き出した時だった。


「────逃すわけないっしょ!」


 私たちの目の前を強烈な風が駆け抜けた。

 速く鋭いカマイタチのような一陣の風。

 最早刃と言えるそれは、私たちの眼前を通過して塀に大きな切れ込みを入れた。


 後一歩タイミングがズレていたらと思うと、血の気がさっと引いた。

 私の腕を掴む千鳥ちゃんを引き寄せ身を寄せて、カマイタチが飛んできたアゲハさんの方を向く。


「いい度胸じゃないクイナ! 私の邪魔をした上に、のこのこ逃げようってわけ。ふざけんのも大概にしてよね!」


 地を強く踏みしめて苛立ちを全身で表すアゲハさん。

 その姿に千鳥ちゃん小さく悲鳴を上げて、すぐさま私の背中に回り込んだ。


「ちょ、ちょっと千鳥ちゃん!?」

「あ、後はアンタに任せる。私にアイツの相手は無理!」

「無理って、助けに来てくれたんじゃないの!?」

「そうよ! だから助けたじゃないの! これ以上は無理よ!」

「そんなっ……」


 私の背中にぴったりと張り付いて身を隠す千鳥ちゃん。

 助けに来てくれたその瞬間に、全ての勇気を使い切ってしまったみたいだった。

 だからもう立ち向かうほどの力は残っていないとばかりに、私の後ろで縮こまってしまった。


 助けに来た相手の背中に隠れるっていうのはどうだろうと思いつつ、助けに来てくれただけでも大分ありがたいと思った。

 アゲハさんに襲われている私を助けるということが、千鳥ちゃんにとってどれだけ勇気が必要だったか。


 元々臆病で争い事を好まず、そしてなにより自分を第一に考える千鳥ちゃんが私を助けに来てくれた。

 それだけでも十二分にありがたいことなんだ。


「相変わらずみっともないわね。アリスの背中に隠れちゃって、一体何しに来たのよアンタ」

「う、うるさい! そんなの私の勝手でしょ!」

「さっきは私の顔見るなり逃げたくせにさ。一丁前に助けに来たと思えば結局隠れちゃって。ホント、姉として恥ずかしいったらない」

「っ…………!」


 私の背中で千鳥ちゃんが呻いた。

 背中越しで顔は見えないけれど、悔しさで泣きそうな顔をしているだろことは想像できた。

 私の背中に預ける体が、僅かに震えている。


「アリスが……私の友達がピンチだったんだから、自分だけ逃げてなんかいられないわよ! それの何が悪いのよ!」

「だったら最後まで私の前に立ってみなさいよ。ビクビク隠れてないで、私に立ち向かってみなさいよ!」


 私の背中にしがみついたまま、僅かに顔を覗かせて叫ぶ千鳥ちゃんに、アゲハさんは挑発するように吠えた。

 間に挟まれている私もまたその威圧に気圧されそうになりながら、けれど千鳥ちゃんを庇って腕を広げ、アゲハさんを睨んだ。


「アゲハさん! それ以上千鳥ちゃんを追い詰めないで! 千鳥ちゃんを傷付けるのは許しません!」

「ふーん。じゃあ私に大人しく殺される? 助けに来たソイツはもう役に立たないしね」

「戦いますよ。私、アゲハさんと戦います」


 もう一人じゃない。千鳥ちゃんが助けに来てくれたことで心に少し余裕ができた。

 一緒に並び立って、守るべき友達がいることが、私に勇気をくれる。


 強い意志を持って睨み付けると、アゲハさんは余裕に満ちた不敵な笑みを浮かべた。

 それは私たちを見下していることから出る余裕だと、すぐにわかった。


「アリス、逃げた方がいいって。隙を見て逃げた方がいい。アイツが本気で殺しにかかってきたら、どうしようもないから……!」

「うん。でも、今のアゲハさんがそう易々と逃がしてくれるとも思えない。戦わないわけにはいかないよ」

「でも……!」


 アゲハさんからは膨大な力を感じる。

 転臨の力を解放する前から、既にその強大な力が漏れ出している。

 それを感じているであろう千鳥ちゃんは、私の背中をぐいぐいと引っ張って喚く。


「千鳥ちゃんは、先に逃げてもいいよ。そのくらいの時間は稼げると思うし」

「ば、馬鹿なこと言わないでよ! アンタを置いて逃げるわけないでしょ! それじゃ、何の意味もないじゃない。逃げるなら一緒よ!」

「ありがと。じゃ、一緒に何とか乗り切ろうよ」

「もーーーー!」


 意地悪を言ったのはわかってる。

 そんなことを言えば、千鳥ちゃんは逃げないって言うってわかってた。

 前の千鳥ちゃんなら、じゃあって一人で行ってしまっていたかもしれないけれど。

 今は私のこと、ちゃんと友達だって思ってくれているって知ってるから。

 だからこそ、一回逃げたのに助けに来てくれたんだろうから。


 その優しさに、想いに甘えてしまった。

 私だって一人は心細い。でも一緒に立ち向かうことができれば、きっと勝機を見出せるから。


 自分を奮い立たせるためか、それともどうにでもなれという諦めか。

 千鳥ちゃんは大きな声を出しながら、私の影から控えめに体を出した。

 まだ震えているけれど、しっかりと私の隣に立つ。


「へぇ、アンタにしては度胸あるじゃん。私と喧嘩しようなんてさ」

「私だって別にしたいわけじゃないわ。アンタの顔なんて、本当は見たくもないんだから……!」

「えーひどーい。私はいつだって、可愛い妹のことを想ってるってのにさ」


 アゲハさんはわざとらしく傷付いたという顔を作って戯けた声を出した。

 千鳥ちゃんはそれに対して不快感を全面に押し出して顔を歪める。


「私はいつだってアンタのためを思ってるんだから。優しいお姉ちゃんなんだよ?」

「何言ってんのよ! あの時だってアンタは────」


 震えながらも噛み付く千鳥ちゃんは、しかしそこで言葉を途切れさせた。

 自分で言いかけた言葉に嫌悪感を抱いて、苦々しげに口ごもる。

 けれどその苛立ちを代わりの言葉に乗せて声を上げた。


「そ、そう言うんだったら、今すぐどっか行きなさいよ!」

「それは無理。だって私、クイナのためにアリスを殺すんだもん」

「は、はぁ!? 何言ってんの!?」


 平然とした顔でサラッと言うアゲハさんに、千鳥ちゃんは思いっきり顔を引きつらせた。

 私もアゲハさんが何を言っているのかわからなかった。

 だって、それはあまりにも支離滅裂だから。


「アリスが友達じゃ、アンタには荷が重すぎるっしょ? だから私が楽にしてあげる」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ! そんなわけわかんないこと……!」


 腰に手を当て、アゲハさんは優雅に言う。

 そこにあるのは大人の余裕、強者の余裕。

 私たちなんて簡単に捻り伏せられるという自信が、その全身から溢れていた。


 すらりとした長身と長く伸びる白い脚が、その自信をまとってより姿を大きく見せる。


 千鳥ちゃんは震える手で私の腕を握って、そんなアゲハさんを怯えながらも強く睨んでいる。

 その縋るような姿を見れば、千鳥ちゃんが私の死なんて望んでいないことは一目瞭然だ。

 アゲハさんがどんなつもりで言っているのかわからないけど、それはきっと彼女の勝手な都合だ。


「全部私に任せてれば良いのよ、アンタは。それが嫌なら、私に勝ってみなさいよ。自分でなんとかできるっていうならね!」


 赤いレザージャケットを脱ぎ捨てて、アゲハさんは高らかに叫んだ。

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