16 場違い

「本当に着いちゃった……」


 閑静な街外れにそぐわない煌びやかな建物を前にして、私は思ったことを素直に口に出してしまった。

 テーマパークから持ち出してきたようなファンシーな佇まい。

 西洋のお城を模したような外観に、張り巡らされる派手派手しい電飾。

 ここは前にレイくんに連れられた、ラブホテル『わんだ〜らんど』で間違いなかった。


「何よその口ぶりは。私のこと信じてなかったわけ?」

「そ、そういうわけじゃないけど。でも暗示のせいか、私は向かってる実感がなかったから、つい……」


 私の感想に千鳥ちゃんはブスッと拗ねた顔をした。

 慌てて否定したけれど、それでも千鳥ちゃんはまだちょっぴり不機嫌気味だ。


 ただ千鳥ちゃんに連れられるままに歩いていた私は、本当に気がついたら着いていたという感覚だった。

 ここへ近付いている実感はなかったし、辿り着いた今もここへ来た道のりはとても朧げではっきりしない。


「ふんっ。友達がだいじーって言う割に、私はその程度ってことね」

「もぅ拗ねないでよ、違うってばぁ。千鳥ちゃんのことはいつだって信頼してるよ。頼りになるお姉さんだって思ってるよぉ私は」


 顔を背けて子供のように不貞腐れる千鳥ちゃんに、私は腕を絡めて少し甘えてみせた。

 千鳥ちゃんのご機嫌をとるには、甘えて頼るのが一番効果的だからだ。

 私が柔らかい撫で上げるような声で言うと、案の定千鳥ちゃんは満更でもない顔をした。


「そ、そう? なら別にいいけどさ」


 このくらいで絆されてしまうチョロさなんだから、はじめから拗ねなければいいのにと内心苦笑いをする。

 でも、これはこれで千鳥ちゃんなりの意地の張り方なのかもしれない。

 大した負担もないことだし、まぁいいかな。


 少しの間、お姉ちゃんに縋る妹のようにまとわりついていると、千鳥ちゃんの機嫌はすぐに治った。

 表面上は少しうざったそうに私をあしらいつつも、下がりきった眉はベタベタされることへの嬉しさを隠しきれていなかった。

 まったく、性格はちょっぴり面倒臭いけれど、憎めないよなぁ千鳥ちゃんは。


「────もうわかったら。ほら、さっさと行きなさいよ」

「やっぱり、一緒には来てくれない?」


 私をぐいっと引き剥がして、千鳥ちゃんは少し乱雑に言い放った。

 少し心細くなった私が思わず尋ねると、千鳥ちゃんはあっさりと首を横に振った。


「パス。言ったでしょ、連れてくだけだって」

「そう、だよね。自分のことだもん、自分でやらなきゃだよね」


 最初の約束通りのこと。千鳥ちゃんは別に意地悪を言っているわけでも、冷たいわけでもない。

 それに私だってもう覚悟を決めてきたんだから、今更わがままを言っている場合じゃない。


 大人しく千鳥ちゃんから離れてニコリと笑うと、千鳥ちゃんは呆れたように溜息をついた。


「しょーがないから、待っててあげるわよ。だからさっさと用済ませてきなさいよ」

「ありがとう。やっぱり千鳥ちゃんは優しいね。そんな千鳥ちゃんが私は大好きだよっ!」

「うっさい! 早く行きなさいよ!」


 私のお礼に千鳥ちゃんは顔を真っ赤にして、ピーキーな叫び声をあげた。

 素直に喜べばいいのにと思いつつも、予想通りの反応をしてくれたことに笑みが溢れる。

 その笑みにまた千鳥ちゃんが怒らないうちに、私は手を振って建物の中に入った。


 もちろん、誰にも見られていないことを確かめてから。


「うぅ……。別の意味で帰りたい」


 自動ドアを潜って無人のロビーに迎えられた途端、独特の雰囲気に気持ちが萎縮してしまった。

 ここはラブホテル。大人の人たちが来るところだ。

 自分のようなお子様が来るようなところではないという場違い感と罪悪感で、心臓がばくばくする。


 前に来た時はレイくんに促されるまま進んで行ったけれど、一人でこの空間に立ち入ると緊張感がまったく違った。


 大理石風のタイル貼りの静かなロビー。

 薄ぼんやりとした照明や、ささやかな高級感としっとりとした雰囲気は、何故だかいかがわしい匂いを漂わせている。


 壁に大きく飾られた客室の写真の数々と、点いていたり消えていたりするボタンに、なんだか妙に圧迫感を覚える。

 でも、これから自分がしようとしていることを考えたら、こんな所で萎縮している場合じゃない。


 私は意を決して無人の窓口を通り越して、その先にある小さなエレベーターに乗り込んだ。

 圧迫感のある狭い室内にとても閉塞感を覚えながら、前回の記憶を頼りに地下一階へのボタンを押した。

 建物まで入ってしまえば、もう行き方がわからなくなるということもないみたい。


 一階分降るだけなのに、静かさからか、それとも緊張からかとても長い時間がかかっている気がした。

 ようやく箱が停止してエレベーターを降りると、前回と同じようにパーティールームと小洒落て書かれた扉が一つだけあった。


 ワルプルギスの住処を前に、私は背中を冷や汗が伝うのを感じた。

 喉がカラカラと乾いて、口の中が張り付くように粘つく。

 この緊張はもう、この場違いな空間へ対してのものではなくなっていた。


 この扉の向こうにワルプルギスが、レイくんがいるはず。私の記憶と力の封印を解く鍵を持って。

 ここまで来たのだから、もう何が何でも鍵を取り返して、私は自身の全てを取り戻すんだ。


 大きく深呼吸をして、できるだけ気持ちを落ち着ける。

 緊張しすぎていたら、またレイくんにいいようにあしらわれてしまうかもしれない。

 ことを円滑に、有利に進めるためには冷静でいないと。


「……よしっ!」


 少しの間そうして心を落ち着けて、私は気合を入れるために小さく声を上げた。

 意を決して扉をノックする。もう後戻りはできないし、するつもりもない。

 ノックへの返事が来るまでの僅かな時間は、まるで悠久の時のように感じた。


「はぁ〜い、今開けますね────あらあら、姫様ではありませんかっ!」


 陽気で優雅な声を上げながら扉を開いたのは、クロアさんだった。

 おっとりとした顔付きは、私のことを見つけた瞬間パァッと大輪のように華やいだ。まるで恋する乙女のようだった。


「まぁまぁなんてことでしょう! 姫様が御自おんみずからいらっしゃるなんて! わたくし、感激でどうにかなってしまいそうです!」


 頰を両手で押さえて甲高い声を上げるクロアさん。

 いつも通りの黒々としたドレス姿で、とても大袈裟な物言いだ。

 私が何故ここにいるかという疑問よりも、私がここにいる喜びが優っているみたい。


「こ、こんばんは……」


 対する私は正直苦い気持ちだった。

 それはクロアさんのオーバーリアクションに引いているわけじゃない。

 クロアさんとはつい昨日、揉めたばかりだからだ。

 と言っても、向こうはそうは思っないないだろうし、私が一方的に思うところがあるだけなんだけれど。


「さぁさぁどうぞ中へ! わたくしがとびっきりのお紅茶をお淹れ致します!」


 私の鈍い反応はどこ吹く風。クロアさんは幸せそうに顔を綻ばせ、私の手を取って迷わず部屋の中へと引き入れた。

 その楽しそうな姿に流されて、私はそのままの勢いで入室してしまった。

 まぁでも、はじめから入るつもりだったんだからいいか。


 部屋の中に入ると、前に来た時と同じように薄ぼんやりとしていた。

 ロビーと同じように高級感のある広い部屋。

 何インチあるかわからない巨大なテレビや、派手なピンクのシーツの特大ベッド。

 テーブルやソファ、小物類に至るまでちょっとしたセレブ気分を味わえそうな煌びやかさ。


 建物の中に入った時よりも生々しい大人な雰囲気に、また少しどぎまぎしてしまう。

 けれどなるべく平静を保って、私はクロアさんについて奥へ入る。


 パーティールームというだけあってとても広い部屋には、他に誰の姿もなかった。

 少なくともここにはレイくんとアゲハさんも一緒に住んでいるはずなのに、その二人は見当たらない。


「あの、クロアさん……」


 私をポンとソファに座らせて、いそいそとお茶の準備をし始めたクロアさんに、私はおずおずと尋ねた。


「レイくんと、アゲハさんは……?」

「お二人は今は外出中です。今はわたくし一人でお留守番なのです。わたくしでは、ご不満ですか?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」


 捨てられた子犬みたいに泣きそうな顔で尋ねられたら、ご不満ですなんて言えるわけがない。

 いや、そうじゃなくてもそんなハッキリ言ったりしないけれど。


 クロアさんは、普段は母性を感じさせるほどに貴婦人然としているのに、時折子供のように甘えるそぶりを見せてくるから困る。

 私がやんわりと否定しただけで、クロアさんはにこにこと準備の続きに取り掛かった。


 でも参ったなぁ。確証はないけれど、多分鍵を持っているのはレイくんだろうし。

 せっかくここに乗り込んだのに、鍵が取り戻さなきゃ意味がないよ。


「あぁ、わたくしは幸せです……! どうぞお寛ぎくださいね」


 困り果てている私をよそに、一人上機嫌なクロアさん。

 来るタイミングを完全に外してしまったなぁ……。

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