83 凍りついた感情

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 スクルド・フリージアは、魔法使いの家の中でも大家と呼ばれる一族の嫡男として産まれた。

 フリージア家は、人間が魔法を手にした時代よりその名を歴史に刻む名家だ。

 代々の当主は、積み重ねた魔法の技術と卓越した才を持って君主ロードの位を冠し、魔女狩りの頂の一人としての任を負ってきた。


 魔法使いの魔法は、研究と研鑽の上に成り立っている。

 魔法使いは日々自身の魔法への理解と、新たなる術理の解明に勤しむ。

 親は子へその知識と研究を引き継ぎ、子はそれを糧に更なる研鑽を積む。

 つまりそれは、歴史を重ねた家系ほど、魔法使いとして秀でた者になるということ。


 古より代を重ねるフリージア家に生を受けたスクルドは、産まれながらに強き者であることを決定されていた。

 嫡子である彼は、他の兄弟の誰よりも後継として熱烈な教育を受けて来た。

 家の歴史を背負い、研究を担い、頂に立つことを、産まれながらに決められていたのだ。


 スクルドは自分の運命に不満を抱いたことはなかった。

 父親の背中を見て育った彼は、その生き方こそが正しいと思っていたからだ。

 君主ロードを拝して権威ある魔法使いとして君臨し、魔女狩りを統べる一人の任を受ける父親。

 冷酷無比で決然とし、家の利益、魔法使いの利益、国の利益を合理的に考える男だった。

 スクルドはそんな父親の背中に、強き者の責任と生き方を見た。


 現在から約八年前のこと。

 フリージア家の存続を揺るがす事実が発覚した。

 スクルドの末の妹ヘイルが『魔女ウィルス』に感染していたのだ。


『魔女ウィルス』は誰しもが感染する恐れがある驚異のウィルス。

 感染経路は不明。そのため未然に防ぐこともできはしない。

 しかし、魔法使いやその家系の者が感染するという事態はごく稀だった。


 しかしヘイルは感染した。『まほうつかいの国』において、最も卑しきものとされる魔女になってしまった。

 普通の魔法使いの家系であっても、それは一大事だ。

 魔女は魔法使いとは相反する存在。魔女を最も忌み嫌うのは魔法使いなのだから。

 しかしその中でも古よりの大家であり、何より魔女狩りの君主ロードであるフリージア家に魔女が出たことは、あってはならないことだった。


「お待ちください父上。実の娘です。私の妹です。どうかお考え直しを!」


 スクルドの父は、娘の魔女化が周囲に知れる前に始末することを考えていた。

 しかしそれを止めたのはスクルドだった。父親の背中を追い、フリージア家の英才教育を受けて育った彼だったが、魔女であるという理由だけで妹が失われることには反対だった。


「死を振りまかせなければいいのです。誰にも知られなければいいのです。どちらにしろ長くない命。摘み取らなくても良いでしょう」


 スクルドの説得に父は渋々納得し、ヘイルの処刑は流れた。

 しかしそれはただ殺さないというだけ。彼の父は冷酷無比で合理的な人間だった。

 実の娘であろうと、それが魔女であれば蔑み忌み嫌う。

 嫡男であるスクルドの意見に耳を傾け殺しはしなかったが、その後の扱いは人に対するものではなかった。


 光の届かない地下にある、暗く狭い閉ざされた部屋への幽閉。辛うじて死なない程度の僅かな食事。

 誰にも会わせることなく、ただそこに押し込めて生かしておくだけだった。

 スクルドもそれ以上のことをすることはできなかった。


 ヘイルが幽閉され、その存在がはじめから無かったことにされてから、約一年の月日が経った頃。

 当主である父親が病に倒れ急死し、スクルドは若いながらも急遽家督を継ぐこととなった。

 一年でスクルドは更に成長し、父親譲りの冷酷で孤高な人物が染み付いていた。

 冷徹な合理性を持った彼は、まるで感情が凍りついたように見えた。


 強き者であることを自らに課し、不要なものを切り捨てる合理主義をかざす。

 他者を必要とせず、孤高を是とし、冷徹な眼差しが似合う人間になっていた。

 スクルドはフリージア家の全てを受け継ぎ、その秀でた才から若くして君主ロードの位を拝した。

 そして父親の後任として、魔女狩りの統べる一角を担うこととなった。


 全てを受け継いだスクルドには、しなければならないことがあった。

 フリージア家の汚点、ヘイルの明確な処遇だった。

 一年の間ただ無造作に幽閉されていたヘイルの件に、ケリをつけなければならなかった。

 何故ならばそれは、自身がこれから率いていく家にとって、確実に枷となるからだ。


 家の中に魔女を囲っておくことは明らかなリスクだ。

 一年は誰にも気づかれることなく時が経ったが、しかし噂は流れており、いつ外部に気づかれるとも知れない。

 もしそれが事実として他者の耳に入れば、フリージア家が長年培っていた威厳と権威が損なわれてしまう。

 当主として、問題を先送りにはできなくなった。


 地下から出したヘイルは、酷く痩せ細りやつれていた。

 辛うじて生かされていた少女には子供らしい輝きはなく、孤独と絶望に染まった瞳をしていた。

 自室にてヘイルと二人、一年振りの再会だった。


「ヘイル。お前をこれ以上ここで生かしておくことはできない。お前は魔女になってしまった。死を振りまき、神秘を穢す卑しき魔女になってしまったんだ。この国では、魔女は死ななければならない」

「………………」


 スクルドは感情を感じさせない淡々とした口調で妹に語りかけた。

 ヘイルは唐突な言葉にキョトンとしながら、兄を見つめている

 しかしスクルドは気にすることなく言葉を続けた。


「私はフリージア家の当主として、魔法使いとして、そして魔女狩りとして、お前を生かしておくことができない。ヘイル。私は……お前を葬らなければならないんだ」


 それはヘイルに向けた言葉というよりは、自身に言い聞かせるようなものだった。

 そしてその言葉で自信を納得させる。そうするべきことだと。必要なことだと。

 自分が、家が、そして魔女狩りが、この先も栄えていくためには、魔女になった妹を見過ごしてはいけないと。

 冷静で冷徹な判断を下した。感情を封じて。


 そしてスクルドは、無抵抗なヘイルに魔法を放った。

 あらゆる魔法を用いて苦痛を与え、まるで拷問のようにヘイルを痛めつけた。

 悲鳴を上げ泣け叫ぶヘイルを見ても、容赦することなく絶え間なく魔法を浴びせ続けた。


 そして力なく倒れ臥すヘイルを抱きかかえると、あらかじめ用意させていた異界の門へと歩み寄る。

 腕の中で掠れる呼吸をするヘイル。身体中に刻まれてた傷の痛みは、その心にも深く残ることだろう。

 スクルドへの恐怖、フリージア家への恐怖として、心に強く残るだろう。

 それを確信したスクルドは、ヘイルの傷を魔法で癒した。


「ヘイル。お前はもう二度と、この家に関わるな。ヘイル・フリージアという名は捨て、別の誰かとして生きるんだ。そして最期、その身が朽ち果てる時も、お前はその別の誰かのまま、死ぬんだ」


 その言葉がヘイルに届いていたのか、スクルドにはわからなかった。

 しかしどちらでもよかった。それは彼が満足するための言葉でしかなかったからだ。

 妹にとって自分は、恐ろしき存在として映っていればいい。

 もう関わりたくないと、忘れたいと、そう思う存在であればいい。


 この世界では、『まほうつかいの国』では魔女は生きることを許されない。

 この国にいる以上、ヘイルに生を許される場所はない。

 ならば、それとはかけ離れた場所に送り出せばいい。

 この世界には存在せず、しかしその命尽きるまで生きることが許される場所へと。


 この世界とはかけ離れた場所で、国のことも家のことも捨て去って。

 新しい世界で新しい自分として生きていけばいい。

 どちらにしても長くない命。どうせならば、生きたいように生きればいい。


 その思いを込めて、スクルドはヘイルを異界の門へと放った。

 空間がねじ曲がってできた歪んだ穴。ブラックホールのような渦の中に沈んでいくヘイル。

 スクルドはその姿を最後まで見届け、一人になった部屋の中で溜息をついた。


 それから約七年の月日が流れ、つい先日のこと。

 異世界へと放ったヘイルの消息を特に探ることもなく、その生死を彼は知らずに過ごしていた。

 確認しようと思えばできないこともなかったが、自分にはその権利はないと考えていた。


 しかし魔女狩りの君主ロードの会議において、彼はヘイルの生存を知ることとなった。

 ヘイルはまだ生きている。しかしそれは、救国の姫君であるアリスの側で。

 それは考えうる中で最悪の状態だった。


 の世界であれば、通常は魔女狩りの手は及ばない。

 国に通ずる者もおらず、ヘイルの素性を探られるようなことも起こらないだろうと考えていた。

 しかし、今魔法使いが必死に求めている姫君に、ヘイルが同行しているとなれば話は別だった。

 姫君に接するあらゆる魔法使いが、ヘイルの姿を目撃する。

 何よりヘイルの存在を仄めかしてきたケインがそうだった。


 このまま放っておけば、ヘイルがフリージア家の者だと発覚する。

 いや、もう既にケインはそうだと当たりをつけている。

 スクルドは、答えを出すのに時間をかけなかった。


 フリージア家の当主として、そして他ならないヘイルの兄として、責任を果たす。

 ヘイルの存在が露呈する前に、彼女が誰かの手にかけられる前に、自分の手で始末しようと。

 本来であれば、『魔女ウィルス』に感染したと発覚した時に終わるはずだった命。

 永らえさせた自分には、ケリをつける責任があると、スクルドは考えた。


 家族に、そして世界にその存在を否定され、見知らぬ異界に放たれた妹。

 独り暗闇の中で孤独に生かされ、拒絶の果てに捨てられた妹。

 その命を絶つのは、実の兄である自分の責任であり、それがせめてもの愛情であると。

 スクルドはそう、覚悟を決めた。


 それが彼なりの、感情を凍て付かせた彼なりの、妹を想う心だった。




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