82 激情のままに
「まさか、耐えるとは……」
「一人では耐えられなかった。けれど……力を合わせたから……」
信じられないものを見るような目を私たちに向け、ロード・スクルドは顔をしかめていた。
そんな彼に、氷室さんはだらりと腕を垂らしながら一歩前へと進み出て言った。
もうとっくに指先の感覚はないと思う。凍傷になってもおかしくない指を震えながら握り込んで、強い眼差しを向けていた。
「私はもう、あの時の私ではない。もう私は、あなたが知っている私ではない」
「あの時のお前ではない、か。独りではなくなったというだけで、何が変わったというんだ。姫君に縋ることで、お前自身の何が変わったと……!」
「冷え切った心に、想い合う温かさが灯った。それだけで、人はいくらでも強くなれる。守る人がいるといことが、私を決して挫けさせない」
「…………!」
ロード・スクルドは歯を食いしばって顔を歪めた。
氷室さんの言葉を受け入れ難いと、否定したいと唸っている。
でもできない。だって目の前の氷室さんがそれを体現しているから。
人との繋がりを軽んじ、不必要だと拒絶するロード・スクルド。
けれどそれを手に入れた氷室さんが、至らぬ魔女の身でありながら未だ立ち上がっているのだから。
普通であれば敵うべくもない魔法使い相手に、今も尚立ち向かっているのだから。
「……花園さん」
氷室さんが少しだけ顔をこちらに向けてきて、伺うような言葉を口にした。
それは何か覚悟に満ちていて、私は優しく笑みを浮かべて応えた。
「私は、あなたの思う私ではないかもしれない。あなたは私に失望するかもしれない。けれどそれでも、あなたと離れ離れになってしまうことの方が私には辛いから、だから────」
「そんなこと言わないで、氷室さん」
少し震えた声で、振り絞るように言う氷室さんの手を握る。
冷え切った握り拳を包み込んんで、大丈夫だと強く握る。
「私に失望される方がマシなんて、そんな寂しいこと言わないで。大丈夫。私、どんな氷室さんでも、ちゃんと見てるよ。絶対幻滅なんてしないし、嫌いになったりしない。だから、あの人に思いっきりその気持ちをぶつけちゃってよ」
「花園さん……」
にっこりと笑みを向けると、氷室さんは少し安心したように目元を緩めた。
ロード・スクルドにまつわる過去の恐怖と因縁。それに伴う感情の爆発で、私の見る目が変わることを恐れていたんだ。
普段は物静かで大人しくて控えめな氷室さん。その感情を滅多に表に出さなくて、いつもクールな氷室さん。
そんな彼女だからこそ、彼に対する激情を私に見られることが怖かったんだ。
でも覚悟は決まったようだった。
過去の恐怖、絡みつく因縁。それを清算して、前に進む覚悟が。
小さく頷いた氷室さんは、改めてロード・スクルドに向いた。
「ロード・スクルド。私は、あなたを乗り越えて、私の道を進む……!」
「……やってみろ、ヘイル」
氷室さんのスカイブルーの瞳に熱い炎が灯ったように見えた。
そして同時に全身から炎が吹き出し、灼熱が彼女を包み込んだ。
炎をまとってロード・スクルド目掛けて飛び込む氷室さん。
私も『真理の
ロード・スクルドが正面から放った冷気は私が掌握して逸らす。
続けざまに放たれた氷の槍の連射も全て掌握して撃ち返した。
それを防いで怯んでいるうちに、氷室さんはただ一直線に彼の懐に飛び込んだ。
「虐げられる者の苦しみと悲しみを。弱者の痛みと怒りを……あなたに────!」
氷室さんの拳に炎が灯り、そしてごうごうと拡大した。
殴りこむように拳を突き出すと、炎が火柱のように唸りを上げて放たれた。
打ち込まれた炎の拳をロード・スクルドが防ごうとして正面に氷で壁を張る。
しかしそれすらも私が掌握して取り除き、身を守るものがなくなったロード・スクルドは炎の拳に飲み込まれた。
「っ…………!!!
炎に飲み込まれたロード・スクルドは呻きながら飛び退いた。
しかし更に踏み込んだ氷室さんが体勢を立て直す暇を与えず、さらに仕掛けた。
文字通り身を焦がしたロード・スクルドに、四方から炎を襲わせる。
回避しきれない炎の応酬を受けている彼の周りに、瞬間的に冷気が集い、炎ごと彼を凍らせてしまった。
しかしそれは彼自身が自ら放った魔法だった。
彼の凍結で一瞬手が止まった氷室さん。その一瞬の隙を突くように氷が砕け、その破片が弾丸となって氷室さんを襲った。
完全な不意打ちに氷室さんはその攻撃をまともに受けて身を引いた。
それで攻守が逆転し、追い討ちをかけるように魔法が放たれた。
地面から生える氷の棘が波のように押し寄せる。
代わりに私が前に出て、『真理の
「ヘイル、お前では私には敵わない。所詮魔女であるお前では……!」
「そんなこと、ない……! 独りのあなたに、私たちは、絶対に……!」
ロード・スクルドは冷気を暴風のように身にまとい、氷室さんの命を刈り取らんと飛び込んできた。
迫り来る膨大なエネルギーに満ち溢れた彼に、正面からの魔法は通用しそうになかった。
「一緒に倒そう。一緒に、乗り越えよう、氷室さん……!」
「……えぇ、アリスちゃん!」
氷室さんの元まで跳び退いて言うと、氷室さんは頷いて『真理の
二人分の魔力が剣に集まる。私たちが心を寄せ合えば寄せ合うほど、力は強く絡み合った。
突き刺すような冷気をまとうロード・スクルド。
彼を取り囲む力の渦は、周囲を凍てつかせながら、触れるもの全てを凍結させながら突き進んでくる。
さながら氷結の化身がごとく、凍てつく嵐となって迫ってくる。
「ロード・スクルド。私はもう、あなたには囚われない────!!!」
共に振り上げ、力の限り振るった『真理の
白い極光が煌く、エネルギーの奔流のような力の塊の斬撃。
全ての魔法を打ちはらう光線のような斬撃が、氷結をまとうロード・スクルドを飲み込んだ。
彼を包んでいた氷の魔法を一瞬で搔き消し、丸裸になったその身を襲った。
純粋なエネルギーの塊をまとった斬撃を一身に受け、目が眩むような閃光に飲み込まれる。
あらゆるものを飲み込んで訪れた一瞬の無の後、光が晴れた後には静寂が訪れた。
地面を抉る斬撃の爪痕が長く伸び、空き地に満ちていた冷気もまた、今の斬撃によって吹き飛ばされていた。
薄暗い空き地の中で嘘のような静けさが流れ、聞こえるのは私たちの乱れた呼吸だけだった。
少し離れた先の地面に、白いローブを掻き乱して無造作に倒れるロード・スクルドの姿が見えた。
私たちはまるで示し合わせたようにその場にへなへなとへたり込んだ。
そして一呼吸置いた後、どちらからでもなく、固く抱き合った。
お互いの存在を確かめ合うように。
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