60 救うために

 瞬きをした時だった。

 私の周囲で星が煌めくように無数の火の粒が溢れた。

 星の海に抱かれるように、火種のような粒に囲まれた。


 レオがそれをまるで薙ぎ払うかのように、軽い動作で剣を横に一振りする。

 するとその動作が起因したのか、火種の粒が次々に炸裂、誘爆し始めた。


「────!?」


 一呼吸の間に視界の火種が怖ろしき爆炎へと変わっていく。

 密集していた火種の爆発は次なる爆発を誘発し、私を取り囲む一帯が瞬く間に爆炎に満ちる。


 私は咄嗟に『真理のつるぎ』に魔力を込めて、力任せに周囲にぐるりと振るった。

 濃密な魔力を乗せた斬撃は、エネルギーに満ちた衝撃波のように飛散して、魔法の爆炎を搔き消す。

 けれど一帯に満ち満ちた爆炎全てを消し去ることは到底できなくて、捉えきれなかった背面の爆炎が隙間を縫うように押し寄せてきて私を包んだ。


 瞬時に氷の華が防御を張ってくれたけれど、それは急場凌ぎで、それに押し寄せる衝撃までも防ぎきれるわけじゃない。

 爆炎に身を焼かれることはなかったけれど、自動車に正面からぶつかられたらこんな感じか、という全身をシェイクするような衝撃を受けて私の身体は吹き飛ばされた。


 背中の全面に打ち付けられた衝撃で息が詰まりそうになった。

 体全体が、頭が瞬発的な圧力を受けて震え、何も考えられなくなる。

 けれどホワイトアウトしかけた視界の隅に、迫るレオの姿を僅かに捉えることができた。


「ぁぁああああ────!!!」


 ただ無我夢中で、細かいことを考えている余裕はなかった。

 ただ今は、この迫り来る危機を回避する。それを本能的に感じて、がむしゃらに魔力を放出した。


 爆発にとばされる私にカウンターを打ち込むように飛び込んでくるレオ。

 その双剣には業火が灯り、大きな刀身を作り上げているようだった。炎で作り上げた二振り大剣を、軽やかに振りかぶっている。


 無数の氷の矢を作り上げてレオに向けて放つ。

 しかしそれはレオの剣の一振りでいとも簡単に砕け散る。迫り来るレオの勢いを殺せるものではなかった。

 レオの剣が両側から挟み込むように振るわれる瞬間、私は全力で周囲に放電して雷の膜を張った。

 まるでバリアのような放電にレオの剣が激突し、熱エネルギーと電気エネルギーがぶつかり合って、捻れるような衝撃が生まれた。


 続けざまに体を打ち付ける衝撃に悶えながらも、私は魔力を巡らせることで何とか体を動かして、着地しレオから距離をとる。

 対するレオも今の衝撃には身じろぎして、私まで踏み込むことができずに顔を歪めていた。


「アリス、お前がを使うなんて、何だか変な気分だ。まぁ所詮は借り物。それに魔女からってんじゃ話になんねぇけどよ」

「レオは……強いね」

「当たりめぇだろ。俺はお前を救うために死ぬ気で魔法の修行して、魔女狩りになったんだからな」

「私を救うため、か。じゃあどうして今はこんな……?」

「……うるせぇよ」


 私が言葉の隙を突くように尋ねると、レオは目を逸らしながら憎々しげに舌打ちした。

 両手の双剣を消すと、両手の内に野球ボール大の火の玉が現れた。

 レオが両腕を上げ手のひらを空に掲げると、火の玉が上空へと昇って大きな炎の塊となり、それはメラメラと燃えながら大きな手の形を象った。


 獣の手のような、鋭い爪を持った巨大な炎の手。

 人一人を簡単に握り込めるような大きさの二つのそれは、太陽が沈みかけて赤く染まった空に溶け込むように揺らめいている。


 宙に浮かぶ炎の手は、レオ自身の手と連動しているのか、彼が手を動かすとそれと同じような動きを見せた。

 宙に浮かぶ遠隔操作の巨大なもう一組の手だ。


 レオが掲げた腕を片方振り降ろすと、その動作に伴って宙の炎の手が降り落ちてきた。

 まるでハエを叩き潰そうとしているかのように、開かれた手が上から叩き落ちてくる。

 それを慌てて横飛びで避けた時、レオが大きく腕を振りかぶって私を見ていた。


 握った拳を正拳突きのようにまっすぐ振り抜くと、まるでロケットパンチのように炎の拳が放たれた。

 人間大、それよりも大きなものが大砲のようなスピードで迫ってくる。

 回避をしたばかりの私にそれをかわすことはできなくて、正面から『真理のつるぎ』を叩き込んで打ち消した。

 けれどそんなことをしていた隙に、もう一つの炎の手が大手を広げて私に迫っていた。


「しまっ────」


 振り抜いた『真理のつるぎ』は間に合わない。

 迫る炎の手が私を包み込むように握り込んだ。

 氷の華が私を守るように咲き乱れたけれど、握り込んで包む炎の威力には敵わず瞬時に溶ける。

 その炎がこの身を焼く前に咄嗟に身体の表面に障壁を張ったけれど、炎の手に握りこまれていては、例え燃えなくても焼かれるような熱さと痛みを防ぐことはできなかった。


「っ────────!!!」


 声にならない悲鳴が口から勝手に飛び出る。

 燃えていない。身体は辛うじて燃えていない。

 でも咄嗟に張った障壁は熱までも防いではくれないし、握りこまれることで物理的な締め付けが凄まじい。

 障壁そのものもそう長くもつとは思えない。


 痛みと衝撃で『真理のつるぎ』を取り落としてしまい、足元の地面に突き刺さる。

 炎の手に握りこまれた私は、地面から離されて宙へと持ち上げられ、剣に手を伸ばすこともできない。


「アリスちゃん!!!」

「こな、いで────!」


 氷室さんの悲鳴のような叫びが聞こえて、今にも飛び込んできそうなのが視界の端に映った。

 でも私は掠れる声でそれを制止した。

 私はまだ負けてない。まだ生きてる。まだ、自分でなんとかなるはずだから。


「素直に助けを求めた方がいいんじゃねぇのか? まぁ、魔女一匹加わったとこで、どうにかなるもんじゃねぇけどよ」


 私を握る炎の手を目の前に引き寄せて、レオが薄い笑みを浮かべて言う。

 氷室さんに侮蔑するような視線を向けてから、私を強情だと言うように鼻を鳴らした。


「っ…………」


 体が今にも燃え上がりそうだ。

 灼熱に全身を包まれて、燃え上がる炎に充てられて、今にも全身が発火しそうな痛みに苛まれる。

 全身の水分が沸騰してそのまま蒸発してしまいそうだ。

 でもまだ私は負けてない。まだ私は、諦めない。


「来て────『真理のつるぎ』────!!!」


 焼けそうな喉を振り絞って声を捻り出した。

 炎の手に握る込まれている中、私の手の中に取り落とした『真理のつるぎ』が現れた。

 その瞬間剣に触れたことで炎の手が消え去り、私は解放されて地面に崩れ落ちた。


「……ねぇ、レオ……」


 辛うじて燃えなかっただけで、灼熱に握り締められていた私の身体は熱に侵されて焼ける寸前だった。

 体力を激しく消耗してしまった私は崩折れながらも顔を上げ、目の前にそびえるレオを強く見据えた。


「私を殺したその先に、何があるの……? あなたの、目的は……?」

「……お前にそれを話す義理はねぇよ」

「じゃあ、これはアリアのためになること? あなたたちはずっと一緒に、私を救うために頑張ってきたんでしょ? そんなあなたが、アリアを裏切るとは思えないよ……!」


 剣を地面に突き立てて、杖のようにして立ち上がる。

 身体中に魔力を巡らせて回復を試みるけれど、どうやら回復の魔法は相応の集中力を必要とするみたいだ。

 敵と相対しながらの片手間では思うようには進まない。


 私が尋ねると、レオはまた目を逸らした。

 あからさまに逸らすものだから、そこに含むところがあるのは丸わかりだった。

 煙草を嚙み切らん勢いで歯を食いしばるレオの表情はとても苦々しかった。


「今の私はあなたたちのことを何も知らない。けどそんな私でも、あなたが何かを隠してるってことくらいわかるよ。それにこの行動には、あなたなりの想いがあるってことも。だから────」

「うるせぇぞアリス!」


 レオが吠えた。けれどそれは怒りというよりは誤魔化しのように聞こえた。

 猛々しく獅子のごとく喚きながらも、その裏には迷いと、それを隠そうとする気持ちが含まれていた。


「お前がどう思おうと勝手だ。お前が何を喚こうが、俺はやることを変えやしねぇ!」

「だとしても、私はあなたの気持ちが知りたい! 私、レオが心の底から私に死んで欲しいと思っているようには見えない。だってあなたはいつも怖いけれど、私を見る目だけは優しいから……!」

「っ────」


 レオがギリッと歯ぎしりした。苦虫を噛み潰したように眉を寄せて、居心地悪そうに顔をしかめる。

 それは、私の発した言葉が決して的外れなんかではないということの表れだった。


 レオは一番最初に会った時から、乱暴で攻撃的でひたすらに怖かった。

 私を積極的に襲ってきたのは彼だし、透子ちゃんに致命的な傷を負わせたのもまた彼だ。

 けれど私に向けられる目だけは、私のことを想うものだった。怒りながらも喚きながらも、私のことを思い遣る表情を垣間見せていた。


 その気持ちが彼にとっての真実なんだと、それだけは伝わってきていたから。

 だからレオが、ずっと私を救うために頑張ってきたレオが、どんな時も私を想ってくれていたレオが、心の底から私を殺したいなんて、そんなこと思うはずがないんだ。


「……悪く思うなよ、アリス」


 レオはポツリと呟いた。

 その言葉に覇気はなく、まるで謝罪のような呟き。


「俺の気持ちはずっと変わらねぇよ。最初からずっと、俺はお前を救うことしか考えてねぇんだ。あの時からずっとな」

「……じゃあ……!」

「それでも、選ばなきゃいけなくなっちまったんだ。どっちかを、選ばなくちゃいけねぇんだ。それでも意地を突き通すためには、俺はこうするしか思いつかなかったんだよ……!!!」


 その叫びは決意というよりは悲痛によるもの。

 どうしようもないと、諦めに満ちた嘆きの叫び。

 レオは私を射殺すような目で見つめながら、けれどその瞳の最奥には、やっぱり私への想いが揺らめいていた。

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