46 陽炎

「ねぇ透子ちゃん。透子ちゃんは何をしようとしているの? あなたの、目的は……?」


 ワルプルギスの魔女と少なからず関わりがある、という話を思い出して少し不安が顔を覗かせた。

 レイくんは、透子ちゃんはワルプルギスに似た志を持っていて、お姫様に執着していたと言っていたから。


「うーん。そうねぇ……」


 透子ちゃんは眉を寄せて唇をツンと尖らせた。

 少し困ったように考えこんで、やがてポツリと口を開いた。


「私自身の目的、というか行動の指針みたいなものは結構シンプルなの。私はただ、自由に生きたい。それだけよ。自由に生きて、そして私はここで生きているんだって、示したいのよ」

「自由に……?」

「ええ。でも私の人生は、私を取り巻く環境はそれを許してくれなかった。自分らしさなんてなくて、自分が何者かすらも定かじゃなくて。誰にも認められず、受け入れてもらえず、いないもののように虐げられて。そんな日々を、私は変えたかったの」


 魔女になってしまった人の宿命のようなものに、透子ちゃんは抗っているのかもしれない。

 こっちの世界だからって、魔女が生きやすいわけじゃない。

『魔法使いの国』でのように魔女狩りに襲われる危険と常に向き合うことがないとはいっても、元々魔法が存在しないこっちの世界では、魔女という存在が異質だということに変わりはないんだから。


「以前私はあなたに出会って、あなたに見つけてもらって、あなたに受け入れてもらって、一度救われた。その時から私は、縛られることない自由さを、確かにこの世に私がいるということを求めるようになった。でも、そのためには戦わなければいけないものが沢山あったのよ」


 魔女の身で自由を手にしようとしたら、何かを求めようとしたら、沢山の壁にぶつかってしまう。

 自身の限りある命に震え、人に死を振り撒く可能性を抱えながらでは、魔女の人生は息苦しいものだから。


 だからこそ透子ちゃんは、ワルプルギスに属さないながらも、自由を求めて抗っていたのかもしれない。

 レイくんが言っていたお姫様に執着しているというのは、昔から友達だった私のことをとても大切に想ってくれているってことなんだ。


「私、透子ちゃんの力になりたいよ。私も透子ちゃんのこと、助けたい。私に、何かできないかな」

「ありがとう。いずれ、あなたに沢山力を貸してもらう時が来ると思う。でも今は、まだそこまで辿り着いていないから。その時まで待っていて」

「今しなきゃいけないことってなんなの? 透子ちゃんは一体、今何を……」


 繋いだ手をぎゅっと握って微笑む透子ちゃんに、私は突っ込んだ質問を投げかけた。

 すると透子ちゃんは少し困ったように目を細めた。

 そして私から視線を外すと、少し遠くを、森の奥の方を眺めるように目を向けた。


「……それは、言えないの。これは私の問題で、私にしかできないことだから。でも大丈夫、心配しないで。私は、いつだってアリスちゃんを守るから」

「でも、私で力になれるなら、そしたら────」

「ありがとう。でも本当に大丈夫なの。私を信じて」


 何かを秘めている透子ちゃんに食ってかかると、透子ちゃんは困った笑顔を作って人差し指で私の唇を押さえた。

 そこには、それ以上追求しないで欲しいと言う思いが込められていて、私は気圧されてしまって何も言えなくなってしまった。


 透子ちゃんを助けたい、力になってあげたいと思うのに、でもそれができない。

 今は、私は必要とされていなかった。助けを求められていないのに力を貸すすべを、私は知らなかった。

 だから私にできることは透子ちゃんのことを信じて、その来たるべき時に最大限の力を貸すことだけだ。


「あなたがいてくれれば、私は何だってできる。あらゆることを受け入れて、どんな困難にだって立ち向かえる。あなたの心が、あなたの言葉がいつだって私の支えだから。だからね、アリスちゃん。あなたが私を見ていてくれている限り、私を想ってくれている限り、私は決して挫けたりしないわ。例え、何があってもね」


 にっこりと微笑んでそう言う透子ちゃんに、私は頷くことしかできなかった。

 でも透子ちゃんはそれで良かったようで、満足そうな笑みを浮かべて私の頭を撫でた。

 その滑らかな手はとても優しくて、でもどこか寂しげな気がした。


「ほら、着いたわ。そろそろお別れね」


 気が付けばもう森は目の前にあった。

 大きさは普通のものとは変わらない、なんの変哲も無いただの森。

 でも目の前まで来てみれば、確かのこれはいつものあの森だとわかった。


 森の手前で透子ちゃんは足を止めて私の手を放した。

 そして私のことを覗き込むように見て、そのキリッとした顔に優しく笑みを浮かべた。


「私はこの先へは行けないから、後はアリスちゃん一人で」

「透子ちゃんはどこへ行っちゃうの?」

「私はどこにも行かないわ。だっていつでもアリスちゃんと一緒だもの。けれど、次にこうして会えるのは少し先かもね」

「……透子ちゃん。約束、してほしいの」


 私は透子ちゃんの凛とした力強い瞳をまっすぐ見つめた。

 奥底で炎が燃えているかのように、明るく赤みがかって揺らめく瞳は折れることのない芯の強さを感じさせる。

 その瞳をぐっと捉えるように見つめると、透子ちゃんもまた逸らすことなく私を見つめ返してくれた。


「絶対に、私のところに帰ってきて。私、夢の中だけじゃなくて、ちゃんと現実でも透子ちゃんに会いたいから。だから、お願い」

「ええ、約束する。アリスちゃんが私のことをちゃんと見てくれていれば、私は帰り道を見失わないから」


 どうしようもない不安が立ち込めるのを必死で我慢した。

 透子ちゃんは何かと必死に戦って、きっと大きなものを掴み取ろうとしているんだ。

 私を助けてくれた時と同じように、力強く諦めることなく全力で。

 それを私の不安で邪魔しちゃいけない。今はこうして心を交わせるだけでも良いと思うことにしよう。


 私がなんとか納得したのを感じ取ったのか、透子ちゃんは私から目を離すことなく一歩下がった。

 そして少し名残惜しそうに手を伸ばし欠けて、でもやめる。だから私も、必死で手を向けるのを我慢した。

 今私たちにはお互いやらないといけにことがある。今は、それに目を向けないといけない。


「じゃあね、アリスちゃん。私はいつでもあなたと一緒だから。私の心を感じて、放さないで────」


 そんな言葉を柔らかな笑みとともに残して、透子ちゃんの姿は陽炎のように揺らめいて消えた。

 まるではじめからそこにはいなかったかのように、儚く消えてしまった。

 柔らかなそよ風が透子ちゃんの香りを僅かにさらってきて、確かにここにいたことを教えてくれた。

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