45 花畑にて
気が付いたら私はお花畑の真ん中に立っていた。
見渡す限り一面に咲き乱れる花々。青い空の下、心地良いよそ風にゆらゆら揺られている。
色とりどり、選り取り見取りの花に囲まれて、私はポツンと立っていた。
これが夢であることはすぐにわかった。
夢の中で意識を得たり、心の中に落ちる経験はもう何度もしていたから、何となく感覚で理解できた。
それに、こんなのどかでほんわかとした一面お花の光景は、お伽話の中くらいでしかそうそうお目にかかれないだろうし。
それに少し遠くに見慣れた森が確認できたのも、私が夢だと思った一因だった。
遠目だからその大きさは測りにくいけれど、私が何度か訪れた、心の中にあった森に雰囲気が似ているから。
「さて、どうしようかなぁ……」
自分の部屋で氷室さんと穏やかな眠りについたと思ったら、気が付けば夢の中。
いつもは大体誰かに出会ったりするものだけれど、見た所ここにあるのはお花だらけ。
でも遠くにあの森が見えるのなら、あそこに行けば『お姫様』と会えるかもしれない。
そうしたらまた、色々なことを聞けるかもしれない。
お花畑の真ん中で突っ立っていても仕方がないので、とりあえず私は森へ向けて歩くことにした。
色々な花が甘く豊かな香りを振りまいていて、そしてそよ風がそれを柔らかに運んでいる。
よく晴れた空と温かな日差しが心地よくて、こんな中でお昼寝なんかしたら気持ち良さそうだなぁなんて呑気なことを考えてしまう。
「おーい、アリスちゃーん」
一面の花々を愛でながらのほほんと歩いていた時だった。
不意に聞き覚えのある声が私を呼んだ。
背後から飛んでくるその声は、何故だかとても懐かしく思えて、ひどく心がジンと焦がれた。
心が、体全体がその声を求めているかのように震えて、私は慌てて振り返った。
「────透子ちゃん!」
そこにいたのは、透子ちゃん。
初めて会った時と変わらないセーラー服姿で、にっこりと微笑みながら長い艶やかな黒髪を揺らしてこちらに歩いてくる。
私を一番最初に助けてくれた人。私を命がけで守ろうとしてくれた人。そして私のせいで未だ目覚めることのできない人。
透子ちゃんは目を見張るような美人さんの顔を、とても穏やかに綻ばせながら私に顔を向けている。
「透子ちゃん……透子ちゃん……!」
私は我慢できなくて、透子ちゃんの方へと駆けた。
こちらに向かって大手を振っていた透子ちゃんは、私が駆け寄ると大きく腕を広げて迎えてくれて。
私はその胸に勢いよく呼び込んで、力の限り抱きついた。
「透子ちゃんだ。本当に透子ちゃんだ……」
「えぇ私よ、アリスちゃん」
凛とした声が私の名前を呼んで、強く抱きしめ返してくれた。
その頼りになる力強さに、私の心は溶けそうになる。
片時だって忘れたことはなかった。いつものその存在が頭の片隅にあった。
会いたいと、助けたいとずっと思ってた。
「よかった、また会えて。私、ずっと透子ちゃんに会いたかったよ……」
「当たり前でしょ。だって約束したじゃない。それに私はいつだって、ずっとアリスちゃんと一緒」
「うん……」
私の夢の中、心の中でまたこうして出会えたということは、やっぱり透子ちゃんの心は私の中にいたのかもしれない。
そうやっていつも、私の側にいてくれていたのかもしれない。
「歩きましょ。あの森に向かわないと」
一度強くぎゅっと私を抱きしめてから透子ちゃんは言った。
私は頷いて腕を放して、でも透子ちゃんを感じていたくてその手を握った。
透子ちゃんはそんな私を見て優しく微笑むと、ゆっくりとした足取りで歩き始めた。
こうして並んで歩いてみると、透子ちゃんは私よりちょっぴり背が高かった。
脚はすらっも滑らかに長く伸びているし、手先も細やかで綺麗だ。
まるでモデルさんみたいに整っている透子ちゃんは、思わず見惚れてしまうくらいに綺麗だった。
「ねぇ透子ちゃん、聞きたいことがあるんだけど……」
「ん? なぁに?」
私が少し控えめに尋ねると、透子ちゃんは優しげに顔を向けてきた。
透子ちゃんとはゆっくり話す機会が全然なくて、だから聞きたいことは色々あった。
でも、まず聞かなきゃいけないことがある。
「こういうこと聞くの、ちょっと変かもだけど。透子ちゃんはどうしてあの時、私を助けてくれたの?」
とても原点的な質問。そもそも、どうして、何故私を助けてくれたのか。
あそこまでして命がけで私を助ける理由はなんだったのか。
私は、それを聞かなきゃいけないと思った。
「やっぱり、私がお姫様だから?」
「そうね。それもあることは否定できない。けれどね、そんなに難しい話じゃないのよ。私はただ、友達を助けたかっただけなんだから」
「でも……」
「うん。確かに、あの時私たちは
透子ちゃんは穏やかに優しい笑みのまま静かに言った。
そうだ。私たちはあの瞬間が初対面だった。だからその理由は成立しない。
でも、考えられる可能性は────
「もしかして私たち、昔既に会っていたの?」
ハッとして尋ねると、それに対して透子ちゃんはただ笑顔で返してきた。
けれどその答えは明白で、私は申し訳なさで胸がいっぱいになった。
私は以前の記憶を忘れていることで、大切なことを沢山失っている。こんなに悲しいことはない。
「ごめんなさい。私……」
「いいのよ。それはわかっていたことだから。だからこそ私も、あえてあなたには何も言わなかった。混乱させたくなかったし」
かつて私たちは既に出会っていて、友達だったんだ。
だからこそ透子ちゃんは、あそこまでして私を守ろうと戦ってくれたんだ。
私が忘れてしまっていると知っても尚、私のために戦ってくれたんだ。
「私は忘れてしまっていたのに、透子ちゃんはずっとずっと覚えていてくれていたんだね」
「アリスちゃんは大切な友達だもの。何があったて、私はあなたを見捨てたりしないから」
「ありがとう、透子ちゃん……」
その溢れんばかりの想いに胸が熱くなる。
氷室さんや、レオとアリアと同じように、かつての出会いを忘れた私なんかを、そうやって想ってくれていることが嬉しかった。
でもその想いを受ければ受けるほど、透子ちゃんが目を覚ましてくれないことが辛く寂しかった。
「透子ちゃんは、目覚めることはできないの? 今ここに心があるのなら、私が身体に導いてあげることはできないのかな?」
「ありがとうアリスちゃん。でも今は私、やることがあるの。こんな状態だけれど、これだからこそできることがあるから」
透子ちゃんの思わぬ返答に、私はキョトンとしてしまった。
てっきり透子ちゃんは何かの理由で目を覚ませないんだと思っていたけれど、自分の意思でそうしないでいたなんて。
「そう、なんだ。透子ちゃんに会えないのは、寂しいなぁ……」
「私たちは繋がってる。それに、いつでも一緒にいるって言ったでしょ? 寂しがる必要なんてないわ」
「じゃあ、そのすることが終わったら、透子ちゃんはいつでも身体に戻れて目を覚ませるの?」
「そうねぇ。身体は癒してもらったみたいだし、その時が来れば、かな。アリスちゃんが導いてくれれば、きっと戻れるわ」
心に関する魔法は実在するけれど、とても難しいものだと夜子さんは言っていた。
透子ちゃんは今身体から心が離れてしまった状態だけれど、自分の力だけでは身体に戻ることはできないのかもしれない。
透子ちゃんのすることが終わった時は、私の繋がりで導いてあげないといけないんだ。
「私が絶対に透子ちゃんを呼び戻すから。だから、早く帰ってきてね」
「えぇ、頼りにしてる。その時は必ずね」
そう笑顔で言ってくれる透子ちゃんだけれど、急ぐとか早くするとか、そういったことは言ってくれなかった。
一体何が透子ちゃんの足を止めているんだろう。
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