36 蛸

 いつもと同じ全身を覆う黒いドレスに、夜でも差している黒い日傘。漆黒の巻き髪。

 その黒々とした出で立ちは、夜の帳が下りたこの公園の闇に溶け込んでいるようだった。

 少し青く感じられるその白い顔だけが、深い闇の中に浮かんでいるようで、どこか不気味さを覚える。


 クロアさんはその白い顔に穏やかな微笑みを浮かべて、和やかな様子で私たちを見ていた。

 けれどその全身から感じられるのは、ロード・スクルドに対する明確な敵意だった。

 優雅に立ち穏やかな顔をしていつつも、そこには確かに覇気が満ちている。


「お前はレジスタンス……! ワルプルギスの魔女……!」

「あらあら、わたくしめのことをご存知で? 魔法使いの君主ロードに認知して頂けているとは、わたくし光栄ですわ」


 クロアさんに対して驚きと嫌悪感を露わにするロード・スクルド。

 それに受けてクロアさんはニコニコとした笑みを崩さずに答える。

 しかし光栄だなんて思っていないだろうことは明白だった。


「知らないはずがないだろう。お前はワルプルギスの中でも要注意人物の一人。魔法使いに明確に仇を成せる魔女の一人なのだから」

「まぁまぁお恥ずかしい。わたくし、あまり争い事は得意ではないですのに」


 頰にお手を添え、恥ずかしそうに身をくねらせるクロアさん。

 そんなクロアさんをロード・スクルドは碧い瞳で冷ややかに警戒の視線を向けていた。

 クロアさんのその余裕さが、何をしてくるのかさっぱり予想できないからかもしれない。


「クロアさん、どうしてここに……?」

「ご機嫌麗しゅう姫様。わたしくしはいつでも姫様を見守っております。滅多なことがなければ余計な手出しはいたしませんが、この方があなた様に手をかけるというのであれば、流石のわたくしも黙ってはいられませんでしたので」


 クロアさんはスカートを摘んで軽く持ち上げ、私に向けて優雅なお辞儀をした。

 今の今まで緊迫していた空気の中で、それはあまりにも呑気な光景に感じられた。

 クロアさんはそれからまたロード・スクルドの方に向き直って、穏やかながらも鋭い眼差しを向けた。


「ロード・スクルド様。姫様にお手を出されるというのならば、看過致しかねます。ですのでどうか、ここはわたくしに免じてお引き取りを」

「道理がわからないな。お前の言葉に従う理由が私にはない。第一私の目的は姫様を害するのことではない。お前が姫様の身を案じるならば、その身を連れてここから去ればいいだろう」

「わたくしもできることならばそう致したいところではございますが。しかし姫様はご友人の生存を望まれております。であれば、姫様が望む通りにして差し上げたいのです。そのためには、やはりあなた様にお引き取り願うしかございませんねぇ」


 会話は一見穏やかで、お互いの意見を言い合っているだけのように見える。

 クロアさんは穏やかな笑みを浮かべているし、ロード・スクルドも冷静で平坦に対応している。

 けれど二人の間にはどうしようもない敵意がぶつかり合っていて、見えないところでお互い対する嫌悪感が相手を威圧していた。


「話にならないな。そもそも、魔女と話をする意味がないわけだが。お前が何を言おうが、私が何かを譲る道理がない。お前が私の前に立ちはだかるというのなら、私は一人の魔女狩りとしてお前を討とう」

「あらあらそうですか、残念でございます。わたくしはあなた様のためを想って申し上げましたのに。平和裏に、穏便に済ませることができればと思っていたのですが……」


 ロード・スクルドが再び魔力を高めて明確な敵対意識を見せる。

 溢れる冷たい魔力の渦が、白いローブをはためかせ、その碧い瞳に煌びやかに映っていた。


 クロアさんはそれを見て目を伏せて、あからさまに落胆した溜息をついた。

 やれやれと困ったように息を吐いて、どこか拗ねるように眉を寄せた。


「これではわたくし、戦わなくてはなりませんねぇ。わたくし、戦うのはあまり得意ではないのですけれど。まぁ仕方がありませんか……」


 困ったように嘆息したクロアさんだったけれど、そう言った瞬間、口角がニィッと大きくつり上がった。

 黒くて深い闇のような瞳を大きく見開いて、クロアさんは大きな笑みを浮かべる。

 それがなんだが不気味だと感じた、その時だった。

 もう何度も感じた、あの醜悪な気配がクロアさんから噴き出した。


 闇の中に解けるように佇んでいたクロアさんの身体が急に持ち上がったかと思うと、長いスカート中から黒くて太い何かが何本も現れる。

 うねうねと唸るそれがドサリと重量を感じさせながら地に着いて、高い所にあるクロアさんを支えていた。


 それは蛸の足のようだった。

 黒々とした毒のあるような、ドスの効いた紫色の蛸の足。

 それが八本、クロアさんのスカートの中から溢れんばかりに生えていた。

 一本いっぽんが車を締め潰せる程に巨大で、大元のクロアさんの上半身には変わりがないのに、その姿はとても大きな存在に見えた。


 蛸の足は一本いっぽんが生きているように繊細に唸っていて、それだけでも気味が悪く感じてしまう。

 けれどその在り方はどこか次元の違う美しさを思わせて、でもやっぱり直視し難い醜悪さを振りまいていた。


 下半身を蛸の足に変化させたクロアさんは、それでも優雅に日傘をさして、ニンマリと穏やかつおどろおどろしい笑みを浮かべいた。

 これこそが、クロアさんが転臨の力を引き出した姿なんだ。


「あぁお恥ずかしい……!だから戦うのは得意ではないのです。いざ戦うとなってしまえば、私はこうやって昂りを抑えられませんので……!」

「なんだ、その姿は……!」


 ほんの少しだけ赤みのさした白い顔を手で覆いつつ、口元はやはり吊り上っているクロアさん。

 対するロード・スクルドは、クロアさんから放たれる禍々しさと強烈な圧力に目を見開いていた。

 爽やかかつ冷淡なその顔も、転臨した姿を前に不快感を露わにしていた。


「魔法使いでは至ることのできない、魔女にのみ許された境地への過程の姿でございます。これこそが、わたくしどもが魔法使いに遅れを取らない所以でございます」

「なんと醜い。穢らわしい。これが魔女の本性か……!」

「何とでも仰ればよろしい。しかし、魔法を扱うということがどういうことなのか、それが何からいずるものなのか……よくお考えくださいませ」


 忌々しいと吐き捨てるロード・スクルドに、クロアさんはほんの少しだけ苛立ちのようなものを含んだ言葉を浴びせた。

 二人の間で理解し合えない絶対的価値観の違いが交差して、それが戦いの合図となった。

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