35 全てを敵に回しても
「氷室さんから離れて!!!」
公園の上空まで辿り着いた時私が見たのは、氷漬けにされている氷室さんと、その前に立つロード・スクルドだった。
完全に氷つかされ身動きが取れなくなってしまっている氷室さんに、ロード・スクルドが手を伸ばしている瞬間だった。
私は腹の底から力の限り叫ぶと、地面に向けて急降下する。
高所からの急速落下に恐怖を感じる暇なんてなくて、ただ今は氷室さんのことで頭がいっぱいだった。
光を伴って二人の間に割り込むように降り立つ。
突然のことに目を見開くロード・スクルドが反応する前に、大振りで剣を振るった。
しかしそれをロード・スクルドは間一髪で避け、すぐさま跳び退いて私から距離をとった。
「姫殿下! どうしてこちらに」
「氷室さんは私の大切な友達です! 絶対に殺させたりなんかしない!」
綺麗に氷漬けにされてしまっている氷室さんの表情は苦悶に歪んでいた。
否定される苦しみ、虐げられる苦しみ、孤独の苦しみ。
一人寂しく戦った氷室さんの悲しみが、そこには詰まっているように見えた。
「お言葉ですが姫殿下。その魔女に救う価値などありません」
「あなたになくても私にはあります。それだけで十分過ぎます」
私の唐突な登場に僅かながら動揺を見せていたロード・スクルドだけれど、もう既に平静を取り戻していた。
穏やかで落ち着いた様子で、まるで諭すように私に語りかけてくる。
「……しかし、もう生きてはいないでしょう。全身をくまなく凍らされた人間は、普通死ぬ」
「氷室さんはまだ生きてます。だって、その心をまだ感じてるから」
感じる。確かに感じるんだ。氷の奥底で抗っている強い意志を持った心を。
全身を凍らされながらも、氷室さんの心には抗う炎が燃えている。
その炎がまだその心までもを凍てつかせていない。
だから氷室さんはまだ生きている。まだ十分間に合う。
私が『真理の
力なく倒れる氷室さんを受け止めてみれば、氷で冷え切っていつつも、そこには確かに血が巡っている温かさを感じた。
その温もりにとてもホッとして強く抱きしめると、氷室さんがポツリと声を上げた。
「アリス、ちゃん────」
「助けに来たよ。今度は私が、氷室さんを守る番だから」
ぎゅっと一度強く抱きしめてから氷室さんを座らせる。
冷えた身体を少しでも温めるために、私は自分のコートを脱いで氷室さんを包んだ。
そして氷室さんの前に立って『真理の
「姫殿下。あなたは相変わらず滅茶苦茶なお方だ」
自分の魔法をいとも簡単に解除され、殺したと思っていた氷室さんを助け出されたことに驚きを隠しきれないのか、ロード・スクルドは穏やかな顔をやや歪めていた。
「魔女など助けてどうするのです。魔女は生きている限りその死を振りまき、伝播させる。生きている価値などないのですよ」
「魔女がどうこうとか、そんなこと関係ありません。私はただ、大切な友達を守りたい。それだけだから」
「あなたは、魔女の側に付くと仰せですか?」
「どっちに付くとか、そんなもの私にはありません。強いて言うなら、私は友達の味方です」
魔法使いも魔女も、きっとどっちが正しいなんてない。
だからそれを決めつけて、どっちかに加担するつもりはない。
でも私は友達と肩を並べて、同じ目線で物事を見たいから。
友達が抗っているものに、一緒に戦いを挑みたい。
「姫殿下、魔女はダメだ。卑しき魔女に心を許してはなりません。魔女はその存在が既に罪なのです。共にいれば、あなたの身に何があるか……」
「私だって同じようなものです。現にあなたたちは一度、私が魔女になったからと刺客を差し向けてきた」
「それは一部の勝手な輩の仕業です。御身は姫君であらせられる。他とは違う」
「違わない。寧ろこの力の方がよっぽど罪深いじゃないですか。『始まりの魔女』ドルミーレ。あなたなら、知ってますよね?」
ロード・スクルドは苦い顔をした。
私の力の根源はドルミーレ。全ての大元、『始まりの魔女』だ。
魔法使いは魔女を忌み嫌い虐げるのに、『始まりの魔女』が持つ力は欲して、それをこの身に宿す私をお姫様といってもて囃す。
それはあまりにも矛盾している。
「いいんです。今ここであなたとそれを論じるつもりはありません。この問題はきっと、私に口出しできるようなことじゃないから。私はただ、友達を助けに来ただけなので」
「……助けに、ですか。しかし私はその魔女を仕留めなければならないのです。それを阻むおつもりならば、あなたとて容赦はできません」
ロード・スクルドがまとう空気が重く冷たくなった。
目的のためなら手段を選ばない、無慈悲な姿勢がそこにはあった。
重く暗い碧い瞳が、冷徹な視線をこちらに向ける。
「多少は力を扱えるようですが、今のあなたでは私には敵わないでしょう。あまり、おすすめはできませんね」
「そういう問題じゃないですから。敵うとか敵わないとか、それで来たわけじゃないんです。色んなものに拒絶されて、それでも一人で戦ってきた友達の側にいてあげたい。私が戦う理由はそれだけです」
「アリスちゃん……」
振り返ってみれば、氷室さんは不安げに瞳を揺らしていた。
私の方を必死に見上げて、弱々しく肩を落としている。
いつも戦うときはキリッとしていて頼もしい氷室さんが、今は力無くへたり込んでいる。
いつも沢山私を助けてくれる氷室さん。そんな氷室さんを守るのは、私の役目だ。
「氷室さん。私は何があっても氷室さんのために戦うよ。相手がどんなに強くても、到底敵わないとしても、私は絶対に引かない」
にっこりと優しく笑いかける。
少しでも氷室さんの心がほぐれるように。安心できるように。
「氷室さんのことを、例え親兄弟が否定しても、世間が否定しても、世界が否定しても、私だけは絶対に受け止める。何があったって私は氷室さんの味方だよ。何が敵になったって、私は氷室を守るために戦う」
「…………!」
氷室さんはハッと目を見開いてから、眉を寄せて唇を噛んだ。
涙を堪えているかのように歪んだ顔をしてから、それを誤魔化すように俯く。
そして持ち上げた顔には、何か覚悟を決めた力のある表情が浮かべられていた。
「……ありがとう」
「当然だよ、友達だもん」
もう一度にっこりと笑いかけて、私はロード・スクルドに向き直った。
ロード・スクルドはその整った顔を不愉快げに歪めて私たちのことを見ていた。
「いいでしょう姫殿下。あなたがそれを望むのならば、私も手を緩めることは致しません。もちろんあなたのお命はとりませんが、五体満足でいられる保障はできない……!」
急激な圧力が冷気と共に放たれた。
白いローブ姿、黒い髪、碧い瞳。その全てが彼から冷ややかさを感じさせる。
冷徹な視線に強烈な殺気を乗せて、彼自身が持つ凍てつく気配と相まって背筋が凍りそうになる。
それでも負けられないと、私は剣を強く握った。
相手がどんなに強くても、負けるわけにはいかない。
勝てなくてもいい。負けなければ。
この場を生き延びれば私たちの勝ちだ。
今まで感じたことのない強大な力を感じる。
転臨した魔女から感じるあの醜悪な気配とはまたジャンルが違うから、同じ尺度で測れないけれど。
ロード・スクルドから感じるこれは、彼の純粋な強さだとわかる。
膨大な魔力とそれを巧みに操る術を持つ実力者であると、ひしひしと感じられる。
「ロード・スクルド! あなたがどんなに偉くても、あなたがどんなに強くても、あなたが何者であったとしても! 私は友達を傷付ける人は許さない! 氷室さんには、これ以上指一本触れさせない!」
「麗しき救国の姫君よ。あなたは、選択を間違えたと後悔することになるでしょう……!」
ロード・スクルドがまとう魔力が跳ね上がり、反比例するように周囲の温度がガクッと下がる。
彼を中心に冷気と魔力の渦が起きる。視認できるほどの濃度の力がそこにはあった。
放たれるであろう強大な魔法に身構えて、力の限り剣を握って身構える。
一触即発。いつぶつかり始めてもおかしくなかった────そんな時だった。
「あらあら、まぁまぁ。何やら物騒な気配を感じて来てみれば、魔女狩りの
柔らかい口調の中で確かに棘のある声が、暗闇の中から不意に放たれた。
予想だにしていなかった声に、私もロード・スクルドも不意を突かれ、急いで声のする方へ顔を向けた。
そこには、闇に紛れるような静かな佇まいで、クロアさんがにっこりと微笑んでいた。
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