20 謝罪

 しばらくの間、無言の時間が流れた。

 特に向かうあてもなく、お散歩のように二人でとぼとぼと歩みを進める。

 別に気まずさのようなものはなくて、二人で過ごす静かな時間は、ゆったりと穏やかに流れた。


 でも、私にはどこか氷室さんが元気がないように見えた。

 物静かなのも口数が少ないのもいつものこと。

 少し伏し目がちに、俯き気味に長めの前髪で目元を少し隠してしまうのも、いつものこと。


 揺れることのないポーカーフェイスだけを見てみれば、それはいつもと変わらないクールな面持ち。

 でもやっぱりその綺麗なスカイブルーの瞳を見てみれば、普段とはどこか違う暗さを感じた。


 何か言葉をかけた方がいいかと思ったけれど、私は氷室さんのタイミングを待つことにした。

 何か言いたいことや話したいことがあるから会いに来てくれたわけだし。

 あまり急かすようなことはせずに、言えるようになったらゆっくりと聞いてあげればいい。


「あの、花園さん……」


 気がつけば駅前の方までやって来ていて、更にはそれを通り越して賑わいから外れてきた頃、氷室さんはポツリと口を開いた。

 ひんやりとする私よりも少し小さい手にぐっと力を込めて、細い指で私の手にしがみついている。

 ほんの少しだけ低い目線から、憂いをまとった瞳が見上げてきた。


「私……その…………」


 どこか怯えるように瞳を揺らす氷室さん。

 私はできる限り優しい顔をして、ゆっくりと次の言葉を待った。

 決して急かすようにならないように、落ち着いて話せるように柔らかく手を握り返した。


「花園さん。私……ごめんなさい……」

「え?」


 淡々とした口調から、しかしどこか震えるような弱々しい言葉が飛び出してきて、私は思わず目を見開いてしまった。

 氷室さんは私の手をぎゅっと握りながらまた少し俯いて、そんな切実そうな謝罪を口にした。

 でもそれを受けた私はどうして謝られているのか全くわからず、キョトンとしてしまった。


 氷室さんに謝まられるようなことは何もされていない。

 むしろいつも助けてもらってばかりで、心配や迷惑をかけてばかりで私の方が謝らなきゃいけないくらいだ。


「どうして、氷室さんが謝るの? 氷室さん、何にも悪いことなんてしてないよ?」

「……私は、彼女を傷つけてしまった、から」


 優しく丁寧に尋ねてみると、氷室さんは控えめに唇を噛んで悔やむように言った。

 そのが誰のことを示しているのかはすぐにわかった。

 そしてその言葉の意味がどういうことなのかも。


 昨日氷室さんと晴香は揉めた。

 揉めたというよりはすれ違いというか、意見の食い違いというか。

 それでも二人の間にわだかまりが生まれたのは事実で、それは解決することなく晴香の死と共にうやむやになってしまった。

 氷室さんはそのことを気にしているんだ。


「それは……でも、氷室さんが気にするようなことじゃないよ」

「けれど……」


 氷室さんが晴香と交わした、一緒に私を守るという約束。

 けれどその立場と思いの形は異なって、その気持ちはすれ違ってしまった。

 でもそれはどちらが悪いというものでもないと思うんだけれど。


「雨宮さんは、私にあなたを守って欲しいと、言っていた。自分があなたの元を去ることになった時、その後を頼むと」

「うん」

「あなたを守りたいのは、私も同じ。けれど雨宮さんが思っている通りのことは、きっとできないから。私は、偽りの約束で彼女を騙すことは、できなかった……」


 わかったと言うのは簡単だったはずだ。晴香の意に沿うことができなくても、口だけで了承することは簡単だったはずだ。

 でも氷室さんはそれをしなかった。できないことはできないと、正直に答えたんだ。

 それで晴香が納得しないとわかっていても、それでも騙すようなことはしなかった。


「私たちは以前、花園さんを影ながら見守ることを、約束し合った。そして、いずれ雨宮さんに限界が来た時は、その後は私が守ると。けれど、今は状況が変わってしまって、花園さんをただ守って、あらゆる危険から遠ざけることは、できなくなった。それに、花園さん自身の気持ちや覚悟もある。だから、私は……」

「うん、わかってる。きっと晴香も、わかってたはずだよ……」


 今私を取り巻いている状況では、私を危険から完全に遠ざけるのはとても難しい。

 それに私自身が戦う道を決意しているから、氷室さんはその気持ちを尊重してくれているんだ。

 やろうと思えば、可能な限り私を戦いの場から遠ざける方法もあるかもしれない。

 でも私自身が立ち向かう道を選んだから、氷室さんもまたそれについてきてくれる。

 だから氷室さんは何も悪くないんだ。


「氷室さん。晴香のこと、考えくれてありがとう」


 私は氷室さんの顔をまっすぐに見て言った。

 氷室さんは依然俯き気味ではあったけれど、サラサラの前髪の隙間から控えめに私を見上げていた。


「確かにあの時の晴香は取り乱してたし、氷室さんが気にするのも無理ないよね。でも、晴香もわかってたはずなんだ。晴香は優しいから、必死に私を守ろうとしてくれた。だからあんなムキになっちゃっていただけでさ」

「…………」

「晴香だってきっと、私の気持ちと覚悟を尊重してくれると思う。だから同じように私に寄り添ってくれている氷室さんのことを、悪くなんて思ってないよ」


 繋いだ手をぎゅっと握って、私は氷室さんに笑いかけた。

 不安に揺れる氷室さんの瞳が弱々しく私を見ている。


 確かに氷室さんにしてみれば後味が悪いにもほどがある。

 あの言い争いの後、夜子さんたちと戦いになって、その後晴香は死んでしまったんだから。

 仲直りをすることもできず、誤解を解くこともわかり合うこともできずに終わってしまったんだから。


 そして晴香を傷付けたことで、私にも負い目を感じていたんだ。

 最後の最後で晴香に暗い気持ちを落としてしまったと。

 幼馴染で親友である私にも、晴香に対してのものと同じように。


「……雨宮さんとの約束を守れない私に、この先も花園さんを守る資格が、あるのか。それが、不安になってしまって……」

「資格なんていらないよ。私は氷室さんに一緒にいて欲しい。守って欲しい、支えて欲しい、力を貸して欲しいって思ってるよ。もちろん、氷室さんがそれを望んでくれればだけれど」

「それは、もちろん。だって私は……」

「だったら大丈夫だよ。氷室さんが私と一緒にいてくれることを、晴香も絶対悪く思ったりなんかしない。それは私が保証するよ」


 だって私の胸の中には全くざわついていない。

 もし本当に晴香が氷室さんのことをよく思っていなかったら、私の中にいる晴香の心は揺らいでいるだろうから。


 これは私のエゴかもしれない。

 ただ私がそう思いたいだけなのかもしれない。

 でも、氷室さんにそれで思い悩んで欲しくなかった。


「私はこれからも、花園さんといて、良い……?」

「当たり前でしょ。だって私、氷室さんのこと大好きだもん。嫌だって言われても、私が氷室さんから離れないよ」


 少しおどけて見せて笑顔を向けると、氷室さんはそのポーカーフェイスをほんの少し恥ずかしそうに緩めた。

 でも照れてしまったのかすぐに俯いてしまった。

 それでも少しだけ緩んだ口元が見えて、喜んでくれているのがわかった。


「ありが、とう。私も…………」

「うん。ありがと」


 親愛を込めてきゅっと軽く抱きしめると、氷室さんの体がパッと強張った。

 でもすぐにその力は抜けて、私に委ねるように体を傾けてきた。


 少しわかりにくくはあるけれど、ここ数日ずっと一緒にいる私には、氷室さんがとっても優しくてひたむきな子だってわかってる。

 その控え目ながらもまっすぐな気持ちが嬉しくて、それを伝えるように私は腕に力を込めた。


 でもそんな中、あの時の晴香の言葉が頭をよぎった。


 ────氷室さんは……あんまり信じない方が、いい……かも…………今の氷室さんはなんだか────


 あれは、どういう意味だったんだろう。

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