16 絡みつく執着

 少ししてから私たちはお店を後にした。

 紅茶もケーキも美味しかったけれど、していた会話が会話だけに思うようには味わえなかった。

 なかなか気軽に来られるような所ではないけれど、折を見て氷室さんとでもまた来てみたいな。


 必死で断ったんだけれどクロアさんの頑なさに押し切られ、支払いを任せてしまった。

 高校生で懐事情は厳しいとはいえ、自分の分くらいは払えたんだけれど。

 こういう時は大人に甘えるものです、とにっこり微笑みながらも強く主張されては何も言い返せなかった。


 クロアさんが普通にお会計をしている姿は、なかなか異質な気がした。

 けれどそもそもを言えば、こっちのお金を普通に持っていることが自体が違和感満載だった。

 そういえばホテルに泊まっていたし、どうやって生計を立てているんだろう。


「ご自宅までお送り致しましょう」


 お店を出ると、クロアさんは穏やかに微笑みながら私の手を取って言った。

 流石にそこまでは、申し訳ないというよりは抵抗があった。

 家の場所は割れているとはいえ、だからといって家まで来られるのは嫌だった。


「まだ昼間だし、一人で帰れます」

「そう仰らず。わたくしがもう少し姫様とご一緒したいのです」


 黒い日傘の中に私を連れ込んで、クロアさんは柔らかな口調で言った。

 丁寧で穏やかで柔らかくも、クロアさんの言葉には力強さがある。

 押し付けるようではないけれど、強く主張する力があった。


 けれどその表情は少し心配そうに、どこか怯えるようでもある。

 受け入れてもらえるかどうか、拒絶されないかと不安を帯びているような弱々しい顔だった。

 基本は落ち着いて穏やかなクロアさんだけれど、たまにこういった甘えるような顔を見せてくる。

 思えばお茶に誘われた時もそうだった。


「……わかりました。じゃあお言葉に甘えます」

「まぁまぁ! わたくし嬉しゅうございます……!」


 柔らかさに押し切られて、私は渋々それを受け入れてしまった。

 不安げに媚びる表情を一身に向けられては、目をそらすのも難しかった。

 私が頷くと、クロアさんはまるで子供のように表情をパッと明るくさせるんだから困ってしまう。

 そんなに純粋な顔で喜ばれてもなぁ。


 クロアさんはうきうきを隠しきれない様子で私の手を握り直した。

 その細い指を絡めてきて、さながら恋人同士のように固く手を繋いでくる。

 少しひんやりとしつつも大人の女性の嫋やかさを感じさせるそれに、優しくもしっかりと手を取られる。

 ぴったりと身を寄せて歩きだす様はなんだか少し可愛らしくて、そこだけ切り取ればまぁ悪い気はしなかった。


「姫様はまだ決めあぐねていらっしゃるのですね?」


 しばらく無言で歩みを進めてから、クロアさんがポツリと言った。

 え?と顔を向けると、クロアさんは口元を柔らかく緩めて私を見た。


「これからのご自身の身の振り方について、でございます。全ての者にとって等しく姫君であらせられる御身は、魔法使いか魔女か、どちらに付くべきか悩んでおられるのでは……?」

「うーん、どうでしょう……」


 意地悪ではぐらかしたわけではなく、私自身はっきりとしていない問題だった。

 だから私は中途半端な煮え切らない言葉しか出せなかった。


「私が望むのは、今までと変わらない日常です。だからきっと、どちらについてもその望みは叶わない。でも……」

「いずれにしても、変わらぬことが難しいことはわかっていらっしゃる、と」

「まぁ、そうですね……」


 私はただ、今までと変わりない穏やかな日々を過ごしたいだけだ。

 普通に学校に通って勉強して、友達とたわいもない話をして。そんな普通の生活を送りたいだけ。


 でも私を取り巻くこの状況は大きすぎて、何も変わらないなんてできないんだってわかる。

 現に晴香を失ってしまって、そしてその存在の痕跡すらなくなってしまったこの世界は、もうどうしようもなく変わってしまっているんだから。


「私はこの世界を、この街を離れるつもりはありません。家族や友達がいるここから、離れたくはないんです。でも、魔法使いにしたって魔女にしたって、そういうわけにはいかないですよね?」

「それは、そうでございますね。姫様はあちらの世界に必要なお方。いずれにしてもお連れせねばならないでしょう」


 私の気持ちを憂うかのようにクロアさんは目を細めた。


「……しかしわたくしは、姫様の思うがままがよろしいと思いますよ」

「え?」


 私の耳元に口を近づけたクロアさんは、蕩けるような甘い声でそう言った。

 柔らかく温かな吐息と交わって、私の体をピリピリと駆け抜けた。


「他人が何を言おうと、姫様は姫様のものでございます。ワルプルギスが望むものも、魔法使いが望むものも、姫様が気にされる必要などないのです」

「で、でも、クロアさんは私にそっちに来て欲しいんじゃ……」

「わたくし個人と致しましては、それそのものに強い拘りはございません」


 足を止め、クロアさんは間近で私の目を深く見つめてきた。

 闇のように深い瞳が、私を飲み込むようにじっくりと目を向けてくる。

 その表情は甘く穏やかで、包み込むような柔らかさで満たされていた。


「わたくしは姫様の御心こそを第一に思っております。そのご意志がいずれの思惑にも反するものであるというのなら、それはそれで構わないかと」

「でも、どうして……」

「わたくしは姫様を我が子のように慈しんでおります。子の思うままにさせてやりたいと思うのが、親心というものでございましょう?」


 いや、私たちそこまで年離れてないと思うけれど。

 でもクロアさんの包容力は確かに母親のそれのようではある。

 けれど、どうしてそこまで個人的に想われているのか……。


「今でも忘れません。かつての姫様の純真無垢なその御心と、天からの使いの如き穢れのない笑みを。あなた様に慈しみを感じないことなど、わたくしにはできませんでした」


 うっとりと何かを思い出すように頰を綻ばせるクロアさん。

 それはまるで、我が子の幼き日を微笑ましく語る人の親のようだった。

 もしかしてクロアさんもまた、かつての私のことを直接知っているのかもしれない。


「ですから、姫様。レイさんの思惑、ワルプルギスの思惑に従う必要はないのです。意に反するのであれば抵抗すればよろしい。場合によっては魔法使いと手を組むのもよろしい。好きになさるのです」

「は、はぁ……」


 それはクロアさんが言っていいことなのかと思いつつ、私はとりあえず頷いた。

 でもそんなことを言うクロアさんからは、ワルプルギスの魔女というよりは一個人の意思を感じた。

 ワルプルギスは一枚岩ではないみたいだけれど、こういうところでも考え方の違いがあるのかもしれない。


「大丈夫、わたくしがついております。わたくしはいつだって姫様の味方でございますよ」


 にっこりと微笑むその顔は、しかし別の甘い何かを孕んでいるような気がした。

 私に向ける優しさの中に、何か別の感情を隠しているような感覚。

 私の手を強く握るその手の指は、まるで蛸に締められているかのように絡みついていて、なんだかそこからは個人的な執着のようなものを感じた。

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