4 心とは

「少しマシな顔になったね」


 夜子さんは私の顔を覗き込んでニンマリと笑った。

 その覗き込み方があまりにも近くて、私は少し驚いて目を見開いた。


「アリスちゃん。君はもっと心の在り方について知っておいた方がいい。それが君自身の本質を理解するのにも重要だしね」

「心の在り方?」

「そうとも。さっきも言ったけれど、心とは形があり実在するものなんだよ。これは向こうの世界の、というよりは魔法的な考え方ではあるけれど。心を繋げる力を持つアリスちゃんには重要なことだよ」


 夜子さんはそう言うと私の肩から手を放して、寄せていた体を少し離した。

 横に座ったまま私の方に体を向けて、緩い表情をする。


「あの、夜子さん。その心を繋げる力っていうのは何なんですか? 何度か色んなところで聞いた覚えはあるんですけど……」


 前に過去の『お姫様』であるあの子や、それに氷の精のようなあの光も、私にそう言ってきた気がする。

 それに氷室さんも言っていた。繋がる心が私の力になるって。


「アリスちゃん自身の、アリスちゃん独自の力だよ。君の中に眠る『始まりの力』を持ってして、かつてアリスちゃん自身が作り出した君だけの力さ」

「『始まりの力』……?」


 小難しい言葉が次々と並べられて私は首を傾げた。

 その中でも聞き覚えのないワードを口にすると、夜子さんはクスリと微笑んだ。


「いわゆる、お姫様の力と呼ばれるものの根源のことさ。魔法使いたちはそれを『始まりの力』と呼ぶ」


 根源という言葉を聞いて、私はドルミーレを思い出した。

 私の心の中の更に奥深くに眠る魔女。

 確か彼女は自身を、私の持つ力の根源、力そのものだと言っていた。

 つまり魔法使いが『始まりの力』と呼ぶものは、ドルミーレのことを指しているんだ。


「アリスちゃんを姫君たらしめているのは『始まりの力』だ。それを持っているが故に、アリスちゃんはかつて姫君に祭り上げられた。しかし当時のアリスちゃんもその力を全て使えたわけじゃない。そこからいずる一部の力と、それをベースに自身の性質で一新した力を使っていた。それこそが、アリスちゃんをアリスちゃんたらしめる、心を繋げる力だよ」


 かつての『お姫様』も、その全ての力を使えていたわけではなかった。

 確かにドルミーレもそんなことを言っていた気がする。

 まずは当時の記憶と力を取り戻さないことには、根源であるドルミーレには手が届かないとかなんとか。

 それはつまり、『お姫様』の時点が全てじゃないということだ。


「私が使える、『庇護と奉仕の力』のことでしょうか?」

「まぁそうだね。それはそこから生まれた力だよ」


 私が信頼する魔女に力を与え、また力を貸してもらう力。

 これもまた心を繋げることに関連することだったはず。


「信頼という心の繋がりをパスにする力だからね。それは魔女と繋がる力のことだけれど、アリスちゃんはそもそも魔女に限らず他人と心を繋げることができるのさ」


 既に知っている情報と照らし合わせると、少し理解が進んだ気がした。

 今まで無意識に使ってきた『庇護と奉仕の力』だけれど、それが心を繋げることで生まれるものだと言われると少しイメージがしやすかった。

 信頼する友達と心を通じ合わせることで、私は力を貸し借りできていたんだ。


「『庇護と奉仕の力』は力の受け渡しをするものだけれど、本来の心を繋げるという行為は、繋がるということに重きを置いた力なんだよ」

「…………?」

「繋がっているということが重要ってことだよ。まぁ具体的にいうと、アリスちゃんは心の繋がりを元に他者の心を自身に宿すことができるのさ。私が今言いたいのはこれさ」

「晴香の心が私の中にあるっていうのは、その力があるから……?」

「ま、そういうことだね」


 まだイマイチ理解しきれていなくて、私なキョトンと夜子さんを見上げた。

 そんな私をニヤニヤと見下ろす夜子さんは、大きな動作で脚を組んだ。


「心とはその人間そのものであり、まぁこれは魂と同義だとされている。つまりその人間を形作る核だね。それは本来一つの身体に一つだけあるものだけれど、それを繋がりを元に手繰り寄せ、ひき入れることができるのがアリスちゃんの力だよ」

「じゃあ、晴香の心が私の中にあるっていうことは、晴香の魂があるのと同じってことですか?」

「そうだね。だから実際問題として、晴香ちゃんは今アリスちゃんの中にいるのさ」


 晴香の心が、魂が私の中にいる。

 今私の中には晴香自身がいてくれているんだ。

 ずっと一緒だと、私の心に寄り添ってくれると約束した。

 その通り晴香は、私と一緒にいてくれているんだ。


「でも、じゃあ。晴香の心が実在するものとして私の中にあるのなら、もしかしてそこから解放することで、今からでも晴香を助けることができたりするんですか?」

「残念ながらそれとこれは話が別だね。現存する魔法に死者を蘇らせるものは存在しないよ。肉体との繋がりを断ち切られた時点で、本来は現世との繋がりも断ち切れる。そうしたら通常、心は無へと昇華してしまうものだからね。心だけで存在し続けることも、まぁできなくはないけれど」

「え、できるんですか……!?」

「まぁ理論的にはね」


 とても軽く言ってのけた夜子さんに、私は思わず大きなリアクションをしてしまった。

 それはつまり幽霊みたいな状態になれるってことなのかな。


「心に干渉する魔法というのは実在する。まぁ相当高度な魔法だから、あくまで理論上可能という話だけれど。だから例えば、生きている状態で心だけ肉体を離れるとか、他者と心を入れ替えるとか、死後心だけ現世に留まるとか、そういったことは不可能じゃない。形あるものとして実在する以上、干渉はできるのさ」

「でもそれなら、蘇ることもできそうなものですけど……」

「それはことわりの問題、かな。あらゆる物事にはルールがあり法則がある。死後再び生を取り戻すのはそのルールに反する行為だ。残留はともかく逆行はね」

「そう、ですか……」


 でも確かに、色んなお伽話やファンタジーの物語でも、死者の蘇りはあってはならないということが多い。

 人は大切な人が戻ってくることを望むけれど、でもそれはあってはならないことだというのが現実だと。

 生と死というのは、それほどまでに明確に区分けされているものなんだ。


「話を戻すけれど、アリスちゃんの心を繋げる力は、本来高度である、心に干渉する魔法の類いのものなんだよ。死した者の心を宿したり、繋がることで干渉し合うというのは普通はできることじゃない」

「そんなこと、どうして私が……」

「『始まりの力』という強大な力と、アリスちゃんの友達を想う優しい心が故だろうね」


 夜子さんの話は難しすぎて、全てを理解できていないと思う。

 でも私には友達と繋がる力があって、そしてその力によって晴香が私の中にいてくれている。

 それがわかっただけでとても心強く感じた。


「他者の心を宿したり、それと繋がることはアリスちゃんを支えることになるだろうし、それ自体が力になる。それはアリスちゃん自身もなんとなくは感じているだろうけれど、でもいいことばかりじゃないよ」

「どういうことですか?」

「自分以外の心を抱くということは、その分重みが増すということだ。それに他人の心と繋がり干渉し合うということは、強さだけでなく弱さも伝播する。他人の心と関わるということは、他人の心に責任を持つことになるんだよ」


 それは確かにそうだ。支えてもらったり力を貸してもらうだけなんて、そんな都合のいい話はない。

 それにそんな一方的なものは友達と言えないと思う。

 力を貸してもらうと言うことは、反対に自分も力を貸すということ。

 そして良い時だけではなくて、悪い時も共にするということ。


「だからね、アリスちゃん。君は友達と心を繋ぎ、そしてそれを抱ける分、そこに責任を持たないといけないのさ。君の人生はもう既に、君だけのものじゃない」

「私に心を託した晴香の分も、私は生きている……」

「そう、その通りさ。アリスちゃんが真に晴香ちゃんのことを想うならば、それを忘れてはいけないよ」


 晴香は私の中で私に寄り添って一緒に生きてくれている。

 ならば私は余計くよくよなんてしていられない。

 晴香はそんなことは望んでいないだろうし、晴香は私の未来のために全てを賭してくれたんだから。

 だから今は、この胸に晴香の気持ちを抱いて、強く前に進んでいかないといけないんだ。


「それに私の見立てでは、アリスちゃんはもう一人別の心を宿しているようだしね」

「え……?」


 夜子さんは見透かすような瞳で私の目の奥を見つめてきた。

 その眼差しが何だか突き刺すようで、私は目をそらすことができなかった。


 私の中に宿る誰かの心。晴香以外にそんなことが思い当たるとすれば……。


「もしかして、透子とうこちゃん……?」


 長い眠りについて未だ目を覚まさない透子ちゃん。

 一度カルマちゃんに夢の中に引きずり込まれた時、助けに来てくれたけれど。

 もしかしたらあれは、私の心の中にいたからできたことなのかな?

 何か自分の身体に帰れない理由があって、その代わりに私の中にいるから目を覚まさないのかな。


「さあどうだろう。私にそこまではわからないけれどね。ただ友達の心と繋がっているのとは別に、アリスちゃんに宿る心が二つもある。それはアリスちゃんの助けになるだろうし、同時に生き抜いてその想いを繋いでいく責任でもある。それは確かなことだよ」

「……はい」


 自分自身のこともままならない私が、人の分も背負っていけるのか不安がないと言えば嘘になる。

 他人の心を抱えたり、他人の心と繋がることで影響し合うということへの責任を、ちゃんと負うことができるのかって。


 でもそれはきっと気負うようなことじゃないんだ。

 みんなが私を想ってくれるのと同じように、私も大好きな友達のことを大切にしていけば、きっとそれが友達の助けになるはずだから。


 私はまだまだ未熟だけれど、それでも私を信じてくれる友達がいる。大切な心を託してくれる友達がいる。

 その気持ちを真っ直ぐに受け止めて、私は迷わず前に進んで行こう。

 そうすれば、繋がる心や宿った心は私の大きな力になるはずだから。

 そしてその繋がりを大切にすることで、きっと私も友達の力になれる時が来るはずだから。


「心とは気持ちが移ろうものであると同時に、その人間をそうたらしめるものだ。それと繋がり、また抱くということが何を意味するのか、考えてみたらどうかな。そうすれば自ずとこれからの道筋も見えてくるはずだよ」

「……はい。私が友達にできること、友達とできることがなんなのか。晴香と、みんなと一緒に進むべき道を絶対見つけます」


 繋がる心の存在に少し覚悟を持てた私を見て、夜子さんは満足そうに頷いた。

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