2 最後の力で
創のそのキョトンとした表情から、それが嘘ではないことはすぐにわかった。
信じられないけれど、でもそれまでの創の言動から、心の片隅では予測できていたこと。
創は晴香のことを全く覚えていなかった。いや全く知らなかった。
どんなに聞き出しても創の記憶の中に晴香の存在は全くなかった。
私の家の隣に住む雨宮さんちには、自分たちと同い年の女の子なんていなかった。そもそも子供なんていなかった。
創は首を傾げながらそう言うので、私はパニックになりそうだった。
だってそんなわけないんだ。
確かに晴香はいた。ずっと私たちと一緒にいたんだ。
私たちは三人で幼馴染で、ずっとずっと一緒に過ごしてきた。
昨日の出来事だって確かにあった現実で、晴香がいなかったなんてことはあり得ない。
でも創は晴香のことなんて全く知らないし、まるではじめからこの世に存在していなかったかのようだった。
一体どうしてそんなことになっているのかわからなくて、でも必死に取り乱さないよう心の中で歯を食いしばった。
私の大切な晴香のことを、他でもない創が知らないなんて。
その現実がとても耐えられなくて、私は学校を休むと告げて創だけを行かせた。
突然の私の変わりように創は戸惑っていたけれど、私の様子を見て深く言及せず、けれど心配そうな顔をしながら一人で出掛けて行った。
創が出て行った玄関を眺めて、私はその場にへなへなと崩れてしまった。
一体何がどうなったらそうなるんだろう。
今ここに晴香はいない。でも、確かに存在していたはずなのに。どうしていなかったことになっているの?
でも考えてみればおかしいことは既にあった。
昨日私は自分のことで精一杯で気にできていなかったけれど。
普通であれば、昨日の夜の時点で晴香の両親から連絡があってもおかしくなかったんだ。
一人娘がいつまで経っても帰って来なければ、私や創に確認しにきたり、場合によっては警察にいったりと騒ぎになっていたはず。
なのに何もなかった。何事もなかった。
晴香が帰って来ないことを心配する人は誰もいなかった。その時点でおかしかったんだ。
それはつまり創の言う通り、晴香ははじめからいないことになっているという裏付けになる。
創の記憶だけが何かの原因でおかしくなっていたり、創のタチの悪いいたずらという線は消える。
どうしてこんなことになっているんだろう。
晴香は死んでしまっただけではなく、周りの人たちからも忘れられてしまっている。はじめからいなかったことになっている。
どうしてこんな酷いことになってるんだろう。
この普通じゃない事態を誰に相談すれば良いのかと考えて、すぐに夜子さんの顔が浮かんだ。
今すぐ聞きに行こうと立ち上がって、でも靴を履いてドアノブを握っところでハッとした。
昨日私のわがままであれだけ迷惑をかけたんだ。夜子さんはそれを謝るなと言ったし、私もそれには納得した。
けれど夜子さんに迷惑をかけたのは事実で、その直後に困ったからと頼るのは虫が良すぎるかもしれない。
でも、今はそんなことを言っている場合じゃない。
私の大切な親友がどうしてなかったことにされているのか、それを私は知らないといけない。
例え叱責を受けようとも、私はそれを甘んじて受け入れてその知恵を貸してもらわないと。
そう腹を決めて家を飛び出した。
セーラー服を着たままスクールバッグを持ったまま、恥も外聞も捨てて全速力で駆けた。
夜子さんが居を構えている廃ビルは街の外れだけれど、足で行けない距離じゃない。
無造作に下ろしていた髪がうざったく舞うのも構わず、私は走った。
息が切れるのも汗が吹き出るのも構わず、一刻も早く今起きていることが何なのか知りたくて。
廃ビルに着く頃には、息が止まるかと思うほどに呼吸は荒くなっていて、全身から吹き出す汗で服はびしゃびしゃだった。
コートを着ずに出てきたというのに、全く寒さを感じないほどに全身に熱を持っている。
一瞬結界で弾かれるんじゃないかと不安になったけれど、難なく敷地内に入ることができてホッと胸を撫で下ろした。
走っている間に少しだけ冷静になった私は、階段を登る前に少し休んで息を整え、それから万を持していつも夜子さんがいる四階へと登った。
「やあアリスちゃん、昨日はよく眠れたかな? 今日は髪を結んでいないようだけれど、それもなかなか可愛いじゃないか」
ボロボロのソファーに寝そべっていた夜子さんは、私の姿を見るとひょいと身体を起き上がらせて、いつもの平然とした口調で出迎えた。
こっちの調子が狂うほどにいつも通りの飄々とした姿だった。
「君は確か花の女子高生だったと思うけれど、今日は学校じゃないのかい? もしかしてサボりかな?」
「よ、夜子さん、あの……」
夜子さんは私のことをまじまじと見つめてニヤついた。
夜子さんに曜日感覚があったんだ、というくだらないことに少し驚きつつ、私は背筋を伸ばして夜子さんをまっすぐに見た。
「夜子さん。昨日は、ありがとうございました」
急く気持ちはあったけれど、まずは人としてしなければならない挨拶がある。私の身勝手な聞きたい話はその後だ。
夜子さんには謝るなと言われた。正しいと思ったことを貫き、それを信じてくれた人がいて、またそれと正面から対立してくれた人がいる。
だから自分のしたことに責任を持つなら、謝ってはいけないと。
だから私は感謝を口にした。
夜子さんが晴香のためを思ってしてくれたこと。
私のわがままに正面からぶつかってくれたこと。
そして失敗に失敗を重ねた後、手を貸してくれたこと。
それはきちんと感謝を伝えなきゃいけないことだから。
夜子さんはのらりくらりとしていて何を考えているのかわからない。
親切な時もあるし、だと思ったらぴしゃりと放る時もある。
昨日のように、意見が対立すれば惜しげもなくぶつかってくる。
味方とも敵とも言えない、利害が反さない時だけ力を貸してくれる人。
それでも私たちのことを思ってしてくれたことに変わりはなくて、それに対しては感謝するべきだから。
「気にしなくていいさ。子供のわがままを聞いてやるのが大人の仕事だからね」
夜子さんは全く気にしていない風にケロッとそう言った。
昨日対立したことも、実際に矛を向けたことも、その後起こったことも。
全部済んだことだからと平然としていた。
その切り替えの良さに、ちょっぴり救われた気がした。
「それで、本題は何かな? まさか私にお礼を言うためだけに、学校をサボってここに来たってわけじゃないだろう」
「……あの、はい」
夜子さんは何でもお見通しだと言う風にニヤリと微笑んだ。
そんな彼女に私は途切れ途切れに頷いた。
「晴香のことを覚えている人がいないんです。あの、全員に確認したわけじゃないんですけど、でも同じ幼馴染や晴香の両親は、少なくとも晴香のことをはじめからいなかったみたいに……。私、何が何だかわからなくて」
「あぁ、そういうことか……」
うまく言葉をまとめられず要領を得ない私の言葉を聞いて、夜子さんは少し視線を下げた。
その反応から、夜子さんは晴香のことを覚えているんだとホッとした。
そしてその表情は何かを知っていると告げていて、私は生唾を飲み込んで夜子さんをまじまじと見た。
「アリスちゃんの見解は間違っていないよ。今この世界に晴香ちゃんの存在を知る人間はいないだろう。基本的にはね」
「どうして……どういうことですか?」
「そういう魔法が使われたのさ。晴香ちゃんに関わってきた人間から彼女に関する記憶を消し、この世から痕跡を消す魔法がね」
「一体、誰がそんなことを……」
もちろんこんな滅茶苦茶なこと、魔法によるものであることは明白だった。
だから問題は、誰がなんのためにこんなことをしたのかだった。
死んでしまった晴香に追い打ちをかけるように、その生きた痕跡を消すなんて。
それじゃあ誰も晴香のことを想うことができない。誰にも思い出してもらえなかったら、晴香は本当に消えて無くなってしまう。
「……他でもない晴香ちゃん自身さ。彼女は死の淵で最後の力を振り絞り、この世界に自分が生きた痕跡を抹消する魔法を使ったんだ」
少しトーンを落とした声で言った夜子さんの言葉が、私の胸に深く突き刺さった。
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