2 ホーリーの想い

「なに、それは……!」


 シオンは驚きを隠せず、目を見開いた。

 全身にヒシヒシと伝わってくる、醜悪で邪悪な魔力に鳥肌が立つ。

 隣にいるネネもその圧倒的な力に充てられ、額に汗を滲ませていた。


 レイの頭から生えるそれは、紛うことない本物だった。

 その姿は単に仮装をしているようには見えない。

 それは確かにレイの体の一部として存在していた。

 しかしその姿は、その部分からは人の元は思えぬ混沌とした気配が発せられている。


に近付いた姿と言えば、ロード・ホーリーの部下である君たちは少しくらいわかるんじゃないのかな?」

「本来の魔女……まさか、そんな馬鹿な!」


 黒づくめの姿に雪のような白い頭部を携えて、レイは余裕の面持ちで微笑む。

 対してシオンは、その言葉に目を見開いた。

 そう。彼女たちは知っている。魔女とは何なのか。そして魔法使いとは何なのかを。

 それを知っていれば、レイの言う『本来の魔女』という言葉の意味も想像がついた。


「そんなことできるはずがない。だって本来の魔女と言ったら────」

「そのための『魔女ウィルス』だと言ったら?」

「────!?」


 戸惑う二人をレイは楽しそうに眺めた。

 魔法使いにとって『魔女ウィルス』の存在と理念は長年の謎であり、その実態のほとんどを知らない。

 魔女と魔法使いのルーツを知っている二人も、『魔女ウィルス』が何たるかは知らなかった。


「さて、これでわかっただろう? 僕は行かせてもらうよ」

「ま、待ちなさいよ!」


 白い髪をはためかせ、微笑みを残したままそう言ったレイに、ネネは辛うじて制止の声を上げた。

 そんな彼女にレイは意外そうな目を向ける。


「へぇ、君も一端の魔法使いなら僕との力量差がわかると思うけどね」

「う、うっさい! 結局は魔女じゃん! 私たちが負けるわけないでしょ」


 レイの実力が普通の魔女の範疇を超えることは、五年前の経験からわかっていた。

 だからこそ二人は任務をことごとく邪魔されたのだから。

 そして今、その時以上の圧倒的な力を感じる。

 しかしレイが鍵を持っている以上、引き下がるわけにもいかなかった。


「アタシたちは魔女狩りの中でもトップ。アンタなんかに、負けないよ」

「まったく、仕方ないなぁ」


 ネネが力強くレイを睨んで言った。

 そんな彼女を見て、レイは溜息をつく。

 そして次の瞬間、レイの姿はネネの眼前にあった。


「仲良くいこうよ。これは、親愛の印さ」


 予備動作のない移動に二人は全く反応できなかった。

 レイと二人の間には一定の距離があり、それを一瞬で詰めるスピードは感じなかった。

 しかし、気が付けばレイはネネの眼前にいた。

 それはまるで最初からそこにいたにも関わらず、それに気付けていなかったかのようだった。


 そして、その咄嗟の出来事に反応できないでいた二人を尻目に、レイの微笑んだ顔がネネの顔に近付けられた。

 素早い動作でネネの頭の後ろに手を回し、逃げ場をなくしてその額にそっと唇を触れさせた。


「────!」


 その瞬間、ネネの体がビクリと震え、体の力が全て抜けてしまった。

 白目を剥いて意識を失ったネネは、宙に浮いてる魔法が切れ、重力に従って落下した。


「ネネ!!!」


 咄嗟にシオンが手を伸ばしてその腕を掴み、すぐさま魔法で引き寄せて抱きとめる。

 ネネの額には、わざとらしい唇の形のキスマークが淡い光を灯して残されていた。その顔色は蒼白だ。


「ネネに何をした!」

「怖いなぁ。別に大したことはしてないよ。ちょっとクラクラしてもらっただけさ」


 声を荒げるシオンを楽しそうに眺めながら、レイはひょいと身を引いて距離をとった。


「別にその内目を覚ますから心配しなくても大丈夫。でもさ、これでわかっただろう? この程度のことを防げない君たちが、僕から鍵を奪い返せるはずがない」

「っ…………!」


 シオンは唇を噛む。

 レイの言うことは正しかった。

 今のほんの少しの動作に二人は全く反応できず、そして本来容易に打ち消せるはずの魔女の魔法を、防ぐこともできなかった。

 二人とレイの間には、確かに隔絶した何かがあった。


「そういうわけだからさ、命は大事にした方がいい。まぁこの鍵は悪いようにはしないさ。アリスちゃんの力を解放したいのは、みんな一緒だろう?」


 一輪の白いバラをこれ見よがしに見せびらかして、レイはニヤリと笑った。


「安心しなよ。来たるべき時、必ずその扉を開くからさ。ま、その時その力が誰にとって都合のいいようになっているかは、保証できないけどね」

「待ちなさい!」


 シオンの叫びに耳を傾けず、レイは宙を蹴って高速で前に向けて跳躍し、あっという間にその姿を眩ませてしまった。

 ネネを抱えるシオンはそれを追うこともできず、鍵は魔女の手によって持ち去られてしまった。


「シオン」


 その事実に深い悔恨の念を感じているシオンの名を背後から呼ぶ声があった。

 シオンにはその声に聞き覚えがあった。

 それは彼女が何よりも敬愛し、尽くす者の声だった。


「ラ、ライト様……!?」


 慌てて振り返ってみれば、そこにいたのは白いローブをまとった一人の女性。

 ふわりとした長髪を優雅にはためかせた、壮年の、しかしとても若々しさを感じさせる女性。

 君主ロード、ホーリー・ライト・フラワーガーデン。


「ライト様! 今までどちらに!? いえ、それよりも……私たちは今鍵を……」

「いいのよシオン。想定できていたことだもの。寧ろ、こうなると思っていたから」


 五年前の時より姿を眩ませていたホーリーに、シオンは再会の喜びと戸惑いを示しながらも、しかし今犯した自身の失敗を悔いて俯いた。

 厳しい叱りを受けると覚悟したが、しかしシオンの予想に反してホーリーは穏やかだった。


「可哀想に。強力な魅了の魔法ね。本来の用途とは違うでしょうに。これでは精神に負荷がかかるわ」


 シオンの腕に抱かれて意識を失っているネネに対してホーリーは眉を寄せてそう言うと、そっとその頭を撫でた。

 すると額に光っていたキスマークが消え、顔色は途端に良くなった。


「しばらくすれば目を覚ますわ」

「ありがとうございます。あの、想定通りというのはどういう……」


 自分たち与えられた任務とは異なるその想定に、シオンは首を傾げた。

 二人は鍵の解放とその帰還、そして姫君の力の解放を見届けるために遣わされた。

 しかしホーリーは鍵が奪われることが想定通りと言う。

 それは明らかに矛盾していた。


「ごめんなさいね。あなたたちにはそこまでの説明はしなかった。ワルプルギスが介入してくることは、五年前に接触してきた時点で予測ができていたのよ。彼女たちが鍵を求める理由は明らかだしね」

「ならば、その対策を打つべきだったのでは……?」

「私はね、ワルプルギスの手に渡ることも悪くはないと思ってるのよ。それはの願いに繋がるんじゃないかって思ってしまって。まぁ、イヴ────夜子は絶対不満でしょうけど。まぁ自分も取り逃がしたんでしょうからいいでしょう」

「…………?」


 ホーリーは自分一人で納得するように薄い笑みを浮かべて頷いた。

 ホーリーの言うとは誰のことなのか。

 そして今口走ったイヴとは、ホーリーと親交が深く、また時を同じくして国から姿を消した王族特務の魔法使い、イヴニング・プリムローズ・ナイトウォーカーのことなのだろうか。

 ホーリーの言葉の意図が掴めず、シオンは頭を巡らせるも首を傾げざるを得なかった。


「ごめんなさい。あなたたちにはまだ話していないことが多いし、わからないことだらけでしょう。でも安心して。今回のあなたちの仕事は失敗じゃないわ。あなたたちにして欲しかったのは傍観。あの子が無事鍵を手にできればそれもよし。ワルプルギスに奪われてもそれもよし。ただその様を見ていて欲しかったの」

「でも、どうしてそのようなことを……?」

「そうねぇ。その先を更に見据えるため、かな」


 キョトンとするシオンに、ホーリーは悪戯っぽく微笑んだ。


「シオン。あなたたちには私の元、事態を外から見て欲しいのよ。魔法使いが正しいのか、魔女が正しいのか。みんなが姫君と呼ぶを取り巻くこの事態をね。そして私に力を貸して欲しいの。私、まだわからないのよ。友としての願いに応えるべきか。それとも自分の気持ちに従うべきか、ね」


 ホーリーのその表情は、大人の女性の落ち着いたものというよりは、青い気持ちに揺れる少女のように儚げだった。

 そんなホーリーの顔を見て、シオンは気を引き締めて頷いた。


「仰せのままに。私は、私たちは、ライト様についていきます」


 この純粋な主に、その心についていきたいとシオンは思った。

 この人は凝り固まった他の魔法使いとは違う。

 気持ちのままに振る舞う自由さを持っている。

 そしてその先には、何か大きな想いがある。

 その人間味が、シオンをはじめとする部下の気持ちを惹きつける。


「振り回すと思うけど、よろしくね」

「なんなりと。ライト様の思うままにご命じ下さい」


 信頼を示すその笑顔を見て、ホーリーは胸を撫で下ろした。

 我儘に、奔放に振る舞う自分についてきてくれるこの部下たちを頼もしく思う。


「あなたたちは一先ず国へ帰りなさい」

「ライト様は……?」

「私はもう少しすることがあるから。でも近いうちに戻るわ。だから、先に帰って様子を見ておいてちょうだい」

「わかりました。ライト様、お気をつけて」


 シオンはネネを抱え直してから深く一礼すると、足早にその場を立ち去った。

 多くを明かさないホーリーの言葉を、シオンは疑う姿勢を見せなかった。

 そんな頼もしい背中をを見送ってから、ホーリーは静かに呟いた。

 それは自分に言い聞かせるように。けれどこの場にはいない誰かに語りかけるように。


「ごめんなさいね。私はまだ、どうしたらいいのかわからないのよ。でもね、大好きな友達であるあなたのことを忘れたことは片時もないのよ。だから許してね、ドルミーレ」




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