幕間 まだ見ぬ真実へ

1 白兎

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「待ちなさい!」


 夜の空の上。加賀見高校から鍵を持ち逃げおおせたレイを呼び止める声が響いた。

 優雅に滑空していたレイはその懐かしい声に動きを止め、ニヤける口元を隠さずに振り返った。


「やあ、久し振りだねH1エイチワンH2エイチツー


 レイの向いた先にいたのは二人の軍服姿の女性。

 黒のロングコートタイプの軍服に、その隙間から覗かせるショートパンツとタイツを履いた長い脚。深々と被った軍帽。

 その堅苦しくもどこか色香を感じさせる風体は、五年前に出会った時と変わらなかった。


「それとも、本名で呼んだ方がいいのかな? シオンちゃんとネネちゃん」

「好きに呼べばいいでしょう」


 見かけの上では自身よりも年長者である二人をからかうように言うレイに、シオンは目を細めて返した。

 その優雅な茶髪を手で掻いて、力強くレイを見つめる。


「鍵を、渡してもらいましょうか」

「僕が大人しく渡すとでも思うのかい?」


 あくまで冷静に訴えかけるシオンに対し、レイは薄い笑みで返す。

 その言葉の中には明らかな嘲笑が含まれていて、シオンの傍で控えるネネが不快そうに舌を打った。

 ストンと伸ばした黒髪と、その不機嫌そうな顔が相まってとても暗い雰囲気を思わせる。


「それはあなたが持つことを許されるものではありません。それはアリス様に還されるべきものなのですから」

「わかってるさ。だからちゃんとその時が来たら、僕の手でアリスちゃんを解放してあげるのさ」

「調子に乗ってんじゃないわよ!」


 飄々と返すレイに堪りかねたネネが声を張り上げた。

 そんな彼女をシオンが宥めようと腕を伸ばして遮ったが、それでもネネは食ってかかった。


「アンタごときがね、アリス様の御心に触れようなんておこがましいにも程があんのよ!」

「おやおや、勘違いをしているようだねぇ。僕らだから、僕だからこそ触れる権利があるんだよ?」

「……どういう意味ですか?」


 喚くネネを楽しそうに眺めながら含みを持たせた発言をするレイに、シオンは眉を寄せた。

 レイのその不敵な笑みが、おぞましさを感じさせる。


「君たちは、アリスちゃんの中に何があるのか知らないだろう? 君たち魔法使いが『始まりの力』と呼ぶ姫君の力が一体何なのか、知らないだろう?」

「あなたはそれを、知っているとでも言うのですか?」

「もちろんさ」


 姫君が持つ『始まりの力』の詳細は公にされていない。

 それは王族特務と、魔女狩りの中では君主ロードたちしか知らされていない機密事項だ。

 既に魔女狩りの枠を外れた任務を任されているシオンとネネも、ロード・ホーリーからその詳細を聞かされてはいない。


「何せ、元は僕たち魔女の姫君だったわけだからね。その力、その深淵については君たち魔法使いよりもずっと詳しいよ」


 レイの裏を含ませた言葉に二人は口を閉じた。


「その力は僕たち魔女のためにあるものだ。魔法使いごときが手を出していいほど安くはないのさ。僕らはこの手で始祖の手を引く」

「始祖……?」

「────さて、お喋りはこの辺りにしておこうか。僕は早く帰りたいんだよね」


 眉潜めたシオンを尻目に、レイは呑気にそう言って会話を打ち切った。戸惑うその姿を楽しむように。

 そのまま二人に背を向けて立ち去ろうとして、しかし激しい流水が弾丸のようにその傍を掠めて動きを止めた。


「だから、行かせないって!」


 ネネはレイに手を向け、憎々しげに言った。

 ブスッと不貞腐れた顔だがしかし、その目は確実にレイを鋭く射抜いていた。


「何だい、僕と戦いたいのかな?」

「アタシたちは、ライト様からアリス様を見守るように言われてる。鍵の解放を見届けるようにって。アンタみたいのにみすみす持っていかれるとこを、指くわえて見てるわけにはいかないの!」

「それは殊勝なことだね」


 苛立ちを露わにするネネに対し、レイはやれやれと肩をすくめた。

 その態度が更にネネを煽り、しかしその激情をシオンが制した。


「私たちには私たちの役目がある。その鍵は、あなたに渡すわけにはいかないのです」

「まぁその立場も気持ちもわかるけれど、やめておいた方がいいよ」


 レイは余裕の笑みを崩さない。

 魔女の身では天敵であるはずの魔法使い二人を目の前にしても、一瞬たりとも臆する素振りを見せない。

 魔女は、魔法使いに対して圧倒的に不利であるはずなのに。


「あなたは自分の置かれている状況がわかっているんですか? あなたの前にいるのは魔法使いで魔女狩り。その中でも私たちは────」

「わかっているよ、H1。でもさ、そんなの関係ないって言ってるのさ」


 理解しがたい態度に眉をひそめるシオンと、余裕の笑みを浮かべるレイ。


「君たちが魔法使いとしてどれ程強くたって、僕にはそんなこと関係ないのさ。まぁいいだろう。口でわからないのなら、その身で感じることだ」


 レイがニヤリとそう言った時だった。

 レイを囲む一帯の空気が一変し、禍々しい混沌とした重い気配が漂った。


 ニット帽を掴んで乱雑に脱いで、締め付けられていた髪を頭を振って緩める。

 するとその艶やかな黒髪が、まるで色素が抜けていくように根元から白んでいった。

 肩程までのショートヘアは、あっという間に穢れなき白髪へと変貌する。


 そして、その頭のてっぺんから二つの長いものが伸びた。

 それは、兎の耳だった。頭髪と同じ白い体毛を持った、兎の長耳がレイの頭から生えていた。

 凛々しく確かに存在するそれは、ピクリと本物のように動きを見せて緩やかに折れた。


 端正に整ったその顔と、白くふさふさとした長耳は、本来であれば見目麗しくそして愛らしく見えるだろう。

 しかし兎を模したであろうその姿は、狂気と混沌に満ちており、対面するものを全て喰らい尽くさんばかりの闇の深さを感じさせた。

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