65 私の中の魔女

「ドルミーレ……」


 初めて聞く名前なのに、何故か物凄く馴染みのあるように感じられた。

 ずっと昔から、ずっとずっと前から知っていたかのように。


 けれど同時に違和感もあった。

 この『魔女の私』は私のはずなのに、どうして別の名前を持っているんだろう。

 それとも全ての魔女はみんなその心の中に魔女の部分を住まわせていて、それはみんな個別の名前を持っているものなのかな。

 でももしそんな存在が当たり前なのだとしたら、誰かしらが教えてくれているはずだしなぁ。


 『魔女の私』────ドルミーレと名乗ったその人は穏やかに微笑む。

 そこには何の意味も含まれていないように見えた。

 彼女はただ事実を述べただけ。自身の名を口にしただけ。そこにはそれ以外の意味はなかった。


「あなたは、本当に私の一部なんですか?」

「ええ、ある意味ではね。どうしてそんなことを聞くの?」

「だって、あなたを私だとは思えない。見た目はそっくりだけれど、あなたが私の一面だとは思えません。それに、その名前も……」

「だから言っているでしょう? 私は私。あなたは私、と」

「それって……」


 それじゃあまるで逆みたい。

 ドルミーレが私の一部なんじゃなくて、私がドルミーレの一部みたいな……。


「私はあなたの力そのものよ。私は花園 アリスという存在の力の基盤」

「え……?」


 私の思考を遮るようにドルミーレは言った。

 私が何を考えていたのか知っていて、それに結論を出させないようにしたような口の開き方だった。


「あなたの中にある力。それにどんな呼び名をつけるのかはあなたたちの勝手だけれど、その全ては私からいずるもの」

「でも、じゃああの子は? あの子は私から切り離されたお姫様の部分だって言ってた。私がお姫様だと呼ばれていた頃の、記憶と力があの子なんじゃないんですか?」

「そうね。その認識は間違っていないわ。確かにあの子はあなたにとってそういう存在。けれどそれはほんの一部に過ぎないのよ。あなたの力にとって、あなたの根源にとってはね。あの子はあなたの過去の切り取りでしかないの」


 その語り口調はとにかく優雅だった。

 余裕に満ち溢れていて、迷いの一つも感じられない。

 ある種の貫禄すら感じる。カップを傾ける所作、口の動かし方、ふとした表情の動き。一つひとつに気品を感じさせる。


「あの子はあなたが過去、そうであったという事実を切り離した結果に過ぎない。その力の源流はあくまで私。あの子と触れ合ったり、もしくはあの子を取り戻すことであなたは過去に振るっていた力を取り戻すことはできるかもしれないけれど、それはあなたの力を全て呼び起こすことにはならないの」

「じゃあ、あの子がここにいないのは……」

「ここがあなたの心の中の更に深い場所だから」


 私が気が付いた時にいた巨大な森と、今いるこの小さな森は、同じ私の心の中でも階層が違うということ。

 ここは、『お姫様』すらも立ち入ることのできない更に深い場所なんだ。


「でも、あの巨大な森にもあの子はいませんでした。それまでもいくら呼びかけても、いくら願ってもあの子は応えてくれませんでした。それは一体……」

「それは単純に、私が抑え込んでいたから。あなたにここまで落ちてきてもらうために、あの子には今私の中で眠っていてもらっているの」


 いとも簡単にドルミーレは言ってのける。

 でも、考えてみればそう難しいことではないのかもしれない。

 ドルミーレの言う通り私のお姫様の力の源流が彼女ならば、私の心の中で『お姫様』に取って代わって私の前に姿を現わすことくらいわけないことなのかも。

『お姫様』がドルミーレの一部だというのなら、彼女を私に会わせるのも隠すもの簡単なことなんだろう。


「でも、どうしてそんなことを……」

「本当はもっとずっと放っておくつもりだったわ。まだまだ時間がかかることだし、気長に眠っているつもりだった。けれど、どうやら騒がしくなってきたみたいだしね」


 その言い方は他人事のようだった。

 ベットでゴロゴロしながらテレビを観ていた時の感想くらいの他人事だ。

 ドルミーレにとって私のことは他人事なの? 私の心の中にいるのに? 私の力なのに?


「けれど少し前にあなたが向こうの世界で一騒動起こして、人間たちは私の存在に気付いてしまった。あなたの中に私という力があることに気付いてしまった。色々な人間が色々な思惑で私を狙っている。勝手で都合のいい解釈をしてね。だから私もただ眠っているわけにはいかなくなったのよ」


 少し前の一騒動というのは、私が『まほうつかいの国』でお姫様になった時のことかな。

 私が悪い女王様を倒したことで、みんなは私をお姫様にした。私に特別な力があるから。


 そういえば夜子さんが言っていた。

 お姫様という呼称はあくまで後付けに過ぎない。私が特別な力を持っていて、そんな私をお姫様にしたから、それをお姫様の力と呼ぶようになっただけ。

 なら、そもそもその特別な力って何……?


「記憶と力を切り離されたあなたは、何も知らずにのうのうと過ごしていた。あなたから記憶と力を切り離すことで、は私の存在をあなたから遠ざけた。私は別にそれでもよかったのよ。結局一時凌ぎに過ぎないし、私にとっては些細なことだったから」


 本当にどうでも良さそうだった。

 ドルミーレの顔色は全く変わらない。穏やかな表情でただあったことを話すだけ。

 そこには彼女の感情は一切含まれていなかった。

 だからといって無感情というわけでもなく、ただ思い出語りをするような気軽さ。


「けれどそれもまた束の間のことだった。あなたを、私を狙う人間がやってきて、遠ざかっていたあなたがまた私に近付いてきた。あなたが『お姫様』と呼ぶあの子と触れ、力の一端を握った。それだけならまだよかったのだけれど、あの子たちがあなたにちょっかいをかけだしたでしょ?」

「あの子たち……?」

「そう、あの子たち。ちょっとばかりくらいで調子に乗っちゃって。それに腹が立ったから、あなたをここに呼んだの。お仕置きしてやりたくてね」


 あの子たち、というのはワルプルギスの魔女のこと? 厳密に言えばアゲハさんとカルマちゃんのことかな。

 でも近付いたってどういうことだろう。


「私があなたをここへ呼んだのはその程度の理由よ。ただちょっと、悪戯が過ぎる子たちにお仕置きをしてやりたかったの。あなたに触れるためにはまずあの『お姫様』と繋がる必要があったから、私の中で眠ってもらっているの」

「力を貸してくれるって言いましたよね? ならあなたは、私に力を取り戻すことができるんですか?」


 私が尋ねるとドルミーレは静かに首を横に振った。


「残念ながらそれはできないわ。が私からあなたを遠ざけるために、あなたから『お姫様』の頃を引き剥がして、更にその記憶と力にプロテクトをかけた。それによる制限を私は受けないけれど、『お姫様』が隔離されたことで私たちの繋がりも細いものになってしまったの。私の力を直接受けていた『お姫様』の部分が剥がれてしまっているからね。その『お姫様』が私から流れる力をせき止めて、そのほとんどをあなたへと届かせない。あの子は私とあなたのポータルになってしまった。あの子を介さないことには私たちは交われない」


 つまり、私から分離したお姫様の記憶や力を取り戻さないことには、そもそもの力であるドルミーレにも届かない、と。

 一足飛びに大元に手を出すことはできない。


「だからこそ今、私はあの子を身の内に入れることでこうしてあなたとお喋りをしているわけだけれど。だからあなたがかけられたプロテクトを突破して、かつての記憶と在り方を取り戻さないことには、あなたはあなたの力────つまりは私の力を使いこなすことはできないの」

「じゃあ、あなたはどうやって私に力を貸そうと……?」

「『お姫様』を介してなら、ほんの少しだけ介入できるわ。あくまで『お姫様』の延長上でだけれどね」


 優しく微笑むドルミーレ。正直話が難しくてまだまだ理解しきれていない。

 あくまで私の力はドルミーレで、私が会った『お姫様』は過去の私の切り離し。

 けれど私が力を使えていた頃である『お姫様』が切り離されたことで、私とドルミーレの繋がりがせき止められて、必然的に私は力が使えなくなった。

 先日二度私が限定的にその力を使えたのは、私が『お姫様』近づいて触れ合ったから。その原理を利用して、ドルミーレは『お姫様』を介して私に力を貸そうとしている。


 でも、あれ? 何かおかしい。


「……あなたは最初、私の中の魔女の部分だと言いましたよね。でも、私が魔女になったのはついこの間。でもあなたの今の話だと、はじめから私の力としてずっと私の中にいたような口ぶりだった……。あなたは……一体……」

「解釈が違うわよ。私はあなたの中にいる魔女だと言ったの。あなたの魔女の部分だとは言っていないわ」

「それって……違うんですか?」

「全く違うわ。言ってるでしょう? 私はあなたの力の根源。私は私。他の誰でもない。あなたが私なの」


 口調は変わらない。声色も変わらない。

 雰囲気も表情も何も変わっていない。

 けれどその言葉はとても怖かった。


「あなたに魔女の部分なんてないわ。だってあなたは魔女ではないんだもの。魔女は私。あなたの中にいる私という魔女が、あなたの持つ力なのよ」

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