3 謎の麗人

 善子さんと別れて自分たちの教室へ行くと、入り口のところに人だかりができていて、なんだか騒がしかった。

 人だかりというよりは入りあぐねているというか、みんなが奥まで入っていかないから、詰まっているような感じだった。


 訝しがりながら私たちもその集団に紛れて教室の中を覗いてみると、教室の中は何とも異質な光景だった。

 主に奥の方。もっと言えば、私の席が明らかに異常事態だった。

 これは確かに、みんな近寄りたくないかもしれない。


 私の席で知らない人が本を読んでいる。

 しかもただの知らない人じゃない。この学校の制服を着ていないから、明らかに部外者だった。


 黒いブルゾンに黒いジーンズ。おまけに黒いニット帽を被った黒尽くめの、少なくとも学校内では明らかに怪しい出で立ちだった。

 年頃は私たちと同じくらいに見えるけれど、その雰囲気は学生のものとは言えない。


 けれどとても綺麗な顔立ちの人だった。

 男か女かの見分けが本気でつかない、中性的にも程がある綺麗な顔。

 日本人離れした端正な顔立ちで、すらっとした体系や短めだけれど艶やかな髪も含めて、麗人と言って差し支えない程だった。


 そんな人が、私の席で私の本を黙々と読み耽っている。

 周りの状況なんてお構い無しに物語に没頭している。

 先に来ていた子たちが言うには、あの人は誰よりも早くこの教室にいて、既に私の席で本を読んでいたらしい。


 あの人自身の綺麗さもさる事ながら、その佇まいや、本を持ってページをめくる所作までもが綺麗すぎて近寄りがたくて。

 今の今まで誰も声がかけられず、そして中に入ることもできなかったらしい。


「どうする? 先生、呼んでこようか?」


 晴香が私の袖をぎゅっと握って言った。

 確かに、単に不審者という意味では、先生に対処してもらうのが一番いいのかもしれないけれど。

 でも、あの人はきっと普通じゃない。やってることとかの話じゃなくて、あの人そのものが、きっと。


「大丈夫だよ。ちょっと話してみる」

「知ってる奴、じゃないんだろ?」

「まぁ、うん。でも大丈夫でしょ」


 心配そうに言う創の腕をぽんぽんと叩いて、私は教室の奥へと向かった。

 大丈夫かどうかというところには自信はなかったけれど、きっと話さないことには始まらない。

 私が席の横まで行くとその人は、やっと本以外にも世界があったことに気づいたかのように顔を上げた。


「やぁ、待ってたよ」


 本をぱたりと閉じて、のどかな笑みを浮かべて私を見上げる。

 その声を聞いても、やっぱり男か女かの区別がつかない。

 男の子にしては高めの声で、女の子にしては低めの声。どちらにも聞こえてしまう。


「張り切って朝早く来てみたは良いものの、いざ着いてから早すぎることに気がついてね。暇つぶしにここあった本を読ませて貰ったよ」


 私たちの困惑などどこ吹く風。完全に自分のペースで話し始めた。

 それでもその声や言葉、仕草の全てが綺麗で洗礼されていて、多分何も知らない、関係ない人が見たら惚れ惚れしてしまうんじゃないかというほどに美しかった。


「君は本が好きなんだね。面白いよ、これ。是非最後まで読みきりたいんだけれど、今日は別の用事で来たから、それができないのが残念だよ」

「私に、何か用なんですか?」


 相手のペースに飲まれないように私は声を出した。


「まずは自己紹介をしようか。僕の名前はレイ。だよ」


 僕、というのだから男の子だと、そう断定ができない。名前も、どちらともとれる。

 それよりも、さも当然のように放たれた言葉が引っかかった。ワルプルギスって何?


「レイ、さん……?」

「敢えて敬称をつけるなら『くん』の方が僕は好みかな」


 軽やかに笑ってレイ────くんはそう言った。

 その仕草は優男のようでもあり、でも男の子っぽい女の子のようでもある。


「えっと、私は────」

「知ってるよ。花園 アリスちゃん。僕は、君に会いに来たんだから」


 私の目を真っ直ぐに見つめて、まるで見透かすようにレイくんは微笑む。

 多分これで、普通の女の子なら落ちてしまうだろうな。

 生憎今はそれどころじゃないんだけど。


「君がここにいるって聞いてね。どうしても一目会っておきたかったんだよ。この学校には他にも知り合いがいるし」

「あの……ワルプルギスって、一体……」


 話が全く見えてこなくて、私はとりあえず質問をしてみた。

 するとレイくんは、そんなこと聞かれるとは思わなかったとでも言うように目を見開いた。

 けれどすぐに普通の余裕のある表情に戻ると、和やかに微笑んだ。


「そうか。君は何にも聞いていないんだね。何も知らせず、俗世に溶け込ませようとしているのか。それとも必要なことは自分で知るべきだと思っているのか。どちらにしても、真宵田まよいだ夜子よるこ……意地悪だな」


 薄々そうじゃないかと思っていたけれど、その名前が出てきたことで、それは殆ど確信に変わった。


「あなた、もしかしてま────」

「おっと、こんな所で口にするものじゃないよ」


 私が口を開いた瞬間、レイくんの人差し指が私の唇をしーっと押さえた。

 同時に近付けられた顔が目の前まで来て、その整い過ぎた顔立ちに吸い込まれそうになる。

 そしてしばらくじっくりと私の目を眺めてから、レイくんは耳元に口を近付けて囁くように言った。


「僕たちには君が必要だ。そのうちお迎えにあがりますよ、お姫様」


 戸惑ってる私をよそに、レイくんはすっと離れると、窓まで静かに歩いた。

 自然な動作で窓を開けると、窓枠に手を掛けた。


「今日はとりあえずご挨拶だけだよ。次会う時も、僕のことを覚えていてくれると嬉しいな。その時まで────」

「待って」


 唐突に私の腕を掴まれてびくりと振り返ると、氷室さんが私を後ろにぐいっと引っ張った。

 私の前に乗り出した氷室さんは、いつも通りのクールさながらも、レイくんに静かに敵意の眼差しを向けていた。


「……へぇ」


 対するレイくんは、氷室さんを興味深く見返していた。

 まるで氷室さんがここでこうしていることが、意外とでも言うかのように。


「既に一手が打たれているってわけか。なるほどわかったよ。アリスちゃんのこと、よろしくね」


 そう言うと、レイくんは止める間もなく身を乗り出して、窓から外へ飛び出した。

 この教室は三階にあって、窓の外にはベランダも何もない。

 慌てて駆け寄って窓から外を見降ろして見ても、そこにはもう何もなかった。


 そうして朝から騒ぎを起こすだけ起こして、レイくんという謎の魔女は姿を消してしまった。

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