4 魔女ウィルス
どんどんと小さくなっていく三人の姿を、ただ呆然と見上げながら、為す術もなく落ちていく私。
冷たい風を切りながらの自由落下は、それだけで心臓が止まりそうなほどの恐怖で。
地面に打ち付けられる前に、その恐ろしさで死んでしまいそうだった。
もう死ぬんだ。今度こそそう思った。
どの位高いのかもわからない高所から落下して、私はぺしゃんこになって死ぬんだって。
「────アリスちゃん!」
けれど、そうはならなかった。
風が吹き荒れる中、透子ちゃんの声が聞こえた。
必死に辺りを見回すと、透子ちゃんが物凄いスピードで一直線に急降下してきて、ただ落ちる私をガッチリと捕まえてくれた。
「死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った!」
「ごめんごめん」
そのままの勢いの高速で飛びながら、透子ちゃんは私をぎゅっと抱き締めてくれる。
私はもう無我夢中でしがみつくしかなくて、透子ちゃんの胸に顔を埋めた。
いくら二人の気を逸らすためとはいえ、いくらキャッチしてくれるつもりだったとはいえ、これはあまりにも怖すぎた。高所恐怖症になる。
「もっとスピード出すから、目を瞑ってしっかり掴まってて!」
言われた通りにした途端、スピードがぐんぐんと上がって、高度も上昇していった。
雲の上まで出たのかもしれない。特別寒さや息苦しさは感じないけれど、そのくらいの高さまでは上がっているはず。
でも私は、透子ちゃんに無我夢中で掴まっていることしかできなくて。
何度か上昇と下降を繰り返して、今自分がどこにいるのかもわからなくなった。
そして、透子ちゃんに声をかけられてようやく、私は地面に降り立っていることに気がついた。
そこは小さな公園だった。見覚えのない公園だから、近所ではないと思う。
そもそもあそこまで飛び回って逃げていたんだから、もしかしたらとんでもなく遠いところまで来てしまったのかもしれない。
「心配しなくてもそこまで遠くまでは来てないわよ。でも、とりあえずは撒けたと思うから安全」
念のため結界張っておくわ、なんてことをポツリと言いながら、透子ちゃんはベンチに私を座らせた。
ベンチとブランコと、あとは小さな砂場しかないような、こじんまりとした公園だった。
「あの……」
ブツブツと何かを呟きながら、何やら透明な膜を張っている透子ちゃんに声をかける。
透子ちゃんは振り返るとニッコリと微笑んだ。
「改めて……助けてくれてありがとう」
「いいのよ。困った時はお互い様でしょ?」
よく見てみたら、透子ちゃんの身なりは綺麗になっていた。
二人との戦いで服はボロボロになっていて、傷もできていたはずなのに。そのどれも見当たらない。
「でも、どうして私を助けてくれたの?」
「アイツらに、あなたを持っていかれるわけにはいかなかったからね」
私の隣に腰をかけながら、透子ちゃんは言った。
改めて見てみると、やっぱり普通の女子高生にしか見えなかった。
さっきまで、あんな奇想天外な逃亡劇を繰り広げていたようには見えない。
艶やかな長い黒髪が綺麗な、美人な女子高生。
女の私から見ても息を飲むほど、透子ちゃんは美人さんだった。
そんな彼女がさっきまでの戦いをしてきたなんて、やっぱり信じられない。
「あの人たちは一体……」
正直、何から聞いていけばいいのかわからなかった。
不可解で不可思議なことばかりで、頭が全く追いつかない。
あの人たちは誰なのか。どうして私は狙われたのか。
透子ちゃんが言っていた魔女とは何なのか。
「安心して、順番に説明してあげるから」
透子ちゃんは優しく頭を撫でてくれた。
緊張していた心が、少しだけほぐれる。
「まずは私のことからかな。さっきも言ったけれど、魔女なの。魔女っていうのはね、『魔女ウィルス』に感染して魔法が使えるようになった人のことよ」
「『魔女ウィルス』……?」
「彼の地から来た未知のウィルスよ。そのウィルスに感染すると、魔法が使える魔女になる。やがて死んでしまうという、代償付きでね」
「し、死んでしまうって……!」
「言葉の通りよ。『魔女ウィルス』は人間の細胞を書き換える。己の肉体全てをウィルスに侵された魔女は、やがて死んでしまうの」
唐突に告げられた言葉に、それこそ頭が付いて行かなかった。
つまり魔女は、死の病気ということ!?
透子ちゃんはいずれ、死んでしまう……?
「そんな顔しないの。別に今日明日って話じゃないわ。人それぞれ適性によるみたいだけど、ウィルスに殺されるのには時間がかかる。それよりも、厄介なのはアイツらよ」
余程不安が顔に出ていたのか、透子ちゃんは心配そうに顔を歪めた。
労わるべきは私じゃなくて、死のウィルスを抱えた透子ちゃんのはずなのに。
「アイツらは魔女狩り。魔女を殲滅するための魔法使いよ」
「魔法使いって、魔女とは違うの?」
「全く違うわ。魔女は『魔女ウィルス』に感染することによって魔法が使えるようになる、後天的なもの。それに対して魔法使いは、生まれつき魔法の素養があって、それを代々受け継いで培っている連中のこと。魔法を学び、研究し、研鑽することを生き甲斐としてるようなやつらよ」
忌々しいとばかりに、透子ちゃんは重いため息をついた。
「歴史と研究と代を重ねて魔法を培ってきた魔法使いにとって、私たち魔女は言わば異端なのよ。あってはならないこと。長年の積み重ねによって始めて到達すべき神秘に、偶然のように触れることなんて許されない。きちんと構築された術式によって行使されるべき魔法を、息をするかのように乱雑に行使するなんて許されないってさ」
「でも、透子ちゃんたちは何も悪くないんでしょ? 別に、なりたくて魔女になったわけじゃないんでしょ? 感染、しちゃったんだから……」
「そう。私たちは何も悪くない。まぁでも、彼らの言い分もわからなくはないけどね。けどこっちからしてみればいい迷惑。ウィルスの感染は選べるものじゃない。誰だってなりたくてなった人なんていないし、こっちには死のリスクもある。それなのに、魔法使いは私たち魔女を根絶やしにすべしと決めた。異端で無秩序な魔法を使う私たち魔女は、存在してはならないと。生きていてはならないと。死すべきだと」
微かに震えていた透子ちゃんの手を、私はそっと握った。
そんなことしか、私にはできない。
「ウィルスだからね、それは人から人に伝染する。適性、というか相性があるみたいだから、誰彼構わず感染するわけじゃないみたいだけど。それでも、魔女の因子は必ず広がっていく。それを根絶やしにするべく結成されたのが、さっきのやつら────魔女狩りよ。私は『魔女ウィルス』によって死んだ人を、あまり見たことがない。魔女の本当の危険は、魔女狩りに殺されることなのよ」
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