1 ガラスのエース



「お前らは弱くてちっぽけで、『弱小』という表現がぴったりだ。でもな、弱っちいのがデカイ相手をぶっ倒す。・・・こんな痛快なこと、他にないだろ?」

 不敵に笑う、無精髭を生やしたおっさんを見ながら、俺は頷いた。

「観客は判官贔屓ほうがんびいきで貰ったも同然!さあ、行ってこい!」

「「おおっ!!」」

 俺たちはピッチに赴き、眼前の相手を力一杯睨み付ける。

 確かに、俺たちは弱くてちっぽけだ。

 だけど、譲れないものだってある。

「ぜってーに、勝つ・・・!」

 決戦を迎えるホイッスルが、鳴り響いた。



 ここ数年間、公式戦はおろか練習試合ですら勝ち星を納めたことのない・・・それが、俺たち香海松かみる高校サッカー部。

 所謂『弱小』の俺たちの前に、そいつは突然現れた。

「よーっす、やってっかー」

 間延びした声と共にサッカー部の部室のドアを開けたのは、現役高校生はまず服屋に入っても見向きもしないであろう、茶色のだっせえジャケットを羽織ったおっさん。

 平日の4時というこの時間は、真っ当な大人ならオフィスの中かなにかで定時まであと1時間だ、と頑張っているに違いない。ましてや高校の部室に平然と入り込むような奴が真っ当であるはずがない。9割がたニート、もう1割は無職ってとこか。

 固まっている部員をよそに、俺は鞄から携帯を取り出して1を2回、0を1回タップした。

「もしもし、警察ですか?変質者が高校の部室を荒らしにきてるんですけど今すぐ来てく」

「待て待て待て待て!今時の高校生はそんな簡単に警察呼ぶくらいドライなのか!?」

 んなこと言われたって。身の危険感じるし。

「俺は怪しいものじゃない!信じてくれ!」

「怪しい奴はみんなそう言うに決まってる」

「ぐっ・・・頼む、信じてくれ・・・警察だけは・・・許して・・・」

 高校生相手についに土下座までする変質者に、俺はため息混じりにとりあえず尋ねた。

「まあいいや。あんた名前は?」

「ふん・・・名を名乗るときはまずは自分からって教わらなかっああああああああああああやめて!携帯から手を離して!」

「法的拘束受けたくなきゃちゃんと質問に答えろ。まず名前」

佐久本さくもと雅也まさやです」

「年齢は?」

「33です」

「職・・・は無職か、じゃ犯罪歴は」

「ちょい待ち。なぜ無職とムショ暮らしは確定してるんだ」

 気にせず、核心をつく質問を。

「何が目的でここに来たんだ?」

 その質問をした瞬間、佐久本が地べたに正座したまま俺を見上げる顔は、先程までの腑抜けた顔ではなくなっていた。

「ようやくそこを聞いてくれたか。決まってんだろ、俺は」

「現役男子高校生の汗の染み込んだタオルをただくんかくんかしたかっただけの変態・・・と」

「どんだけだ!お前の中で俺はそんなにも世の中の常識から外れた人間か!」

 とはいってもやはり。ろくでもなさそうなのは間違いない。

「とにかく話を聞いてくれ。俺は佐久本雅也。今日から香海松高校サッカー部の監督になる男だ」

 ・・・ほらやっぱり。ろくでもなかった。



「・・・はあ。そうですか」

「あれ?なんかリアクション薄くねえか?普通はもっと驚くもんだろう」

「口からの出任せ、っていうセンも消えてないから」

「もうちょっと人を信じる大人にならないとダメだぞ若人よ。・・・なら、これでどうだ」

 佐久本は足元に転がってあったサッカーボールを爪先で上に弾き上げる。そしてそのまま地面にボールを落とすことなくリフティングする。太もも、足の側面なども使い、柔らかなタッチで器用にリフティングを続けていた。

「ぅお・・・うめえ・・・」

「なんてボールコントロールだよ・・・」

 部員たちも佐久本の綺麗なリフティングから目を離さない。いや、離せないのだろうか。

「・・・と、こんなもんだ」

 佐久本が足の裏でガッと地面にボールを叩きつける。得意げな顔が若干腹立たしい。

「確かにそんなリフティングできる変質者はいねーか・・・。わかった、あんたのことを信用するよ。でも・・・その上で一つお願いがある」

「なんだ?『サッカーを教えてくれ』か?『女の子にモテさせてくれ』か?」

「是非・・・お引き取り願いたい」


 いかにも予想外といった感じで固まる佐久本。

「な、なんでだよ!今のリフティング見たろ!間違いなく名選手だろ!」

「だから何だよ。いくらあんたがサッカーが上手くたって実際にプレーするのは選手。監督が替わった程度でほいほいと勝てるほど甘くねえ。結果が分かってする努力ほど無駄なもんはねえよ」

「つまり・・・監督が替わってキツい練習に耐えてまで強豪に勝つよりも今まで通りぬるくサッカーやってりゃそれで満足、ってことか?」

「・・・そういうことになる」

「ふうん・・・なら、なんで・・・毎日朝早くから一人でボール蹴ってんだよ?なあ、香海松高校サッカー部キャプテン、小角こすみ雄大ゆうだい

 いきなり自分の名前を呼ばれ、びくりと心臓が跳ねる。

 なんで俺の名前・・・と毎日一人で朝練してること知ってんだよコイツ・・・。

「そ・・・それは・・・」

「勝ちたいからじゃないのか?好きなことで・・・サッカーで、負けたくないから毎日毎日ボール蹴ってんじゃないか?」

「っ・・・!だとしても!俺たちの実力じゃ、勝つなんて夢のまた夢だ!理想と現実は違う!」

「いや。そんなこたぁねえさ。スコアは常に0ー0から!誰に対しても平等だ。お前らだって、勝てないなんてことはない」

 俺は立ち尽くしたまま何も言えない。次の言葉は出てこなかった。

「あの・・・俺たち、どうやったら勝てますか」

 不意にそう言ったのは大柄な少年、2年の熊谷くまがい

「小角先輩が毎朝ボール蹴ってるのは俺も知ってました。いつも楽しく、ただサッカーが出来るだけで良いって言いながらも、先輩は誰よりも早く練習に来て、誰よりも遅く練習してます。本当は先輩・・・勝ちたかったんですよね」

 熊谷の言葉を聞いて否定しようとするが、一向に口は開かない。

「そうだぞ雄大。試合で負けるたびに笑って誤魔化してるけど、目が笑ってなかった。次の日の練習が、ちょっと厳しくなったりしてた」

 続いたのは3年の北設楽きたしたら

「確かに俺たち、そろそろ勝ちたいよな。キーパーやっててもさ、ボールがいっぱい来るのは楽しいんだけど点取られまくって悔しくないわけないし」

 ゴールキーパーを務めている副キャプテンの長井ながいも目を伏せながら言った。

「さて、周りも気合い入ったみたいだぜ?どうするんだよキャプテンさんよ」

 佐久本に促され、俺はようやく重たい口を開いた。

「とりあえず・・・いつも通り練習するから見ていてください」



「へい!こっちこっち!パス!」

 パスを受け取った北設楽がシュートを放つ。

 ビシッ!

 そのシュートを長井が横っ飛びで弾いていた。

「ナイスセーブ!」

「アイツ、良いキーパーじゃねえか。副キャプテンだけあるな」

 佐久本が攻撃練習を見ながら呟いた。

「副キャプテンは関係無いでしょう。それに、長井には致命的な弱点があります」

 休憩中の俺は佐久本の隣に立って一緒に練習を見ていた。


「あっ」

 1年の日野ひのが蹴ったシュートは力なく浮き上がる。ふらふらっと上がったボールを、長井がしっかりーー

 キャッチできず、ボールはそのままゴールに吸い込まれた。

「す・・・すまん。ジャンプしたんだが・・・」


「なるほど。キーパーにしては確かに身長が足りないな」

「172センチしかない身長だとゴールマウスがどうしても広く感じるし、その分相手のフォワードだって狙いを定め易すぎる。守護神としての威圧感が、どうしても長井には身に付かないんだ」

「あいつは?さっきから良い動きをしているが」

 佐久本が先程から動き回ってパスをもらっている北設楽を指差す。

「北設楽は確かにスピード、テクニック共にウイングとして申し分無い選手だけど・・・」

「くっ・・・み、南牟礼みなみむれ!」

 北設楽が蹴った左サイドから右サイドへのロングパスはラインを割った。

「北設楽!無理なパス出すなよ!あんなの受けられねーよ!」

 右ウイングの南牟礼が北設楽を叱責するが、北設楽は手を膝に乗せたまま息を切らしている。

「スタミナが無くて、終盤になると視野が狭くなる。左ウイングの北設楽が動けなくなると右ウイングの南牟礼も自由には動けなくなって、攻撃が不可能になるんだ」

「ウイングフォワードってのは両方が動けてこそだからな。どっちかのサイドがバテちまうと片方のサイドからしか攻められねーし、守ってる側もそのサイドだけを固めて守れる。そりゃ攻め手がなくなっていくのは自明の理か」

「このチームで勝つのは容易なことじゃない。みんなそれぞれが欠点を抱えてるんだから」

「・・・さっきから偉そうにキャプテン様が言ってるが、お前はどうなんだ?」

「俺は・・・」

「おーい、雄大!お前も入れ!じゃねーと攻撃が回らねーだろ!」

 言いかけたところで呼ばれ、攻撃練習に参加する。


 南牟礼からもらったパスを足元に収め、そのまま中央から突破を図る。

 前からディフェンダーが迫る。が、関係ない。

 素早く重心を左右に移動させ、ディフェンダーを撹乱。開いた足の間にボールを通し自分の体はその脇をすり抜ける。

「抜かれた!雄大を止めろ!」

 またディフェンダーが迫るが、今度は足裏で右側にボールを転がし、右足がボールの右側に来ると足の内側で左に切り返す。そのまま加速し、ディフェンダーを抜き去った。

「なっ!ラ・ボバ!?」

 そして右足を軸に、ゴールに向かって左足で蹴り込む。

 ボールはカーブを描きながら長井の手から逃げるようにゴールの右隅に突き刺さった。

 シンとした直後、攻撃側の北設楽、南牟礼が目を見開きながら拍手を始め、キーパーの長井、抜かれたディフェンダーまでもが笑い出す。

「なっ・・・なんつーフェイントだよ!一人でゴールしちまったぜ!」

「やっぱお前はサイコーだよ雄大!」

 練習が中断となり、部員が駆け寄ってくる。

「ば、ばか!練習中だぞ!」

「練習なんかどうだっていい!今俺たちはお前とサッカーが出来ていることに悦びを感じてんだよ!」

「はぁぁああ!?寄んなっての!」


 佐久本は一人拳を握りしめ、口に笑みを浮かべていた。

(なんだよアイツ・・・、想像以上だ!6時から朝練してるのも驚きだったが、今の技術は高校でもトップクラス、いやそれ以上かもしれない。アイツなら名門香海松高校の復活もーー)

 未だ固まっている佐久本の元に雄大が戻ってくる。

「と、まあ俺はあんなもんですよ」

「あ、ああ・・・悪かったな。お前は偉そうなキャプテン様で何も間違ってない」

「いや」

 佐久本の言葉を遮る。

「間違ってるよ。俺は偉そうにものを言える立場じゃない」

「なんでだ。あれだけのプレーができているのに」

「何か、気づくことない?」

 俺は佐久本の言葉を切るように唐突に言った。

「気づくこと?そうだな・・・ディフェンスが甘かったか?でもあれだけのテクニックならある程度のディフェンスなら」

「違う。いや・・・半分正解かな。確かにディフェンスは甘いけどその中で言えることがあるはず。あんたほどの人なら分かるだろ?」

「・・・分かった。誰も、お前のドリブルに対して体を寄せに行ってなかった。行けなかったんじゃなくて、行かなかった。まるで接触を避けてるような節があったな」

「ご名答だよ」

 俺はそう言って左足のスポーツタイツを捲りあげた。そこには痛々しいほどに巻かれた、膝を保護するテーピングがあった。

「触れたら壊れてしまうガラスのエース・・・それが俺。2年間一度たりとも試合に出たことない、それが、香海松高校サッカー部キャプテン、小角雄大だ」

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