1章 消費社会
極光に晒された廃墟群で
誰かが言っていた。
空だけは綺麗だと。
♢♢♢
何年か前のことを考えていた。
別に郷愁や追憶といったものではなかった。
多少暇な時に、片手間に思い出しているというだけだ。いうなれば、惰性の暇つぶしに過ぎないのだろう。
だが、それが良くなかった。
「おらっ、てめぇ! サトミっつったな! てめぇ何アホ面かましてやがる!」
頭に横合いから衝撃。
座っていたところを殴られた。
自分ができたことと言えば、呻くことと、走るトラックから転げ落ちないように荷台のふちに掴まることくらいだった。
頭を打ち付けて無様に転がるぼくに、上からまたダミ声が降ってくる。
「おまえなぁ、自分の仕事を言ってみろ、ええ?」
横になった視界で周りを見れば、目の前にある太い足の他にも、二人分の視線が集まっている。
二人分の、好奇の目。
「早く言え――――よっ! 忘れたのか!」
ごふ、と自分の口から空気が漏れる。
今度は腹を蹴られた。
困った、息をする暇さえくれない。
だが何度もただ蹴られ続けると、今後の行動に影響が出かねない。
「見張りの仕事、です」
「ほお? なんだ、見張りって言葉はちゃあんと覚えられたんだな?」
堪えきれなかったのか、こちらを座って見ていた他の二人もダハハハと笑う。
笑っていないのは、荷台の端で膝を抱えて俯いている一人くらいだ。
ああ、後は運転席にもう一人か。
「ホント参るぜ、はは、俺たちはこんなボケの子守りをしにわざわざ『外』に出て来たのか?
んなわけねーだろ、オラもっかい言ってみろ」
「見張り、です。周囲の警戒と、ガソリンスタンドを見つけたら報告」
ぼくを蹴ったヤツは、それを聞いて鼻で笑った。
逆光で影になった足が振りかぶられるのが見えた。
「ああ、大外れだ『ゴミ拾い』! サトミ、てめぇの本当の仕事はっ、外で使えねぇガラクタを拾ってくるってだけのっ! カスみてえな仕事だろーが!」
ぐ、がっ、と蹴られるたびに自分の口から声が漏れる。
「隊長、それぐらいにしといた方がいいっすよ。そいつそれ以上やったらマズいですって」
蹴りが止んだ。
最後だとばかりにこちらの頭を硬いブーツで踏み付けると、足を離す。
ぼくを蹴ったことで多少溜飲を下げたらしい。
「俺は優しいからもう一度教えてやるよ。ガソリンだって貴重品なんだ、てめぇを乗せてるぶん位は早く見つけやがれ。見張りの仕事をやれ。じゃねえと次はマジに蹴り落としてやるからな」
そう言うと足はようやく離れ、運転席の方へと歩いていく。
「俺は任務まで身体を休めておく」
「了解です、隊長。ソイツがまたサボってたらどうします?」
「太腿でも撃っとけや、適当に這いずらしときゃ敵の囮にゃなるだろ」
周囲の景色を俯瞰して見るという意味で見張りはしていたつもりだが、結局彼らはサボりとして処理したようだった。
痛みが治まってきた頭を押さえながら、今度は立ち上がる。出血はない。
座っていたのが気に食わなかったんだろう。
お前は立ってろ、つまりはそういう意味だ。
トラックの荷台から流れる外の景色を見るのは、少なくとも蹴られるよりは悪くない。
何より、彼らの顔を見なくて済む。
今トラックが走っているのは太い幹線道路で、見える景色はその国道、また両脇の歩道沿いの建物が主なものとなる。
ただ、昔とはだいぶ景色は様変わりしている。
ガラスはことごとく割られ、侵入されたのちに荒らされた跡がありありと残っているレストラン。
赤茶色に錆びきった物干し竿の並ぶ薄暗いマンション。
焼け跡で黒こげになり、スプーンで大きく削ったように斜めに崩れ落ちているあの建物は、数年前は全国にチェーン店を持つホームセンターだった。
廃墟、地割れ、瓦礫の山、そして廃墟。
それらを眺め、上にも目をやる。
空は相変わらず、薄く光るカーテンを幾重にも上から垂らしている。
見慣れすぎて有り難みはとうに失ったが、なかなかどうして綺麗だと思う。
日中ですら薄く輝いて僅かに見えるあれらは、最初の頃は非常に奇妙に感じたものだ。
今は国道と同様に、見慣れた風景の1つに過ぎないが。
ずっと姿勢を変えずに眺めていれば先程の二の舞になりかねないので、また目線は地面寄りに戻した。
「おい『ゴミ拾い』、地図だとそろそろガソリンスタンドだ。見逃したらどうなるか判ってんだろーな?」
先程笑っていたうちの一人が後ろから言った。
ぼくも知っている有名なガソリン会社の名前を言って促すが、そいつ自身は周りを見回すことすらしていない。
「あれは駄目そうです。もう荒らされて残ってないと思います」
見つけたその建物の状態を遠目から確認して、報告。
そもそも大通りに面した目立つガソリンスタンドなんて、無傷で放置されているはずがない。誰であれ先に見つけた人間が資源としてありったけの物資を回収してしまうに決まっている。よく考えなくても当たり前の話だ。
しかし、彼らはその答えが気に入らなかったようだ。
「なあ……おまえ立場わかってないだろ? さっきから見てたけどよぉ、ちょっと生意気じゃね?」
やって来たそいつは、車上で乱暴に肩を組んできた。
そいつが着ている簡易型のボディアーマーのせいで、軽く首を絞められる格好になる。
彼らの服装は全員同じ、装甲を縫い込んだ行軍用のアーマーだが、ヘルメットは被っておらず、出発前に運転席の助手席にまとめて置いている。
この時代において、なんとも恵まれた装備だ。
肩からまわされた手で、ゴツゴツと頭を叩かれる。
「俺たちはさ、おまえとは違うんだよ。『
「もちろん、判ります」
「おおっ、そりゃー良かった。なぁタチダ?」
奥で背を向けて寝ているであろう隊長を起こさないためか小声でもう一人、タチダと呼ばれた方を手招きで呼んだ。
さっきもこちらを遠巻きにして笑っていたそのもう一人は、ニヤケ顔で近づいてくる。
「ミワ、どうした?」
「こいつな、反省してます、『軍』の皆サマを尊敬してますって言ってんの」
「お、マジ? クソ低脳の奴隷身分にしちゃ意外とわかってんじゃん!」
「だから、その尊敬はやっぱ形にしてもらわねーと。隊長と運転してるサカノ入れて俺ら4人、とあとそこの学者サンとコイツ入れて6人だろ? 今回の報酬、この人数で分けるには少なくね?」
「あー、1人くらい減りゃ額増えるのにな?」
肩にかかる力が強くなる。
結局彼らにとってはガソリンも何もなにも意味はなかった。ただ彼らも暇つぶしが欲しかっただけだ。
できればぼくみたいに、景色を眺めるだけで我慢してもらえないものだろうか。
まあ、言ったところで聞く耳があるかどうかは微妙だ。
「おめーのことだよおめー、シカトか? 名前言われなきゃ気付かねーのかよ、サトミっつったか?」
ミワと呼ばれた方は腰に手をやった。
そして引き抜かれた手は、大型のナイフを握っている。支給されている彼の装備の一つだ。
あまり手入れされていないせいか、あるいは使い込んで……はいなさそうだが、刃の背の方に錆びが浮いている。
ナイフはぼくの首に当てられた。
「クソがっ、こいつなんも反応しねー」
「ミワ、おまえ舐められてんじゃねぇの?」
「マジかよ。『
「お、じゃあやっぱ報酬増えんじゃん」
言って二人は笑った。
ぼくはというと、その間も一応言われた仕事をこなしている。
つまり、見張りの仕事だ。
「今、上の高架線で細い煙が立っていました」
「……あ?」
「は?」
「後ろに通り過ぎたあの高架です」
タチダとミワが呆けたように応え、ついでにぼくが指差す方向を見る。
「はぁ? どこだ? 俺は見えねーけど、ただの自然発火だろ」
「あれは違うと思います」
今日は磁気がそんなに強くないから、普通ならこんな場所で火は出ない。
ましてや、この区域はまだ『
つまり、あの煙は自然のものではない。
人為的な発煙となると、その目的はかなり限られてくる。
だから見張りとして、ぼくはもう一度近くの二人に注意を促した。
彼らはそれを聞いて、しかし何も身構えない。
「なにがあれは違うと思います、だぁ? はは、なんも違わねーよ」
「っつか、ターゲットの『略奪者』の拠点まであと5キロはあるだろ確か。なに、もしかして今更行くのビビってきた?」
そう言って彼らは、ぼくの意見を虚言と切り捨てた。
考えるに、見張りには必要な能力が2つある。
事物を捉える単純な視力の良さと、周りに得た情報を伝え拡散し、信じてもらうための発言力。
どうやらこの場でのぼくには、圧倒的に後者が足りていないらしかった。
なるほど、確かに彼らの隊長の言う通り、それでは満足に仕事をこなせるとは言いづらい。
そして、そのことで誰に非があるかというのは、彼らにとっては考慮の余地もないのだろう。
ほどなくして、律儀に四車線道路の左から二番目の車線を走っていたトラックが中央に寄っていく。
前で倒壊している左右のビルが、道路に向かって瓦礫を撒き散らし、せり出していたからだ。
それまでにも道路には亀裂や瓦礫があったが、ここの道路幅はそれらよりもずっと狭くなっている。
トラックは速度を多少落とし、隙間を普通に通り過ぎようとした。
しかしその普通は、もう叶わなかった。
ごう、という音が耳奥で炸裂したような錯覚。
あっという間にトラックのすぐ前方に火の柱が上がった。
火柱を生み出したのは、地面にあった薄い水溜まりだ。
いや、あれは水などではなく可燃性のオイルだったのだろう。
「う、うわっ! なんだよ!?」
「火、燃えてっ!?」
隣の二人がわめいている。
運転席の方からも悲鳴のようなものが聞こえた。ああ、とか、わあ、とかそんな感じのくぐもった悲鳴。
恐らく火に驚いたのだろう、視界を炎に塞がれたトラックは火を避けるため横に曲がり、思いきり急ブレーキがかけられた。
考えうる限り最大の悪手だった。
「全員伏せろ!」
とっさに言ってはみたものの、既に遅く。
そもそも、急ブレーキによる騒音で周りにぼくの声が届いたかも怪しいほどで。
まず、ミワとタチダ、どちらがどっちだったか……は、一人が荷台を運転席側に転がっていった。
そして、そちらはまだマシなほうだった。
続くもう一人は、トラックから投げ出された。
今まさに燃えている地面に向かって転がり落ちた。
「なんだ!? 何が起こっ、う!」
ようやく事に気付いた隊長が、しかし体を起こしたタイミングで運悪く転がってきた隊員と衝突し、情けない声を上げもんどりうって倒れる。
トラックは完全に停止していた。
横倒しになっていなかったのだけが幸いと言うべきか。
あとはトラックの乗員が混乱の極みになければ、さらに喜べただろう。
「隊長! も、燃えてます! トラックのっ!」
「あぁ!? 見張りのアイツは何をやって――――ぎっ」
あまりに状況を掴めていない、要領を得ない説明を聞いた隊長のダミ声が、途切れた。
代わりに続いたのは、ひょうっ、という酷く間抜けな音。
隊長の声だったのか、それとも何かの発射音、あるいは着弾音だったのかはもう判然としない。
なんとか伏せて荷台のへりに張り付いていたぼくは、音のした方を見ることができた。
上体を起こした姿勢の隊長の頭に、太い杭のような円筒形のボルトが生えている。
クロスボウによる射撃だろう。
その隊長が驚いたままの表情で凝固しているのを見てとり、そしてボルトの付け根のところからじわりと滲み出した赤色を確認してから、ぼくは反省した。
やっぱり、見張りの仕事には二つの能力が重要になる。
視力と、発言力。
ぼくには後者が足りなかったようだ。
しかし、相手には足りていた。
相手、つまりここでは、煙で合図を送り、道路に火を付けた後に、このトラックに乗っていた隊長を射殺した襲撃者だ。
ぼくたちは、襲撃を受けていた。
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